資本主義の〈その先〉に

第18回 資本主義的主体 part7
6 謎の量子力学者の提案

支配戦略は変わらない

 ニューカムに従って、ゲームの設定をこのように複雑化したとき、行為主体Sは、どちらを選択するだろうか。H1とH2のうちのどちらのが、行為主体Sにとって合理的な選択肢であろうか。
 一瞬、行為主体SはH1を選択するはずだ、と言いたくなる。が、よく考えてみれば、この場合でも、行為主体Sにとっては、予見者Vがいないときと状況は何ら変わらない。つまり、この設定の場合でも、予見者Vがいなかったときと同じように、行為主体Sにとっては、H2を選択する方が合理的である。ゲーム理論の専門家であれば、全員、H2の選択の方を支持するはずだ。H2は、ゲーム理論で言うところの「支配戦略」である。支配戦略とは、相手(この場合には予見者V)の出方を考慮に入れたときの最適な戦略(選択肢)のことである。
 H2が支配戦略であることは、次のように考えれば確かめられる。自分自身が行為主体Sであると想定して推論してみるとよい。まず、あなたの選択に関する予見者の予想は、二つ(H1かH2か)のうちのいずれかである。

1. 予見者Vが、あなたSの選択肢をH1と予想したとき(箱Bには10億円が入ってい る)。
 1-1 あなたSがH1(箱Bのみ)を選択した場合。あなたSは「10億円」を得る。
 1-2 あなたSがH2(箱Aと箱B)を選択した場合。あなたSは、箱Aと箱Bの両方のお金    を、すなわち「10億円(B)+1000万円(A)」を得る。
 したがって、あなたSは、H2を選択した方が有利である。
2. 予見者Vが、あなたSの選択肢をH2と予想したとき(箱Bには何も入っていない)。
 2-1 あなたSがH1(箱Bのみ)を選択した場合。あなたSは一円も得られない。
 2-2 あなたSがH2(箱Aと箱B)を選択した場合。あなたSは、箱Aに入っている「1000万円」を得る。
 したがって、あなたSは、H2を選択した方が有利である。

 このように、予見者Vが行為主体の選択を(H1とH2の)どちらと予想した場合でも、行為主体Sとしては、H2を選択した方が得をする。この結論は、予見者Vがいなかったときと変わらない。
 さて、ここでもし、愚かでもないのに、H1の方を選択する者がいたとする。もしそのような者がいれば、それは真性のバラドクスである。実際に、そういう者がいるのだ。これを「ニューカムのパラドクス」と呼ぶ(5-1)(5-2)(5-3)
 誰がそんな奇妙な選択をするのか。それこそ、何度も述べているように、禁欲的なプロテスタント、カルヴァン派のプロテスタントである。だが、どうして、プロテスタントは、合理的にH1を選択するのだろうか。その論理が明らかになれば、ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に記したテーゼの本質を掴み、それを形式化するのに成功したことになる(6)
   予見者Vが神だった場合、絶対的に超越的な神だった場合に、パラドクスが生ずるのである。なぜ、神であれば、そうなるのか。神とは何か、それを十分に理解すれば明らかになる。次回、説明しよう。

(1)『ニューズウィーク』に寄せられたスラヴォイ・ジジェクの次の発言を参照。http://www.newsweek.com/brexit-eu-referendum-left-wing-politics-europe-zizek-474322
(2) たとえば、こんな感じである。https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
(3) これまでの「護憲/改憲」の構図を超えて九条について本質的なことを考えたい人は、是非、以下を読まれたい。大澤真幸・中島岳志・加藤典洋・井上達夫『憲法9条とわれらが日本』筑摩書房、20166月。ここに、憲法9条について、四人の論者による四つのことか提案されている。いずれも、この国で常識となっている護憲や改憲とはまったく異なっている。

(4) 参院選直後(7月11日、12日)に、朝日新聞が実施した意識調査が、この解釈を裏付ける。この調査によると、安倍首相の政策について、「期待の方が大きい」と答えた者は37%で、「不安の方が大きい」と答えた者の比率48%が上回った。それなのに、政権与党は、選挙では圧勝し、またこの調査でも、安倍内閣の支持率は45%と不支持率35%と上回っている。要するに、政権と与党は、政策に期待されていないのに、支持されているのだ。どうしてなのか。この調査で有権者自身に与党が過半数の議席を獲得できた理由を自己分析させると、「安倍内閣の政策が支持されたから」と答えた者はたった15%と、今述べたことが再確認されるとともに、多くの者があげた理由は、「野党に魅力がなかったから」71%である。野党に魅力がないから野党に投票しなかった、というのはトートロジーだが、どうして、野党に魅力が感じられなかったのか、とわれわれとしては問う必要がある。野党が頭が悪いからか。そうではない。野党も与党も、本質的には「同じもの」を肯定し、ほとんど「同じこと」を言っているだけだからだ。こういうときは、すでに現状を掌握している者が、つまり船を運転してきた者が、有利になるに決まっている。
(5) ところで、このゲームを考案したウィリアム・ニューカムという名の量子力学者が何者かはわからない。実在するかどうかも怪しい。だが、このゲームを導入した、ニューカムの論文があるはずではないか。ところがそれが見つからないのだ。出典を遡っていくと、政治哲学者のロバート・ノージックが、(ニューカムの論文から)「引用」したのが、確認できる最初の文献であることがわかる。ところが、その引用元が見つからない。とすると、これはノージックの捏造だったのではないか、という疑いが出てくる。実際、ノージックは、政治哲学をやる前に、量子力学を研究していたことがある。だが、ノージックは、なぜそんな悪戯をしたのだろうか。「ニューカム」というのは、このゲームにおける、実在が疑わしい予見者のようなものではないか。ゲームで、行為者は、予見者のことを告げられるのだが、自分の行為について予想している者などほんとうに実在しているのだろうか、と疑うことができる。
(6) 前回示唆したように、ニューカムのパラドクスとヴェーバーのテーゼとの間に類比が成り立つことを見出したのは、ジャン=ピエール・デュピュイである。『経済の未来』森元庸介訳、以文社、2013年。

 

 

 

  

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