ちくまプリマー新書

紛争解決の事例としての薩長同盟

『紛争解決ってなんだろう』ためし読み

世界の紛争はどのように解決されているのか? 気鋭の国際政治学者による紛争解決論入門となる一冊『紛争解決ってなんだろう』より、薩長同盟を例にとったコラムを公開します。

 日本の歴史の中からわかりやすい紛争解決の事例を探したいな、と思っても、なかなかいい題材がないな、と思ってしまいます。例外は明治期の外交くらいです。その前の時代は、「赤穂浪士」的な紛争によって紛争を終わりにする世界ですから、紛争解決論的なアプローチというのは、なかなか主流ではなかったのだろうな、と感じます。

 異色の存在は、坂本龍馬です。土佐藩を脱藩して、浪人として生きていた龍馬にとって、知識だけでなく技能の取得は、死活的な関心事項だったのでしょう。龍馬が設立した海援隊の船舶が、紀州藩の船舶に衝突して沈没した後、龍馬は当時の日本人が目を白黒させたに違いない欧米輸入の「諸国民の法(Law of Nations)」を持ち出して、有利な賠償金を勝ち取りました。

 龍馬が日本の歴史を変えた事件として知られているのは、「薩長同盟」ですね。同じ幕府から距離を置く雄藩でありながら、過去の経緯から、薩摩と長州は犬猿の仲でした。しかし日本の未来のためには、薩摩と長州の和解が必要だ。そう考えた龍馬は、桂小五郎と西郷隆盛という有力者を話し合わせるセッティングに尽力します。

 どこか不思議なところがある薩長同盟については、いまだ歴史家の間で論争があり、龍馬の調停者としての役割もはっきりとはわかりません。ただ、利益の調整が行われたことは確かです。

 薩長両藩ともに自藩の中に路線対立を抱えていましたので、「同盟」路線は、際どい情勢分析の中で行われました。第二次長州征伐の前夜にあって、薩摩の幕府に対する立ち位置が大きな問題でした。そんな中、一八六六年一月、薩摩藩の西郷らは、あえて長州征伐に加わらず、幕府側の勢力をけん制する立場をとることを長州藩の桂小五郎に約束します。それが後に薩長同盟の端緒とみなされるようになった覚書の具体的な内容でした。

 重要だったのは、このときに、薩長両藩はともに天皇中心の「皇国」のために尽力する、という大きな方向性の確認がなされたことでしょう。相容れない目的を持つ当事者が交渉をするときには、まず共有できる目標の確認を行います。各論で相容れない立場を持っていることが明らかな場合こそ、より高い次元で共有できる目的がないかを確認する作業が極めて重要になります。一八八六年一月の覚書では、この作業が明確になされました。

 そのうえで、ともに戦う約束まではしないまでも、幕府側勢力に協力しないことが皇国の道であることが両藩の間で確認されたのは、共通の利益の具体化という点で、重要でした。模範的な交渉/調停プロセスであったと言えるでしょう。

 薩長同盟の準備としては、より実利的な利益の共有策も図られていました。長州藩は、幕府による禁輸によって武器が購入できない状態にありました。薩摩藩の名義で武器が購入できるようになったことは、長州藩にとって巨大な利益の確保でした。武器の決済は、長州藩が米で十分に行うことになっており、それで江戸への交通路にある長州との敵対的関係の解消ができるのであれば、薩摩にとっても利益は大きかったと思われます。

一般に薩長同盟の端緒と評される一八八六年一月の覚書には、龍馬の名前が保証人として記されています。なぜ龍馬が、このような重要合意の保証人になれたのでしょうか?それは龍馬がイギリス籍のグラバー商会とつながっていたことも背景にありますね。武器貿易の面で龍馬は特別な立場にありました。龍馬の海援隊にとっても利益がありました。もちろんグラバー商会にも、大きな利益がありました。維新後にグラバー商会は長崎を本拠地にして、政府相手の広範なビジネスをして大成功を収めました。薩長同盟は、関係者にとってwin-win-win-winと言っても過言ではないような内容を持っていたのです。