筑摩選書

夢と魔法のエンタテインメントの真実を探る旅

筑摩選書『ディズニーと動物――王国の魔法をとく』は、そのストーリー、プリンセス、動物キャラクター、自然、戦争、科学技術などから、現実世界に及ぼしたパワーを読みときます。名作の真実を探る旅へと出かけましょう。

 ウォルト・ディズニーが生きた時代は「アメリカの世紀」でもあり、映像の世紀でもあり、戦争の時代でもあり、そして大衆文化が飛躍的に発展した時代でもある。ミッキーマウスが誕生したのは、一九二八年のこと。アナーキーで前衛的で、どこまでも自由なこのネズミは、技術と自然の賜だった。その後まもなくして第二次世界大戦が始まり、そしてウォルト・ディズニーは冷戦のただなかにこの世を去った。米ソの緊張が高まるなか、彼が築いた世界は、西側諸国の資本主義的な豊かさを象徴する大衆文化として、また「アメリカ」を象徴する記号として受け容れられてきた。
 ウォルト・ディズニーの時代というものがあるとすれば、一九二〇年代末から没年の一九六六年まで、およそ四〇年間をそう呼ぶことができるだろう。作品で言えば、ミッキーマウスが誕生した一九二八年から最後に手がけた遺作『ジャングル・ブック』(一九六七)までだろうか。だが、ミッキー前史としていくつもの作品があり、また彼の世界は六六年の死とともに唐突に途切れたわけではない。ディズニーの「ミーム」はその後も途絶えることなく、ジャンルを越境し、メディアミックスを前提とした環境のなかで大胆な変容を遂げている。いや、その世界はむしろ、無限にその境界を押し広げ、増殖の一途を辿っているといってもよいだろう。
 だが、こうした展開を迎えるなかで、意外にもウォルト自身が創出した世界については、あまり知られていないのではないか。大学でディズニーについて語ると、『ダンボ』や『バンビ』などよく知られていると思われる作品でさえ、じっさいに映像を見たことのある学生は思いのほか少なくて驚いたことがある。こうしたなかにあって、あえて原点に戻ってウォルト・ディズニーとその世界に目を向け、ディズニーの美学と政治学について自分なりに掘り下げてみよう。そう思って手がけたのが本書である。
 グローバルなメディア帝国と化したディズニー文化を語る前に、その原点にあたるウォルト・ディズニーがそもそも何に関心を抱き、なぜアニメーションというメディアに惹かれたのか、そして二〇世紀を通じてその世界はどのように変容してきたのか。まずはここから問いを始めてみたい。ひるがえってそれは、メディアテクノロジーが進展するなかで、現実と虚構、文化と自然、人間と動物といった二元論に対して、ウォルトがどのように向き合ってきたのか、そして拡張するそのメディア空間を通して、わたしたちの身体がどのような知覚、認識の変容を遂げてきたのかといった問いを探究することになるだろう。

