筑摩選書

包茎の「恥」の歴史から、身体の意味づけの可能性を拓く

澁谷知美著『日本の包茎――男の体の200年史』書評

江戸後期から現代まで、医学書から性の指南書、週刊誌まで、膨大な文献を読み解き、仮性包茎をめぐる感覚の200年史を描き出した、本邦初の書『日本の包茎』。社会学者の小宮友根さんが、この本について論じて下さいました。この書で最も注目されるべき点とは? ご一読を! (PR誌「ちくま」2021年3月号より転載)

 本書は『日本の童貞』の著者による、男性の性をめぐる「恥」の概念の歴史分析第二弾である。『日本の童貞』が性経験に関する「恥」を主題とするものであったのに対し、今作は性器の形状に関する「恥」が主題となっている。

「包茎」を恥とする考え方の歴史的変遷について、本書は主として「包茎治療」の広告を資料としながらおおむね次のような発見をしている。包茎を恥とする考えは遅くとも19世紀末からあったが、当時それは必ずしも「恥ずかしいものだから」以上に明確に言語化されたものではなかった(著者はそれを「土着の恥ずかしさ」と呼ぶ)。

 戦後になると「美容整形パラダイム」のもとで包茎手術の広告が打たれるようになる。この時期に動員された「包茎は短小に繋がる」というレトリックに、著者は敗戦によってもたらされた外国人へのコンプレックスを見出している。70年代以降はクリニックとのタイアップ記事という形で多くの青年誌に広告が掲載される。いわゆる仮性包茎が明確に治療すべき対象と設定されたのもこの時期だという。著者が注目するのは、そうした記事の中で「包茎を嫌がる女の意見」が前面に出てくるようになることである。そこには「フィクションとしての女性の目」を使って男性を不安に駆り立て、客を獲得しようとするクリニックの戦略が見て取られる。80年代後半にはタイアップ記事は中高年向け雑誌にも広がってゆき、「介護されるときに恥ずかしい」といった、なるほど中高年向けの言説も登場する。「恥」の概念が時代を下るごとに多様に生産され、顧客の拡大のために動員されていくのである。

 こうした「恥としての包茎」をめぐる言説の歴史的変遷から著者が読み取るのは、「土着の恥ずかしさ」から「作られた恥ずかしさ」への変化と後者の悪質さである。クリニックが雑誌にタイアップ記事を出して(仮性を含む)包茎の不安を煽り、「治療」法を提示して顧客を得る。ここにあるのは「女性の目」を利用して男性間の序列を設けることで不安を煽る、きわめてホモソーシャルなマッチポンプの仕組みである。この仕組みへの注目から、歴史分析をジェンダー不平等と男性間の支配関係の解体に向けた提言へと繋げている点が本書のもっとも注目されるべき点であろう。

 この点、「土着の恥ずかしさ/作られた恥ずかしさ」という区別には疑問を感じないでもない。著者によれば「女性に快楽を感じさせるべし」という包茎治療広告は戦前にも戦後すぐにも存在したという。とすれば「女性の目」を媒介にした「恥」の概念自体は形を変えつつ存在し続けていたのではないか。「性的能力」「病気」「成熟」といった「恥」とかかわる複数の要素が時代に応じて現れる仕方について、二分法的にまとめてはもったいない複雑さを本書の資料は示しているようにも思う。

 いずれにせよ本書の与えてくれる示唆の大きさは変わらない。包茎言説は下火になったそうだが、「ペニス」は依然として身体に男性性が付与される際の中心的器官であり続けている。著者も指摘しているとおり、「女性を満足させることができるペニス」というペニス観は「ペニスに支配される女性」というミソジニーと裏腹である。またそのペニス観は同時に異性愛中心主義的なセックス観であり、シスジェンダー中心主義的な身体観でもあるだろう。それゆえ著者が最後に提示する処方箋は、ジェンダー不平等の解体だけでなく、多様なセクシュアリティとアイデンティティの承認へとつながるものでもあるはずだ。身体の帯びる意味の歴史的・社会的条件をあきらかにすることで新たな意味づけへの可能性を拓くこと、ここにこそ本書の価値があると評者は考える。

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