みんな”普通

第1回 子どもは理解できていないという誤解

女子高生に取材をした幡野さん。普通というのはつねに変化する。20年前の普通が通用したのは20年前だ。だから、これからの未来を生きる高校生には普通を変えていってほしいと伝えようと思っていたけれども……。
 

二人の女子高生にインタビューをすることができた。もともとおなじ私立の小中高一貫校に通っていたが、一人は高校で別の学校に進学した。頻繁に連絡をとっているという印象で、幼なじみという存在だろう。

ぼくと彼女たちとでは20歳の年齢差がある。20年も生きた時間が違うのだ。社会でゴマをすって培った経験値や教科書では習えない知識など、ぼくと彼女たちとでは偏差値や成績などでは数値化できない差のようなものがある。

しかしだからといって彼女たちよりもぼくが上位にいるわけではない。年長者だから偉いなんてことは絶対にない。なぜなら時間はアホにも秀才にも平等に与えられる。年長者だから問答無用に偉いという主張は、勉強をしない人の最大のいいわけとなぐさみだ。

アルバイト先のアホな先輩にも似ている。仕事に不慣れで緊張している新人に対して、偉そうな態度をとっていても、時間がたてば仕事なんてすぐに覚えるから「あっ」っていってる間に追い抜かされてしまう。そしてアホな先輩は偉そうな態度をとったことでカゲで嫌われるし、ミスをしても助けてもらえない。

ぼくは新人には優しい。なぜなら「あっ」っていってる間に追い抜かされるからだ。仕事でミスをすることはたくさんあるし、困ったことがあると後輩が助けてくれる。自分が困ったときに助けてもらいたいから、先に新人を助けるのだ。これが社会でゴマをすって培った経験値だ。それに新人に仕事をどんどん覚えてもらったほうが、こっちの仕事が楽になるし、新人を助けることなんて業務的には楽なものだ。

ぼくと二人の女子高生では生きた時間が違うのと同時に、生きた時代も違うのだ。もうちょっと踏み込んでいえば、ぼくはこれまでの20年を経験しただけで、いまの高校生はこれからの20年を経験する。

おじさんが経験したこれまでの時代と、きみたちがこれからの20年で経験する時代は違う。さらに年齢マウンティングをおじさん側が自ら厳しく排除しなければ「昔はこうだったんだぞ」という現代では通用しない主張に「いまは時代が違いますよ」といいかえすこともできなくなる。孫子でもないかぎり、このやりとりはとても不毛なのだ。

普通というのはつねに変化するのだ。20年どころか10年でも5年という短い時間でも変化をする。東京の普通と大阪の普通だって違う。大都市と田舎でも違う。国が違えば当然普通が違ってくる。普通というのは時代と地域で変わるのだ。そして普通は誰かから与えられたり押し付けられることではなく、きみたちで普通を作っていいのだ。だってこれからの20年を生きるんだし。

もちろん年長者の経験は社会の至るところで役に立っている。「これ、こうしたほうが便利じゃない?」という先人のアイディアで社会はどんどん洗練されていく。Amazonだって「こんなサービスあったら便利じゃね?」という発言ではじまり、挑戦をして失敗を経験して成功したいまがあるはずだ。Amazonはアメリカ人が創業したので、たぶん英語で「便利じゃね?」って発言しているはずだ。

いまを生きているみんなが、先人たちの経験とアイディアと失敗と成功によって生活が豊かになっている。Amazonだってここ20年で普及したサービスだ。ぼくが仕事で使うデジタルカメラが普及したのだってここ20年であって、ぼくが生きた20年はちょっと不便だったことがどんどん便利になった時代だ。

でもきっとこれからの20年もどんどん便利になり、いろいろなサービスが生まれるはずだし、法制度だって変わっていくだろう。20年後は排気ガスを出す自動車は見かけなくなるだろうし、自動運転で走行をしているだろう。コンタクトレンズやメガネがスマホのようになり、街中で英文を見たら自動で翻訳されたり、視線入力で駅の改札を通れたり、コンビニで買い物もできるようになる。

夫婦別姓や同性婚を認めましょうという空気だっていまよりもずっと進んでいる。LGBTへの理解が深まったのもここ20年であって、先人が頑張ってくれたからだ。きみたちの子どもが小学生になるころは、ドラえもんのようなAIロボットが人間のパートナーになっているかもしれない。のび太くんのような少年はきっと救われるだろう。

働き方だって大きく変わる。終身雇用の時代も大手だから安泰という時代もとっくに終わっている。新聞社にはいれば安泰とおもわれた20年前だって、購読層が高齢者であることを考えたらこれからの20年は厳しいだろう。もしかしたら日本の自動車メーカーだって、20年後には外国企業が経営しているかもしれない。

きみたちの親や教師は20年とか30年ぐらい長く生きて、経験を積んでいる。でも普通は変化するというということに大人が気づかなければ最悪な場合、これから大人になっていくきみたちにとって有害になりかねない。

20年前の普通が通用したのは20年前だ。これからの未来のために普通を作ってほしいのだ。根本の普通を大きく変えなくとも、すこしずつ「これ、こうしたほうが便利じゃない?」という具合で普通を変えていってほしい。

長々となったけどそんな話を女子高生にしようとおもっていたのだけど、会話をしてみると、女子高生たちはすでにしっかりと理解をしている様子だった。ぼくは理解できていないだろうという誤解をしていた。

えー、すげえ。教育水準高いなぁーって感心していたら、親や教師から教えてもらったことではないらしい。むしろいろいろ面倒くさいので親や教師の前ではわからないふりをしているそうだ。きっと「昔はこうだったんだぞ」という現代では通用しない主張が面倒なのだろう。

彼女たちは学生の目線で社会を見て、しっかりと考えて自分なりに答えを出していた。しかもわからないふりをするという高等技術も身に付けている。それでいいのだ。

 
 

2021年1月8日更新

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連載目次

幡野 広志(はたの ひろし)

幡野 広志

1983年東京生まれ。2004年日本写真芸術専門学校中退。2010年広告写真家高崎勉氏に師事。2011年独立、結婚。2012年狩猟免許取得。2016年息子誕生。2017年多発性骨髄腫を発病。近著他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。 #なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)