ちくま新書

一冊でわかる、養老孟司の「思考の宇宙」

『唯脳論』『バカの壁』など、独特の観点から「ヒトの生き方」を探求・批評してきた解剖学者 養老孟司。その思考の世界を、解剖学教室の35年来の愛弟子の著者が、分かりやすく体系立てて案内する『養老孟司入門』。「序章」を試し読みとして公開します。

 この本は、養老孟司入門というものです。
 養老先生の著作は、たくさんある。既に養老先生の本を何冊も読んだ、という方も多いだろう。しかしどれを読んだらいいのか、迷われる方もいるかもしれない。もちろん、どれでも一冊、気になった本を手にとって読み始めるのでいい。しかし、こういう養老孟司入門とタイトルのついたこの本から読み始めて頂くのもいいのではないか。あるいは、既に何冊も読んだという方には、この本が養老先生の世界をより深く理解する一助になれば、とも思う。
 この「入門書」は、ひとつの意味としては、そんなふうに、読者の方にとっての入門になればということであるが、同時に著者である自分にとっては別の意味もある。つまり、自分の人生、とくに研究人生とは何だったのか、といえば、それは「養老先生という門」を叩く入門であった、ということだ。さらにその入門の時間は、今も続いている。その意味では、この本の執筆は「養老孟司入門」であり続けた自分の人生を見つめ直し、自分の頭の中を整理する作業でもあった。
 もう前世紀の話で1990年代のことだが、自分は、東京大学・医学部・助手(文部教官)という仕事をしていた。所属は、解剖学第二講座というところで、ひらたく言えば、養老孟司先生の研究室の助手で、医学部の学生への教育に関することとか、養老先生の仕事の手伝いとか、自分の研究をするというのが職務だった。
 その頃のことで、いろんなシーンが思い出される。まずは、その話から。

脳より大切なものがある

 養老先生は、いつでも本を読んでいた。
 ある日、大学のトイレで用を足していた。医学部本館にあるトイレの窓からは、銀杏並木が見える。自分が景色を眺めてジャーッとやっていると、誰かが横に立つ。見ると養老先生だ。挨拶しようとしたが、やめた。片手に本を持って、小用を足している。その集中した姿に、話しかけてはまずい、と思った。殺気すら感じた。養老先生は、自分(つまり布施)がいることに気がつかなかったかのように、用が済むと、本を読みながらトイレを出て行った。
 養老先生は、どこでも本を読む。赤門から医学部へ続く並木道でも、本を顔の前に掲げ、歩いていた。養老先生は、そんな読書癖をエッセイでも書いている。電車で読む。風呂で読む。それは決して誇張ではない。恩師が本を読みながら入浴しているという姿を見たことはないが、少なくともトイレでは立ったまま読んでいた。
 当時の養老先生の思い出は読書する姿だけではない。おそろしいまでに記憶力が良い人という印象もあった。たとえば数日前に話したことを、細かい言い回しまですべて覚えている。「布施くんが言った、その時のあれは……(「その」「あれ」には具体的な言葉が入る)」と、詳細に話す。よくぞ何でも覚えている、そんな人、初めてだった。
 しかし記憶力が良いだけなら、録音機能のついたビデオと同じである。養老先生の驚くべきところは、発想も鋭い。ユーモアもある。つまり、ほんとうに頭が良い。
 冗談も多かった。400万部を超える大ベストセラーとなった『バカの壁』でも使われる「バカ」という用語だが、先生はその頃からこの言葉を愛していた。解剖学教室には、動物の骨も多い。そこで馬と鹿の骨を並べて、これがホントの馬鹿の骨だ、などと言って面白がっていた。
 恩師から学んだことは多いが、この「馬鹿の骨」は応用がきく。ぼくは伊豆の山でイノシシ狩りをする。稀にだが、狩り仲間の罠に鹿がかかることがある。いっぽう馬刺しならスーパーに売っている。そこで二つの肉を入れたクーラーボックスを持って、いつか鎌倉の先生のお宅に馳せ参じたい。「先生、とうとう馬鹿料理ができました!」と。
 養老先生の最初期の著書に『脳の中の過程』(1986年、哲学書房)という本がある。1988年に自分は最初の単著『脳の中の美術館』(筑摩書房)という本を27歳で出したが、なんのことはない、そのタイトルは『脳の中の過程』の最後を「美術館」に変えただけである。
 自分の話はともかく、養老先生の『脳の中の過程』だが、この本には既に「馬鹿の壁」 という言葉が出ている。新書『バカの壁』(2003年、新潮新書)には、『形を読む』(1986年、培風館)から取ったとあるが、それ以前に雑誌に書いた文章を集めた『脳の中の過程』に、すでに登場している言い回しである。どの本が初出かという詮索はともかく、「バカの壁」は、先生が著作活動を始めた頃からの、いわばライフワークともいえるテーマでもあった。
 養老孟司といえば「脳の人」である。『脳の中の過程』という本のタイトルもそれを語っているし、初期の代表作は『唯脳論』(1989年、青土社)である。NHKテレビ『脳と心』でキャスターを務めたことも、そのイメージを補強している。しかし実際は、養老先生の思想は反=脳である。『唯脳論』でも、タイトルに惑わされずに本文をしっかり読めば、そこに書かれたメッセージは「脳より大切なものがある」ということだとわかる。その大切なものとは、身体とか自然である。
 しかし、養老先生の本領は、やはり「脳」にあったと思う。『バカの壁』というタイトルが暗示しているのも、頭が良いとか悪いとか、ようするに脳をめぐっての話だ。おそらく養老先生の才能は、脳をめぐるあれこれを語るとき、いちばん言葉にリアリティや強さが出た。脳、バカ、そういうものを論じるのに、もっとも適したキャラクターをもっている、ということなのかもしれない。そして、養老先生が、「脳より大切なものがある」というメッセージを送ろうとしたのは、まさにそんな「自分」を乗り越えるチャレンジだったのかもしれない。

