資本主義の〈その先〉に

第18回 資本主義的主体 part7
6 謎の量子力学者の提案

予見者の導入

 さて、前回導入したゲームを思い起こして欲しい。行為者、つまりあなたには、二つの選択肢がある。H1とH2だ。賭の要素は、不透明な方の箱Bに、何が入っているのか、にある。予定説に翻訳すれば、箱Bが空だった場合は、最後の審判で否定的な判決を受け、呪われた状況(永遠の死)に対応し、ここに10億円が入っていた場合は、最後の審判で好ましい判決を受け、救済された状況(永遠の生)に対応する。前回、こう述べた。
 では、二つの行為H1とH2はそれぞれ、予定説の信仰のコンテクストの何にあたるのか。H1とH2という二つの行為選択肢の意味は何か。H1が世俗内禁欲(行動的禁欲)の原理に基づき、勤勉に働くことに対応している。H2は、勤勉には働かないこと(怠惰に過ごすこと)に対応している。H1とH2の違いは、目の前に見えている――透明な箱Aに入っている――1000万円を取るか取らないか、である。Aの箱を取らない選択肢H1は、直近の快楽を断念していることを意味している。Aを取る選択肢H2の方は、断念をせず、その快楽に即座に飛びついていることを意味している。このように考えると、H1が世俗内禁欲に似ていることがわかるだろう。
 予定説的な状況とゲームとの対応を整理すると、次のようになる。

     不透明な箱Bの中    空:永遠の死(呪い)
              10億円:永遠の生(救済)
     二つの行為選択肢   H1:世俗内禁欲
                H2:禁欲せず

 前回述べたように、このままの状態であれば、このゲームでは、百人中百人が、選択肢H2を選ぶ。合理的な行為者があえてH1を選ぶ理由は、ひとつもない。ゲームにどのような工夫を加えれば、行為者に、合理的にH1を選択させることができるのか。
            *
 ウィリアム・ニューカムという名の謎の量子力学者が、この条件を付けることを提案する。「予見者V」を導入するのである。予見者Vは何を予見するのか。箱Bに何が入っているのかを予見するのだろうか。そうではない。予見者Vが予見することは、行為主体SがH1を選択するのか、H2を選択するのか、である。加えて、予見者Vには、もうひとつ、重要な仕事がある。この予見者Vにこそ、箱Bに何を入れるかを決定する権限があるのだ。つまり予見者は、箱Bを空っぽにしておくのか、それとも、その中に10億円を入れておくのかを決めるのである(だから、予見者が、箱の中を予見する必要がないことは明らかだろう、彼こそが箱の中身を決めていたのだから)。
 予見者Vの二つの仕事、つまり選択の予見と箱Bの中身の決定との間には、ある関係があるとしておく。予見者Vは、ただ闇雲に、箱Bの中に10億円を入れるかどうかを決めるわけではないのだ。予見者Vは、「行為主体SがH1を選択するだろう」と予想した場合に限って、箱Bに10億円を入れておく、とする。
 したがって順序は次のようになる。まず、予見者Vが、行為主体Sが行為を選択する前に、SがH1を選択するか、H2を選択するかを、予想する。SによってH1が選択されるだろうと予見者Vが予想した場合には、箱Bには10億円が入れられ、逆に、H2が選択されるだろうとVが予想した場合には、箱Bは空になる。その後、行為主体Sが実際に選択する。
 選択に先立って、行為主体Sに、予見者Vが何を予想したかは教えられない。それを教えられたら、箱の中に何が入っているかが事前に分かってしまうので、賭としての性格は完全に消えてしまうだろう。ただし、「予見者Vがいて、彼(または彼女)があなたの選択をH1と予想したときのみ、箱Bには10億円が入っている」ということは、行為主体Sにあらかじめ教えられている。そして、行為主体Sは、選択を終え、箱Bを開けたときに初めて、――箱Bの中に何が入っていたかだけではなく――予見者Vが何を予想したか、を知ることになる。

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