鬼海弘雄

西方への窓
一枚の写真:鬼海弘雄の仕事

2020年10月19日、写真家・鬼海弘雄がこの世を去った。無数のイメージが現れては消える現代社会にあって、地に足のついた確固たる写真の表現を追求し続けた稀有な存在だった。本特集では、さまざまな角度から、鬼海弘雄の作品と人となりとをたどる。
「一枚の写真」は、さまざまな方に鬼海作品との出会いをつづっていただくリレーエッセイです。今週は、KUMAさんことゲージツ家の篠原勝之さんです。

 家を飛び出して内地に渡り、辿り着いた東京生活も長い時間が過ぎていた。古い街並みが取り壊され、あっちこちからニョキニョキと錆びた鉄骨が剥き出しになった東京はあらためて鋼鉄都市だった。鉄屑に引寄せられシチーの水際に彷徨って、オレの鉄器ジダイが始まった。たちまち様変わりしていくプラスチックで小洒落た街並みに息苦しくなって、山岳地帯に建てた作業場に移り棲んだ。
 鉄の作業場の二階六畳間、三面を床から天井までの本棚に設えるようムラの大工に特注した。ジジイも極まってくると筋肉疲労の回復にジカンがかかる。本棚の狭間で燻るオレは羽化の時を微睡む繭玉の蛹だった。
 古本街で探しやっと買い揃え何度も読み返した作家の重厚な箱入全集は上段にズラリと誇り高く居並ぶ。その時々に読み散らかし二度と捲ることがないままの単行本や文庫本を従えているようだ。重くて平積みにしたサルバドール・サルガドの大判写真集の棚板は撓んでしまった。読書もさることながら何より極寒の冬を凌ぐ断熱材としてオレを護ってきた。しかし古本屋にしてみれば十羽一絡げの代物らしい。「えーい、持ってけドロボー」みーんな売っ払った。
作業の合間に畑や蓮池の土や泥にまみれているうちオレの鉄器ジダイは終わり、土くれのジダイに変わった。土くれをひとつ手捏ねしてはひとつ焼く〈いっこ窯〉を引き摺って、次なる未体験ゾーンへの大移動を決心した。

 そんなとき、たった一度だけすれ違った写真家の旅立ちを知った。作業場の隅には売れ残りのガラクタと、釉薬や粘土を入れた木箱が積んであるだけで、これだけ探しても見つからないのは古本屋のトラックに紛れてしまったに違いない。オレ宛てにサインまで記してくれた『India』だったのに。
 開け放った北の窓に垂れ下った枯れた藪枯らしが風にふざけ合う。窓際に積み上げた木箱の三段目、曇った北の空へ突き出した人差し指は、西方を指し示していたあの指だ。
 この表紙を西側の本棚からオレの点前座に向け、目の高さに立て掛けて置いていた。真ん中の男が突き上げる左の人差し指の方角がタイトル通りに西を向くためだ。実際に西側には、ダラムサラから望むヒマラヤを想わせる甲斐駒ヶ岳の端正な三角形が迫っていた。
 目印のない一日の区切りの夕刻、鉄瓶で湯を沸かし独りっ茶の時間だ。葉緑素が溶け合う微細な液体がゆっくりとオレの身体を落ちていく。棚に嵌った表紙は『西方』と名付け一幅の軸に見立てた。寸法すら異形にした三人連れのそれぞれは、荒野を往くマクベスに予言を授ける老魔女に見える日もあった。天を指し示す洗礼者ヨハネの指や、天上天下唯我独尊の天さえ想わせてくれた夕暮れの点前である。
 かつてガンジズ川周辺に出掛けるコトになったオレの袂には、壺から溢れた親父の欠片をオッカサンが木槌で砕いた封筒があった。真っ黒い小さな弔い舟には三人の漕ぎ手が乗っていて、靄った日の出に封筒をかざすとドンヨリと漕ぎ出す。白い灰はサラサラ赭土色の川面へ接し刹那に消えた。
 写真家は『西方』を指差す一瞬の指をどのように待ち構えたのか。一度だけ大接近したあの日に確かめたかったなぁ。

西方を指す男(『India 1979−2016』)

 

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