資本主義の〈その先〉に

第18回 資本主義的主体 part7
6 謎の量子力学者の提案

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間奏――二つの選挙

 ヘーゲルは、歴史の過程に「理性の狡知」を見た。歴史の現実には合理性が貫かれていて、それは理性がその目的を実現する過程である……かのように見えてくる、というのだ。歴史の渦中で、無我夢中に生きる人々は、意図せざるかたちで理性の手駒になっている(かのようだ)。だが、EU離脱を決定したイギリスの国民投票については、われわれは、歴史の理性にどうしても問いたくなる。理性よ、お前はほんとうは何を欲しているのか、と。
 だが、こうした当惑を抑えて状況を冷静に振り返ってみるならば、これは、だいぶ前からグローバルな規模で進んできた、政治的な対立の構図の変容過程の、ほぼ最終局面に出現する脇筋であることがわかる。まず、伝統的には、政治的な対立は、いわゆる右派と左派との間にあった。右派は、保守とか、ナショナリズムとか、そしてヨーロッパの場合にはキリスト教民主主義とかを看板にかかげた政党である。左派は、社会主義、社会民主主義を唱える政党だ。両者の対立が基本で、その余白に、小さな支持層をもつ「その他」の政党がはいる――極端に右に行きすぎているとされる(ネオ)ファシストとか、極端な左を代表するエコロジストとか、である。これが、伝統的な政治的な対立の構図で、特にヨーロッパでは、これが長く、つい最近まで続いてきた。
 しかし、今や違う。たくさん政党があるように見えて、実は、一つの政党しかないのだ(1)。たとえばイギリスでは、保守党と労働党が対決しているように見えるが、実質的には一つの政党しかない。どういうことか。伝統的な政治的な対立軸は、資本主義に対する態度によって決まっていた。資本主義を基本的に肯定する保守系の右派と、資本主義を否定する――とまではいかないがそこに修正を加えようとする左派、という具合に、である。しかし、今や、グローバル資本主義をそのまま全体として肯定する政党しかない。ということは、事実上、一つの政党しかない、ということである。グローバルな資本主義を代表し、肯定することの帰結は、「寛容」であり、人種や民族や性的少数者や宗教に対して、おおむね許容的になる。このグローバル資本主義を肯定的に代表する(事実上の)唯一の政党に、それでもどうしても対決しようとした場合には、ヨーロッパでは、ひとつしか方法がない。強い反移民的なポピュリズム政党になること――これに、ネオナチのようなタイプのグループが寄生する――である。
 では、イギリスの国民投票は、資本主義推進派と反移民派の対決だったのか、というと、そう単純に言い切るわけにはいかない。そんな対決だったら、勝負はもっとはっきりとしたものだっただろう。基本的には、今述べたように、事実上一つの政党しかないので、対立軸は、誰が資本主義をうまく運営できるのか、つまりはEUのテクノクラート的官僚に行政をまかせておいて、経済はうまく回転するのか、にしかない。要するに、資本主義の内部の技術的な差異、行政的手腕の巧拙が問題になる。率直に言って、ブリュッセルのテクノクラートは、悪戦苦闘していて、目のさめるような成果は上げてこなかった。それでも、EUのテクノクラシーに頼った方がよいと考える者もいたが、EUのテクノクラシーのもたつきに苛立っていた者もいる。後者が、国民投票で離脱に投票した。この離脱派に反移民のポピュリストが加わった。両者の間に親和性が、つまり利害の一致があったからだ。こうして、さしたる希望を抱けない労働者階級とポピュリスト的ナショナリストが同床異夢的に離脱を支持したのである。

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