資本主義の〈その先〉に

第18回 資本主義的主体 part7
6 謎の量子力学者の提案


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 この度の参議院議員選挙に現れた日本の状況にも、これと似たところがある。どこが似ているとか言えば、事実上単一の政党しかないという点が、である。日本には、たくさん政党があるように見えるかもしれないが、そうではない。すべての政党が、グローバル資本主義をそのまま肯定し、代表している点では、共通している。とすれば、違いは、細々とした論点にしかない。どの政党も、実際のところ、メンバーをまとめあげ、多数の政策(案)を貫いている、基本的なイデオロギーや構想をもっているわけではない。人々は、グローバル資本主義というコンテクストの中で、誰が、日本を上手に――とりわけ経済に関して上手に――運営できそうか、という観点(だけ)で投票する(がほんとうは、どうやったらうまくいくかは誰にもわからないので、勘や印象だけで投票するのだが、いずれにせよ、候補者や政党と称するグループの間の差異は小さい)。
 日本の政治的状況の中で、それでもなお、あえて本質的な対立を構成しようとすれば、そのための論点はひとつしかない。日本人は、もともと移民や難民をたくさん受け入れるつもりはないし、日本で暮らしたい難民も少ないので、こうしたことは、ヨーロッパとちがって重要な争点にはならない。日本に残っている大きな対立点は、憲法の問題、つまり改憲か護憲か、だけだ。だが、先日の参院選では、これは争点として前面には現れなかった。どうしてか。第一に、どう改憲したいのかその内容を率直に公言すると、それは、時代錯誤的な極右のようなものになってしまうからだ(2)。第二に、護憲派は、固有の欺瞞をどうしても乗り越えることができずにいるからだ(3)
 まとめよう。ヨーロッパでも日本でも、対立しているように見えて、実際上は、グローバル資本主義を肯定し、現状のまま代表する単一の政党しか存在していない。ならば、この「単一の政党」とグローバル資本主義が、全員一致的に、熱烈に支持されている、ということなのか。そうではない。まったく逆である。このねじれ、つまり強制されたわけでもないのに――すなわち民主的な過程を通じて――政治的な立場が事実上の単一の政党に収斂しているのに、それが、国民によって広く深く支持されているわけではないというねじれの、二つの現れが、イギリスの国民投票と日本の参院選ではないか。
 EUという名の船には希望をもてない。ということで、思い切って船を降りるという選択をしてみせたのが、イギリスである。イギリス人は、決断の後、世界中から嘲笑されたため、今、ひどく不安になっている。
 ほんとうは船から降りたいのだが、政治家(とその候補者)の中には、船から降りてもだいじょうぶだ、という確信を与えてくれる人は一人もいない。彼らは皆、それぞれ、「俺だって船を運転できる」「俺の方が運転がうまい」と言っているわけだが、正直なところ、あまり信用できない。このとき、最も安全な選択肢は、とりあえず、今まで、なんとか沈没させることなく船を運転してきた(ように見える)人にまかせることだ。このように選択したのが日本である。かなりひいき目にみても、画期的な成功とは言い難い――もしかするとぶざまな失敗という評価の方があたっているかもしれない――アベノミクスが、圧倒的な多数によって支持されているかのように見える選挙結果は、こうして出てきた(4-1)(4-2)(4-3)
 とすれば、今何をなすべきか。明らかであろう。資本主義そのものを追認する政党しかないことが、皮肉な結果を生んでいるのだから、やるべきことは、次のことだ。資本主義なるものの原点にまでさかのぼって、その本性を解明し尽くすこと。そして、資本主義の  〈その先〉が可能なのか、いかにして可能なのかに答えること。
 ということで、時事的な回り道から、連載の本道に回帰しよう。

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