ちくまプリマー新書

ひらめきを信じ、常識をくつがえす
『よみがえる天才5 コペルニクス』はじめに

長く天文学の伝統であった天動説を否定し、地動説を唱えたコペルニクスは、どのようにして固定観念を打ち破ったのか? ちくまプリマー新書『よみがえる天才』シリーズ最新刊より「はじめに」を公開します。

 だが、地動説が正しいから天動説は間違っているというのは、このままでは循環論法になってしまう。そうならないためには、地動説が正しいという科学的証拠を示さなければならないだろう。では、地球が動いているという事実はどんな科学的証拠に基づいているのだろうか。ここで高校の理科の教科書をひもといてみよう。自転の証拠としてはフーコーの振子(一八五一年)、公転の証拠としては年周視差(ベッセル、一八三八年)、光行差(ブラッドリー、一七二七年)などが挙げられている。地動説はこうした科学的証拠にもとづいているのだから、それを否定する天動説は誤りであることになる。こう述べれば、悪循環から逃れることができる。

 だがここで立ち止まって考えてみることにしよう。地動説の科学的証拠とされるものは、一八世紀以降に発見されたものであり、地動説の提唱者コペルニクスは一六世紀に生きていた。つまり、現在の我々にとって地動説の科学的証拠とされるものをコペルニクスはもっていなかったのである。コペルニクスはわれわれとは異なる別の証拠をもっていたのだろうか。もし「科学理論は客観的な証拠に基づいて主張されるはずだ」と思っている人がいれば、その証拠は何だったのだろうか、と考えることになるだろう。科学的証拠は前の段落で述べたほかにも沢山あるはずだから、何かあったんじゃないか?

 たとえば「台風が北半球では左巻きになる」というのは、地球が自転していることの科学的証拠じゃなかったかなと考えた人がいるかもしれない。それとももっと大胆に、客観的な科学的証拠がないにもかかわらず、斬新なアイデアを提出したのだろうか、と思った人がいるかもしれない。もしそうだと思った人がいれば、伝統的な説に代えて新しい説を提出した理由は何だったのだろうか。それが知りたくなるだろうな。

 「コペルニクスが天才だったから」というのは、答えにならない。コペルニクスが天才とされるのは地動説を提唱したからであり、地動説の提唱をコペルニクスの天才に帰したのでは、つまるところ、同語反復になってしまうからだ。「天才コペルニクス」を持ち出さずに、地動説提唱の具体的な理由をいま僕たちは知ろうとしているのだから。

 そして、地動説はコペルニクスの同時代および後代の人々にどのように受け入れられて(あるいは排斥されて)いったのだろうか。コペルニクスの生涯をたどりながら、こうした問いに対する解答を探っていこう。

 そして、もう一つの問いも取りあげることにしよう。

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