ちくま新書

日本語をロジカルに使うコツ

8月刊ちくま新書『「超」入門!論理トレーニング』の冒頭を公開します。「日本語をいかにロジカルにするか」ぜひともお試しあれ!

 いきなりですが、もしみなさんが英語の通訳者だとして、次のような日本人のスピーチを通訳するように言われたら、どう英語にするでしょうか。

 

 超国際派ですね、と人からはうらやましがられているが、とんでもない。元来こわがりの私がどんな思いで毎回飛行機に乗っていることか。和食はもちろん、外国の食べ物だって、日本で食べた方がうまかったりするのだから始末が悪い。衣食住すべて和風好みの私は超国内派なのである。

 

 これは、京都大学が出した英作文問題で、設問は「次の日本文を英訳しなさい」でした。実は、僕は予備校の授業で、「この問題は解けない」と、サジを投げました。この日本語を文法構文的に正確に、そのまま英語にしても、英語ネイティブには通じません。英語であって英語ではない―「ロジカル」ではないのです(この文章がどうロジカルではないのか、また、どう直せばロジカルになるのかは、第三章をお読みください)。

 本文でも述べているように、日本人の九割が、英語とは無縁の生活を送っています。にもかかわらず、なぜわれわれは英語を学ぶのか。それは、英語の「ロジック」を学ぶためです。

 すべての言語には、「心の習慣」があります。「読む・書く・聞く・話す」において、その言語を母語とする者が無意識にしたがっている思考様式です。スポーツにたとえてもいいでしょう。たとえばテニスなら、テニスの「ルール」が「心の習慣」です。そして、そのルールに基づき、テニス競技をするために必要な「道具」(ラケットやテニスボール、テニスウェア、テニスシューズ、テニスコートなど)が、言語だということです。

 英語の「心の習慣」こそ、「ロジック」です。つまり、「英語的」と「ロジカル」は同義です。いくら文法的には正しくても、ロジカルでないなら、英語的ではありません。英語ネイティブには通じない「英語もどき」になってしまうのです。

 各章で詳しく述べるように、日本は、英語を使わない高度な近代化に成功した「世にもめずらしい国」です。その原動力となったのは、明治の知識人たちが生み出した「現代国語」でした。現代国語とは、端的にいえば、英語的に改造された日本語──「ロジカルな日本語」です。「論理」という言葉は、そのとき“logic”の訳語として生まれたものです。ただ、明治の知識人たちは、野放図な英語化は許しておらず、伝統的な日本語の「心の習慣」は残したまま、「読む・書く・聞く・話す」のそれぞれ「公」の部分にのみ、“logic”を閉じ込めました。結果生まれた「文化ミクスチャー」が、英語であって英語ではない英語を生み、愚にもつかない「早期英語教育」や「英語公用語化」の議論を生み出す原因となってしまいました。

 本来、日本語は、ロジックの運用には向いていません。そこで、拙著『高校生のための論理思考トレーニング』(ちくま新書)では、まず英語を使ってロジック運用を試み、それを日本語に応用するというアプローチを取りました。英語学習者や英語教師のみなさんからは、「英語と日本語の違いがよくわかった」という肯定的な評価を頂戴し、文部科学省によるSELHi(スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール)指定校のいくつかでは、その試みのフレームワークに採用していただきました。予備校講師の仕事としては、異例のことでした。

 その反面、解説に英文を多用したことが、大きくハードルを上げ、必然的に読者を選んでしまうことにもなりました。どれほどやさしい英文を使っても、レイアウトを工夫して英文のプレゼンスを下げようとしても、英文を見ただけで敬遠されてしまい、本当に届けたい読者に、手に取っていただくことができなかったのです。

 そのような反省に立ち、本書では、「日本語をいかにロジカルに運用するか」を、できる限り英語を使わずに、わかりやすく具体的に解説することを試みました。もし、「大学入試程度の英語なら、何とかがんばって読める」という方は、『高校生のための論理思考トレーニング』も合わせてお読みいただければ、なおいっそう理解が深まると思います。