魔法の舞台裏
 一九〇一年に誕生したウォルト・ディズニー(本名ウォルター・イライアス・ディズニー)は、アメリカ中西部ミズーリ州のマーセリン農場で幼年時代を過ごした。その後、父が肺炎にかかり農場を手放すまでここで暮らすことになる。ウォルトはこよなくこの土地の自然と動物を愛していた。そのことは彼の作品にも色濃く反映されている。とりわけ初期の作品には、農場や田園を舞台にしたものが多く、平和で牧歌的な風景が描かれている。また『ダンボ』(一九四一)や『バンビ』(一九四二)は戦時下の時代状況を反映しつつ、動物をめぐるある種の「神話」として機能してきた。ウォルト自身、動物たちは人間の心を虜にし、自然界は大いなる知恵をわたしたちに授けてくれると述べていたように、ウォルト時代のディズニー映画にとって、動物たちは必要不可欠な存在である。
 しかし、その一方でウォルトの世界を特徴づけているのは、自然を徹底して抹消し、浄化した衛生思想でもある。じっさいウォルトが暮らしたアメリカ中西部の大平原は、砂嵐や泥と格闘し、自然の猛威を目の当たりにする場所だった。そのため人々は自然の脅威を忌避し「安全で清潔で快適な世界」に強烈に憧れていたという。それゆえ、ディズニーの世界は、自然の美しさを演出すると同時に、けっしてありのままに自然が成長することは許されず、巨大な資本を投入して、きわめて「反自然的な世界」「徹底的に飼い馴らされ、無菌化、無臭化」された世界に仕上がっているというわけだ(能登路 1990 : 77)。
 ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクは、かつて外部にあったものを内部へと引き込んだ温室のような空間──グローバルな資本主義が生のあらゆる条件を決定する「資本の内部空間」──の最初の兆候を一八五一年の万国博覧会におけるロンドン水晶宮に見てとった(Sloterdijk2013)。わたしたちは、ウォルトが晩年に構想した実験未来都市(EPCOT)──そこは雨や気温、湿度が完全にコントロールされた「気候管制区域」が構想されたジオエンジニアリングからなる空間だった──にその行方を読みとることができる。そこに浮かび上がるのは、メディアテクノロジーと資本を通して、人間を中心に、動物、自然界との共存を企図していこうとする、人新世的な視座からなる未来像である。
 だが、ディズニーをたんに資本主義の象徴としてのみ捉えてしまうと多くのことを見逃してしまうだろう。むしろここで目を向けたいのは、それにもかかわらず、ディズニーが、これほど多くの人々を魅了し、その作品が同意と抵抗の闘技場(アリーナ)として、これほど長きにわたって語り継がれてきたのはなぜか、という問いである。
 スクリーンには複数の欲望が刻印されている。とはいえ、ディズニーの世界において、夢は必ずしも魔法によって叶えられているわけではない。魔法には必ず条件があるからだ。シンデレラの魔法は夜中一二時の鐘の音とともに解け、アリエルは人間の二本の足を手に入れるためにその美しい声を手放さなければならなかった。エルサが手にする魔法は世界を氷結させ、『美女と野獣』(一九九一)や『プリンセスと魔法のキス』(二〇〇九)では、動物の世界から人間の世界へ、あるいは人間の世界から動物の世界へ移行するさいに魔法が働く。だが、魔法は必ずしも夢を叶えるだけではない。場合によっては、「悪」に彩られた邪悪な魔法こそが、物語の原動力となることもある。白雪姫の継母が鏡をのぞきこむのは、そこに自分が望む姿を見たいからだ。白雪姫が願いの叶う井戸をのぞきこみ、その水面に王子と自分の姿を見たように。だが、現実はなかなかうまくはいかない。だからこそロマンスとサスペンスが、そして思いがけないコメディが始まるのである。
 とすれば、ディズニーがスクリーンに映し出してきた物語は、たんなる夢と魔法の世界ではない。では、そこにはいかなるドラマが繰り広げられてきたのだろうか。

テクノロジー、動物、モダニズム
 ウォルトがもたらした世界は、たんに架空のネズミのキャラクターが語り、歌い、楽器を演奏し、音楽のビートにあわせて動くだけではない。二〇世紀初頭、ディズニーアニメーションに魅了されたソ連の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインは、その魅力を「恒久的に割り当てられた形態の拒絶、固定化からの自由、ダイナミックにあらゆる形態をとれる能力」にあると述べている(Eisenstein 1986 : 21)。ドローイングの形状が生き物のように変化していく能力を、彼は「原形質性plasmaticness」と呼んだ。
 この魅力は、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが創出した「逃走線」という概念とも響き合うものだ。逃走することは「現実を生産し、生を想像すること」である。「線(ライン)」とはわたしたちの生であり、欲望そのものを意味していると彼らは言っていた。この「逃走線」という概念から大きな影響を受けた人類学者ティム・インゴルドもまた、「線(ライン)」をめぐる議論のなかで「生きていること」力動的、創造的な流れとして捉え、物質と生命の不可分性を「アニミック・オントロジー」と呼んでいる(Ingold 2011)。
 初期のミッキーマウス映画に充溢していたこのダイナミックな生の世界は、しかし、アメリカのディズニー研究者スティーヴン・ワッツがハイブリッドな「センチメンタル・モダニスト」と呼ぶ世界観と共振しながら物語を紡いでいく。ワッツは、つぎのように述べている。

 ディズニーという笑いと革新、そして収益を求めてたぐい稀な才能を発揮したエンターテイナーは、モダニスト芸術の領域に転がり込み、その形式と技法(テクニック) の実験者となった。だが、彼の真の美意識は、一九世紀のセンチメンタル・リアリズムの内なるリズムにあわせて脈打っていた。彼のヴィクトリア朝的感性は、果敢なるモダニズムへの引力と格闘していたが、どちらも完全に勝利したわけではなかった。この内的葛藤から、彼はハイブリッドな「センチメンタル・モダニスト」となり、二〇世紀のアメリカの鍵となるに重要な文化的変容を手助けしたのである。(Watts 1995 : 87)

