ちくま文庫

柔らかい芯

『歌を探して――友部正人自選エッセイ集』解説

ミュージシャン友部正人の歌詞やエッセイは、デビュー以来、高く評価されてきました。 初期からその才能を認めてきた谷川俊太郎さんによる解説です。

 友部が七十歳になっていると知った時、彼が書いたエッセイの中の一行がふっと心に浮かんだ。〈それだって本当なのかどうかもうわからない〉長い間この世にいると時計やカレンダーの時間がだんだん怪しくなって、五年前の出来事と去年の出来事の後先すら曖昧になってくる。私には友部の人生が昔から今までの物語としてよりも、断片的な場面として記憶されているのは、私の貧しい記憶力のせいだが、同時代を付かず離れず生きていて詩を書いたり、歌を歌ったりしている人間同士だからそれも許されるかもしれない、というのが忘れっぽい私の言い訳。

 エッセイにはいろんな人が登場するが、私の知っている人、知らない人、名前しか知らない人もいる。写真家ロバート・フランクは私は会ったことがないが、ずっと興味を持っていて手元の一九九五年に出た『 ROBERT FRANK MOVING OUT 』をパラパラ見て、読んでいると、何故か友部と存在の仕方に共通のものがあるような気がしてくる。手書きの短いコトバが写真に書きこんであったり、コンタクトプリントがずらっと並んでいたり、暮らしている空間・時間がほとんど加工されずに、表現というような意識に惑わされずに、カジュアルにそこにある、そんな手触りが似ているのだ。

 スイスに生まれたフランクはアメリカ人になった。日本に生まれた友部は一時アメリカに暮らす場所を確保していた。私にとっての具体的なアメリカは、友部が生まれる五年前に、B 29 がうちの近所に落とした焼夷弾によるいくつもの焼死体を間近に見たことだったが、その時もアメリカが敵国だという感覚は私にはなかった。まずジープと西部劇というのが私にとってのアメリカの始まりで、それがギターと歌だったのが友部だろう。

 初めて彼に会ったのは阿佐ヶ谷だったと記憶しているが、後年ニューヨークで会った時も友部は拍子抜けするほど同じ友部だった。ブレないという言い方はあまり好きではないが、友部の生き方は私の目からは一貫してブレていない。それも大黒柱のように頼もしくどっしりしているというのから遠い、ゆらゆら西に東に揺れている柔らかい芯が、実はブレていないのだ。今思いついたのだが彼の内面をヤジロベエに喩えるのもいいかもしれない。それは彼が書く詩・歌詞とエッセイを見ても感じる。どんなスタイルで書いても暮らしに根差している、と言うよりいつも暮らしそのものを生きているという当たり前が言葉になっている。

 友部は目で見えて耳に聞こえて手で触れる現実からしか出発しないのだ。それを抽象化したり、誇張したり、一般論に置き換えたりはしない。私は大学教師の家に生まれて、いわゆるインテリに囲まれて育ち自分もインテリになるはずだったが、どういうわけか学校というものに馴染めなくてずっこけたので、アカデミックでない世界に生きている友部と気が合うのかもしれない。

『おっとせいは中央線に乗って』(思潮社)の中に〈ぼくはいつのまにか言葉の外にいた〉という行があるが、歌や詩で言葉を生きながら、〈いつのまにか言葉の外にいる〉というコトバが出てくるところに、私が彼を身近に感じる原点があるかもしれない。歌詞も詩もエッセイのような散文も区別なく動き続け流れ続けていて、そこに歌も生まれている。実生活上の悲しみ苦しみはあるだろうが、友部はこれからもそれぐるみ幸せなんていうコトバに関係なく、まともに若々しく老いていくのだろうなと思 う。

 アレン・ギンズバーグとは私は東京で一緒にリーディングもしたし、一九七一年シエラ・ネヴァダ山脈の麓のゲーリー・スナイダーの家でピーター・オルロフスキーと一緒の朝寝坊の彼に会ったこともある。私の編集でその二年後に出た『ユリイカ』には、その時のお祭りっぽい集まりの様子とともに、そこにはいなかった友部の「にんじん」「君が欲しい」などの歌詞が載っているが、それらは歌詞であるとともに詩としても、その時代の英語が母語のヒッピーたちの集まりと溶け合って日本語で自立していた。

 解説を依頼されたのだけれど、どうしても文章が思い出話の方に行きたがる。それも癪に障るので、ここらで以前友部に向けて書いた自分の詩の一節を引用する。

  同じ世界と同じ時代に暮らし続けて

  ぼくもきみも親しい死者に取り残され

  今日も目玉焼きを焼いている

  やがて言葉は無言の彼方に溶けてゆくから

  安心してぼくらは書きぼくらは歌う

  誰かが誰かを好きになることを願って

 十五年前に書いたこんな一節に、二〇二〇年の私はもうかすかな違和を感じている。 この一節に連詩風に付けるとしたら、こんな風になるかな。

  きみはぼくの後をついて来ているわけではない

  かと言って誰かと並んで先を歩いているのでもなさそうだ

  いろんな言動があふれてこぼれる世間に疲れて

  無口な詩を書きたいと思っているけど

  ハミングが苦手なぼくにはメロディもリズムも

  深い気持ちの洞穴に無言で反響するだけ……

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