最後の解剖学者

 話は変わる。
 自分が養老先生に初めてお会いしたのは、1985年、自分が25歳の時だった。当時、自分は東京藝術大学の大学院生だったが、同時に東京大学医学部解剖学教室に特別研究生という身分で出入りさせてもらえることになった。いわば内地留学のようなもので、週に3日は上野の藝大に、残りの3日は本郷の東大に通う日々だった。そこで、自分は養老先生と、解剖図をテーマにした共同研究をさせていただくことになった。
 先生の指導法はこうである。たとえば都内に、古い医学書を集めた研究所がある。そこに自分を連れて行く。ライブラリーから大きな解剖書を一冊取り出す。17世紀にオランダで出版された『ビドロー解剖書』だった。ラテン語の解説文とともに、たくさんの美しい解剖図が載っている。こういう絵の研究が、自分のテーマだった。
 養老先生がその中の一ページを開く。内臓を取り去った解剖体が描かれている。
「布施くん、ここにハエが止まっているだろう」
 養老先生は、その解剖体の男の、足にかけられた布の部分を指す。たしかに、左足の付け根あたりにハエが一匹、描かれている。
「どうして、ここにハエがいると思う。考えてみなさい」
 それが養老先生のアドバイス法だ。あとは、自分が答えを出すしかない。
「ともかく、毎日、毎日、この解剖図を見ていなさい。そうすれば、いつか何かが見えてくる。その何かをぼくに語りなさい」
 こちらも真剣である。「何か」が見えたら、本になる。大学院生の自分にとって最初の著書である。そこで下宿にその本の複製を持っていき、毎日、眺める。絵に近づいたり離れたり、目を細くしたり開いたり、また、絵から離れていろいろ考える。ハエってなんだ? 絵ってなんだ?
 そうしていくうちに、たしかに何かが見えてきた。そうやって養老先生とぼくの共著『解剖の時間』ができあがった。
『解剖の時間』は、共著であるが、まずは自分が原稿を書くことから始めた。そこで養老先生の著作『ヒトの見方』や『脳の中の過程』の文章を参考にした。共著なので、まずは養老先生の文体に合わせないといけないと考えたのだ。しかも都合がいいことに、いくら養老先生の本からアイデアを取っても盗作にならない。何しろ養老先生との共著を書いているのだ。そうやって、自分は養老先生の本を「先生」にして、恩師の考えや文体を、自分の血肉とする作業をした。
 もちろん、自分が書いた原稿だけでは足りない。浅い。そこで『解剖の時間』は、まず自分が原稿を書き、次の作業で、養老先生が加筆修正をする。新しい章も書き足していただいた。そうやって完成した。
 自分が養老先生から与えられたテーマは、解剖図の歴史だった。しかしそういう研究をしていると、解剖図の「図」を離れて、解剖学そのものの歴史に目がいくようになる。養老先生は解剖学者である。その恩師は中井準之助先生というが、当たり前だが解剖学者で、さらにその恩師に小川鼎三という解剖学者がいる。そうやって、解剖学の歴史は続いてきた。明治や江戸の日本だけではない。ヨーロッパでは、ルネサンス時代のレオナルド・ダ・ヴィンチや、1543年に『人体構造論』を著した解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスまで歴史を溯ることができる。
 解剖学は伝統のある学問である。しかしそれは、時代遅れの学問ということでもある。何しろ、今では電子顕微鏡で細胞を覗いたり、クローンだ、臓器移植だ、再生医療だ、iPS細胞だ、という時代だ。そんな中で、メスとピンセットを手に人体の解剖などしても、新しい発見などない。20世紀というのは、解剖学というジャンルが、一つの終焉を迎えた時代でもあった。養老先生も退官した今、東京大学には「解剖学教室」という名のセクションはない。