 ワッツがここでいうモダニズムを、わたしたちはミリアム・ハンセンにならって「ヴァナキュラー・モダニズム」と呼ぶことができるだろう。つまり、映画、建築、ファッション、写真、ラジオ、レコードといった、人々の生活に根ざした大衆的で土着的なモダニズムだ。これらのメディアは、それぞれの時代と場所に固有の文脈に深く依拠し、にもかかわらず、グローバルな越境性のうちに生産/消費され、新たな集団的知覚と経験をもたらした。その力学は、わたしたち自身の時代を規定する政治的な力学とも分かちがたく結びついている。
 では、そこで語られる物語はどのような歴史を引き受け、何を語り、何を伝えようとしてきたのだろうか。そのさい、テクノロジーの進展は、ディズニーが一貫して探求してきたリアリティ、あるいはリアリティの擬装をどのように刷新し、それによってわたしたちの知覚はどのように変容してきたのだろうか。
 ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは映画をひとつの遊戯形式として捉えようとした。ベンヤミンにとって、映画は資本主義的、帝国主義的に使用され、自然を支配し、人間性を(自己)破壊する道具と化してしまった技術を、「自然と人類の共同遊戯」として覆す最後のチャンスだった(ハンセン 2017 : 286)。子どもが月とボールを取り違え、月に手を伸ばしてそれをつかむことを学ぶように、ベンヤミンは技術による諸感覚の疎外とそれを無効化し、自然と技術のオルタナティヴな関係を始動させるユートピア的可能性を映画のなかに探っていた(ハンセン 2017: 174)。だからこそ、ミッキーマウスを(複製技術論文の第二校で初めて打ち出された一九三六年から少なくとも一九三九年に第三校で削除されるまでは)、その「サイボーグ的性質」によって「集団的な夢の形象」として捉えたのである(ベンヤミン 1995 : 620)。
 テクノロジー、動物、そしてセンチメンタル・モダニズム。これはウォルトの世界の根幹をなすキーワードである。そしてディズニーがスクリーンに映し出してきた数々の物語は、二〇世紀を牛耳ってきたアメリカが文化とテクノロジーを通して映し出した大衆の欲望の鏡となっている。
 じっさい、ウォルトほど「大衆」をつくり、「大衆」にとりつかれたアーティストは他にいないだろう。「わたし」の欲望がつねに「他者」の欲望であるならば、「大衆」の欲望こそ、ウォルトの欲望だった。それは一八世紀の農民たちが民話を通して語り継いできたように、二〇世紀の映像民話として多くの人々に伝えられ、また時代とともに大きく変容していく。
 もちろん、イギリスの批評家レイモンド・ウィリアムズが指摘したように、「大衆」というものが存在するわけではない。ただ人びとがそうみなす様々な方法があるだけだ。では、その方法とはどのようなものだったのだろうか。そこに「女」は、「動物」は、「子ども」は存在するのだろうか。その「大衆」が「消費者」となり、「国民」となったとき、何が起きたのだろうか。かつてアドルノが警鐘を鳴らしたように、それがファシズム的心性をうむイデオロギーや戦争プロパガンダに加担したとすれば、その背後にはどのような構造があったのだろうか。ディズニーの世界になくてはならない動物たち、あるいは人間ならざるものたちは、人間とどのような関係を結んできたのだろうか。そしてまた、そこには、どのような視線のメカニズムが存在し、それは何を可視化し、何を不可視化してきたのだろうか。

疎外のファンタジー
 ウォルト・ディズニーの世界はつねにどこか不気味な死の轟きに憑依されている。そう言ったのは、美術批評家のジョン・バージャーである。それはたんにウォルトの生きた時代が戦争の時代であったからではない。バージャーによれば、二〇世紀を代表するアーティスト、フランシス・ベーコンの狂信的で不条理な視点を共有し、社会の疎外状態について提示したのは、ベケットのような作家ではなくウォルト・ディズニーであるという。
 もちろん、ベーコンとディズニーの手法はまったく異なっている。だが、疎外された状態をすでに起こってしまった最悪の事態として捉えたのがベーコンなら、それを滑稽で感傷的に描くことで世間に受け容れられたのがディズニーなのだ。

 ディズニーの世界は無益な暴力に満ちている。究極的な破滅が次から次へと起こる。彼が創り出した登場人物は個性があり神経質な反応は示すが、心が欠けている(ように見える)。もしディズニーのアニメを見る前に「そこには何もない」といったキャプションを読み、それを信じれば、その映画はベーコンの絵と同じくらい、私たちを恐怖に貶めるだろう(バージャー 1993: 148-149)。

