ちくま学芸文庫

女子大のトイレからはじめる考古学的思考
ちくま学芸文庫『考古学はどんな学問か』より

2021年2月にちくま学芸文庫より刊行された鈴木公雄先生の読んで楽しい入門書『考古学とはどんな学問か』より、考古学の考え方がよーくわかる冒頭の一節をご紹介します。

女子大学のトイレ

 以前に約一〇年間ぐらい、ある女子大の非常勤講師をしていたことがある。そこの講師室のとなりに講師用のトイレがあったが、ここではじめて用をたしたとき、このトイレは何か変だなと思った。というのは、男性用の小用のためのトイレが壁にポツンと一つあり、あとはいわゆる大用のものが四つもあるばかりでなく、小用のトイレによくある両側の間仕切り板もなかったからである。

 何となくまわりから無防備な感じでトイレを使うことにもようやく慣れてきたある日、ついに事件が起こった。私が用をたしているとき、背後のドアがバタンと開いて、何と女性がお出ましになったのである。イカンともしがたい私は、ただただ前をにらんで立ちつくすのみだったが、女性が出ていったあと、あわててトイレの標示をもう一度確かめたのはいうまでもない。幸いに、私が女性用トイレに侵入していたのではないことはわかったが、同時に、ここは男女共用のトイレであることもはっきりした。

 この事件以後、このトイレの特殊な構造が私にははっきりと理解できるようになった。つまり、このトイレは本来は女性用に設計されたものにちがいない、ということである。設計当時には、女性の講師が大部分で男性についての設備を考える必要はなかったのだろう。ところがその後になって、男性の講師も出講するようになったため、応急の処置として壁ぎわに男性小用のトイレ一カ所を追加した。ところが、そこは本来窓があいている所で、私が用をたすと、狭い通りを通学して来る女子学生がよく見える。こちらから見えるということは、向こうからも見えるということで、目などが合ってしまうと大変ぐあいが悪い。本来トイレをつけるべき位置でない所を改造したから、こんな不都合も生じるのである。男性小用のトイレが裸のままポツンと一つだけとりつけられていたのは、トイレの利用者のほとんどが女性であるというこの大学の性格を端的に示すものにほかならなかったのである。

 これ以来、私は建物の中にあるトイレの種類とそれらの配置に興味を持つようになった。小学校のトイレは、子供用のかわいいのがズラーとならび、はじっこに先生用の大きなのがデンと一つおかれているという、特有の配置があることがわかった。入ったことがないから確かなことはいえないが、女子トイレの場合もほぼ似たような構成になっているのだろう。最近では自治体の公共建造物などには身体障害者用の設備がそなえつけられるようになってきている。このように、ある建物のトイレの種類と配置を調べれば、その建物が主として男性に利用されていたのか女性に利用されていたのかといったことや、ある特定の年齢の人々(主として子供)が利用していたのかといった、利用者の性別・年齢差などを知ることができる。そしてこれは、その建物が何のために作られていたのかを知る重要な手がかりとなる。

 なぜこんな話からはじめたかというと、以上のような考え方が実は考古学的なものの見方にほかならないからである。つまり、考古学は、文字による記録からではなく、人間が作り、利用してきたさまざまな「もの」の特徴やあり方を通して、人々の生活のありさまや考え方などを知り、それらを歴史として組み立てていこうとするのである。

三菱重工爆破事件

 文字のない時代ならばともかく、現代では何もいちいちトイレをうろつかなくても、校門の看板を見れば女子大か小学校かの区別はたやすくつくではないか、という向きもあるだろう。確かにその通りにはちがいない。しかし、そこにはいつでも「文字による情報が期待できる」という前提のあることをわすれてはならない。もしそれがなかったらどうするか、はっきりいって「もの」によって知る以外ないのである。

 三菱重工本社ビルの前で時限爆弾が破裂し、多数の人々がなくなった事件(一九七四年)で、犯人グループを追及するためにとられた手段の一つは、爆発によって道路に飛びちったさまざまな破片をたんねんに残らず拾い集めるという作業だった。爆発中心からの距離や、道路、街路樹等の配置を考えに入れ、いくつかの区分を設けて破片は集められたのであろう。これらはポリエチレンの袋に入れられ、全体としてはトラック何台分かに及んだと聞いている。

 次の作業は、この山のような大量の破片をいちいち仕分けして、どんな破片がどのくらいあり、その中から爆発物に関係するとみられるものの破片をみつけ出すというこまかな根気のいる仕事であった。この破片は爆発物をしこんでおいた容器の破片なのか、道路によくみかける金属製のごみ箱の破片なのか、それとも駐車していた自動車やオートバイの部品なのかを確かめつつ、爆発物はどんな容器に入れられ、どんな装置を用いて爆発されたのかといった、いわば犯行の手口が復元されることになる。この結果、爆発物はペール缶という特殊な容器に収められていたことが明らかとなったのである。おそらくその缶の破片から爆発物の反応があったことと、そのような特殊な缶が、丸の内のビジネス街の道路にはめったにありえない、ということによって、爆発物の容器だと断定されたのだろう。

 この捜査の根本には、犯行に用いられた道具類は、たとえ粉々になったとしても完全に失われてしまうものではなく、それらの一部は手だてさえつくせば必ず発見できるという考え方が横たわっている。つまり、人間はいろいろなことをするさいに、多くの場合、その行為の結果としての物的証拠を残すのであって、それら物的証拠は、いかにそれを消滅させようとしてもすべてを消し去ることは不可能なのである。そしてここに、物的証拠にもとづく、人間の行為の復元が可能となるのである。考古学もまた、これと全く同じ考え方に立って、過去の人類の残した物的証拠=「もの」の中から、過去の人類の行為を復元しようとしているのである。ちがうところは、集められる物的証拠が何千年という年代の中で地中深くうずもれてしまい、発掘という作業が必要となる点ぐらいである。

 私の大学で考古学を学んでいた学生の一人が火災保険会社に就職した。火事が発生し、焼け跡の見取り図を作り、どこにタンスがあり、本棚はどこにあったかという間取りの復元を行なったところ、これが大変うまくできたといって上司にほめられたという。彼に言わせれば、学生時代に住居址を発掘し、出土する遺物や柱穴を記録するのと同じようにやったにすぎなかった。火災にあった住居からは、当時の生活に用いられた道具などがそのままの状態で発見されることが多い。これは、住居内の間仕切りや仕事場などの区分といった、当時の生活を復元するさいの貴重な考古学上の手がかりとなるのである。
 

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目次
1 考古学はどんな学問か
  考古学はどんな学問か―その現状と未来
  無文字史学と文字史学
  今日の日本と旧石器捏造問題
2 縄文文化を復元する
  貝塚の調査
  魚骨の研究
  縄文人の食べ物
  よみがえる縄文の文化伝統
  漆を使いこなした縄文人
  縄文工人の世界
  縄文人と数
3 歴史考古学の広がり
  犬猫・大名・ぜに
  六道銭に見る江戸時代の銭貨流通
  手のひらの中の国家
  古戦場の考古学―最近のアメリカ歴史考古学の新しい試み
  歴史考古学の発達と考古学の未来

 

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