 だから、自分は養老孟司先生のことを、最後の解剖学者と呼びたい。
 この「最後の」というか「終わり」というか、曲がり角は、養老先生自身の人生にもあった。ぼくが東大の解剖学教室に出入りする少し前、どうやら先生は別のスタイルの学者であったらしい。顕微鏡の前に坐り、手では死体や小動物を解剖し、あれこれ研究していた。ぼくが養老先生のところに通うようになった頃、研究室の人はしばしば、「養老先生は変わった」と呟いていた。確かに、その数年前から、学術雑誌でない雑誌に文章を書き、テレビで小説家と対談し、そして解剖学だけでなく社会を論じるというような活動も猛烈にはじめた。そもそも、自分のような芸術大学からの大学院生を、医学部の研究室に迎えること自体、かなりなことである。その意味では、自分が知っているのは、「解剖学者以後」の養老先生でしかないのかもしれない。
 しかし先生は、五十代半ばすぎまで、解剖学教室で研究生活を送っていた。人生のほとんどである。いくら活動のスタイルが変わったといっても、解剖学者であることは骨の髄まで染み込んでいる。やはり何をしても解剖学者なのである。この本の第一章では、養老先生の本『形を読む』を取り上げるが、そこには、特に解剖学者としての面影が色濃く刻まれている。
 解剖学の歴史の始まりをレオナルド・ダ・ヴィンチあるいはヴェサリウスとしても、500年以上の時間が流れた。古代ギリシア、あるいはエジプトまでその起源を溯れば、とてつもない時間の流れである。そういう一つの学問の伝統が、一体、どんな終わり方をするのか。
 解剖学とは、自然科学である。だから客観的な真理が探究される。しかし研究室で、ふと、解剖する手を止めて、「解剖とはなにか?」「ここにある死体とはなにか?」そして「ヒトとはなにか?」を考えることがある。普通、自然科学では、そういうことは問わない。目の前のデータを整理するだけで手一杯だからだ。しかし、解剖をしていれば、誰でもふとそんなことを考える瞬間がある。だが、科学ではそういうことは邪念だということで切り捨てられてきた。科学者には、他にすることがあったのだ。
 しかし、「最後の解剖学者」がやったのは、そこで敢えて手を止めてみることである。「解剖とはなにか?」「ここにある死体とはなにか?」そして「ヒトとはなにか?」、そう考えることは、これも解剖学なのではないか。それを最後の解剖学者の姿、と言いたい。
 もちろん、これからも若い解剖学者は次々と現れることだろう。つまり最後の解剖学者とは、あくまで「ある態度」を指している言い方だ。それまでの歴史を背負って総括し、それを別の分野にもつなげる。それが「最後の」解剖学者というスタンスなのだ。
 解剖学には、しっかりした内容の教科書がある。もう完成している。やはり、それが解剖学そのものなのかもしれない。しかし実際の解剖をしていると、今でも教科書には載っていないものがいろいろ見えてくる。手触り、匂い、思念。解剖とはそういう五感や知性に包まれてやる作業である。だが、学問が整理され、完成していくなかで、多くの感触が切り捨てられていった。客観的な科学からは、雑念が追い払われていった。それらは「解剖学以前」、つまり学問以下のことだと考えられたのだ。
 しかし最後の解剖学者は、完成した体系を前に、それに押しつぶされまいと、再び自分で考えることを始める。解剖学以前に戻る。ある意味、時代遅れの思考である。だがその時、陸上のトラック・レースで最後尾を走っていたはずのランナーが、一周遅れで突如トップの位置に立つように、脚光を浴びる。最後であるがゆえに、最初になる。それが養老先生の成功の図式なのだろう。解剖学は、その歴史の終わりに、大きく花開いた。古いものは、新しい。