 これまで夢と魔法をキーワードに語られてきたディズニーの世界は、じつは疎外をめぐる壮大なファンタジーでもあった、というわけである。
 バージャーのこの指摘に出会ったとき、わたしは、ディズニーがなぜこれほど数多く動物たちが織りなす世界、人間ならざるものたちの世界あるいは社会から追放されたものたちの世界を描いてきたのか、その謎が一気に解けるような気がした。ディズニーの世界は、わたしたちの社会における疎外をめぐる問いと深く関わっているのだ。
 とりわけ、初期のウォルト・ディズニーのアニメーションでは、少女、子ども、動物、非生物、機械という、「人間」を規定してきた西欧の進化をめぐる歴史の物語において周縁的/撹乱的な位置を占めてきたものたち、いわば、理性的で合理的な文明社会の陰画として死の世界に追いやられたものたちの存在が重要な鍵を握っている。そこでは、魚も虫も獣も鳥も、みな同じ言葉を話し、人工物と自然の境界を越え、あるいは逆に生物がモノ化する、自然と技術との可塑的で遊戯的なヴィジョンが呈示されていた。
 文明社会から駆逐された彼らは、スクリーンのなかで今とは異なる別の未来に向けて物語を紡ぎ出す。彼らに通底するある種の孤児性は、その後のディズニーの世界では、規範的な家族の物語へと回収されていくことになるが、にもかかわらず、初期のミッキーとその仲間たち、白雪姫、ダンボ、バンビ、ピノキオをはじめとするその主役たちが、テクノロジーによってそれぞれの生命を獲得し、異種生物間との親密性のなかで自分たちの物語を紡いでいったことは、もっと重視されてもよいのではないか。

映像とエコロジー
 ディズニーの世界には自然や動物に対する人間の認識の仕方とその変化が、そしてまた人間と動物の想像的/創造的交渉の過程をめぐる独自のドラマが色濃く描き込まれている。
 ただしそこでは、「人間である」ことから疎外された状況において、「人間」という存在の特権性を切り崩すことなく、いかにしてその権利や生を回復していくのかというテーマが物語の「幸せな結末」へと結びついていく。もちろん、その「幸せ」のバロメーターは時代とともに質的に変化を遂げ、そこでは「人間性」そのものが問い直され、更新されていくことになる。だか、それにもかかわらず、その先が「多自然主義」の境地に至ることはない。よくも悪くも二〇世紀の欧米諸国で唱えられたエコロジーをめぐる認識が残響しているのだ。
「エコロジー」という言葉は、habitat(「特性に沿う生息地」)を意味するラテン語の語義から進展し、一八世紀以降は動植物の相互関係や生息地との関係を意味していた。レイモンド・ウィリアムズの『キーワード辞典』によれば、エコロジーはエコノミーと同じく、ギリシア語で「家」を表すoikosを語源にもっている。一八六六年にドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルが提唱したこの概念は、一八七〇年に翻訳を通じて英語に入り、二〇世紀半ばまでそれほど一般的に使われていたわけではなかった。当初、この言葉は、人間と自然生息地に関する事柄一般を含む環境environment を表現する立場を継承し、その後、一九六〇年代以降に人間と自然との関係のみならず、自然界を経済政治政策に必須のものとみなす立場へと展開していく(ウィリズムズ 2002 :106-107)。そして今日、人間の経済活動を中心とした価値観によって人類が地球を破壊しつくす「人新世」の時代にあって、わたしたちは人間と地球に生息する様々な人間ならざるものとの関係をめぐって、改めてこの言葉に出合いなおしつつある。
 かつてマルクスは商品に対して、そしてフロイトは夢に対して、その中身よりも、なぜそのような形式──商品であり夢であり──なのかと問うた。いま、わたしたちはこう問うことができるだろう。なぜディズニーはアニメーションという形式にこだわったのだろうか。アニメーションというメディアは現実に対して、また環境に対して、わたしたちの知覚や認識とどのような関係を結び、またその感性的変化はテクノロジーの進展とともに、ポストメディウム論的な世界のなかでどこに向かうことになったのだろうか。そして、ディズニーがスクリーンに描き出した物語は、人間と動物、人間と自然の関係性、つまりはその「あいだ」のエコロジーをめぐる認識の変容について、どのようなダイアローグの場として機能してきたのだろうか。
 ウォルト・ディズニーの世界を探ることは、すぐそこにあるのに見えていない、エドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」を探し出すような作業に近いものかもしれない。いざ取りかかると、その世界があまりにも広く、そして奥が深いことに気づいた。だが、さまざまな資料をもとにウォルトの世界を読み直していくと、その豊饒な作品世界は、文学、芸術、歴史、科学、テクノロジー、政治、経済、文化が複雑に交錯する地平から、思いがけない秘密をつぎつぎと語り始めてくれる。

【目次より】

序 章 ディズニーと映像の政治学
第一章 ようこそ、ウォルトの不思議の国へ
第二章 ミッキーマウスの生態学
第三章 姫と魔女のエコロジー――ディズニーとおとぎ話の論理
第四章 「バンビ・シンドローム」とネイチャー・フィルムの誕生
第五章 象とサーカス――ダンボとジャンボの動物政治学
第六章 ネズミは踊り、ドイツは笑う――戦争とプロパガンダ
第七章 ディズニーとSF的想像力――冷戦とアトミック文化の展開
第八章 文化と所有――くまのプーさんと著作権論争
終 章 ポストディズニーの時代――プリンセス・動物・イノセンス
 

関連書籍