書き下ろしの著作を読み解いていく

 この本は、第一章『形を読む』(1986年刊、初版)から始まり、養老先生の書き下ろしの著作を読み解いていくという構成になっている。
 養老先生の書き下ろしの本には、その『形を読む』(培風館)と、『解剖学教室へようこそ』(筑摩書房)、『考えるヒト』(筑摩書房)、『無思想の発見』(筑摩書房)、そして『遺言。』(新潮社)の五冊がある。その5冊に、養老先生の代表作ともいえる『唯脳論』(青土社)、『バカの壁』(新潮社)を加えた7冊を、それぞれの章で取り上げていくことにする。つまり、この本は、まず養老先生の書き下ろしの著作を読み解く、というのが軸になっている。
 なぜ、書き下ろしなのか?
 いまでも、はっきりと覚えている光景がある。東大の解剖学教室で、談話室のような部屋で、一人で寛いでいた時、養老先生が現れた。そして手にした新しい本、できあがったばかりの『形を読む』を差し出して、「新しい本ができたよ。読んでみて。やっぱり、書き下ろしは良いな」と力強く言った。それまで養老先生は、雑誌に書いた短文を集めた本や、対談本など、何冊かの著作があった。しかし一冊の本として、新しく構成を考え、体系立てて、一つの世界を作る書き下ろしという形式に、強い手応えを感じていたようだった。
「やっぱり、書き下ろしの本は良いな」
 その言葉は、それ以後、長い間、自分の脳裏に響いている。だから、養老先生の世界の本質を知るには、やはり書き下ろしの本を読み解いていくことなのだと思う。あれこれ思索し、短い文を書き、アイデアの引き出しが増えていく。それらが熟成され、一つになり、そしてある時「書き下ろし」という形で、体系立った一つの宇宙が出来上がる。そんな書き下ろしを読んでいくことで、養老先生が考えたことに迫りたい。
 この本で書いた「養老孟司の読み方」を体得していただければ、ここで取り上げていない他の養老先生の本を読み解く助けになる、そうなればと願ってもいる。
 また、もし養老先生が、生涯で一冊の本を書いただけなら、どのような本になるか。この『養老孟司入門――脳・からだ・ヒトを解剖する』という本での自分の試みは、そういう作業でもあった。
 ともあれ、養老孟司の著作を、あらためて読み解いていこう。

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