世の中ラボ

【第131回】
資本主義を終わらせるための、新しいマルクス

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2021年3月号より転載。

 斎藤幸平『人新世の「資本論」』が評判になっている。
 帯にも、錚々たる面子の華々しい推薦文が躍っている。〈斎藤はピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の『資本論』」である〉(佐藤優)。〈気候、マルクス、人新世。これらを横断する経済思想が、ついに出現したね。日本は、そんな才能を待っていた!〉(松岡正剛)。〈気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら〉(坂本龍一)。〈資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。常識を破る、衝撃の名著だ〉(水野和夫氏)。すごいな。各氏大絶賛!
 いまさらマルクス? という人もいるだろうけど、最近またマルクスが「来ている」という感触はあった。格差が極限にまで広がり、労働者は最悪の状態に置かれ、にもかかわらず出口が見えない社会の打開策として、マルクスが呼び戻されているともいえる。新世代のマルクス解釈とはどのようなものなのだろうか。

新自由主義に対抗するためのマルクス
 その前に、マルクスがらみの別の本を見ておきたい。
 白井聡『武器としての「資本論」』は〈みんなが一生懸命『資本論』を読むという世界が訪れてほしいと思うのです。そこまで行けば世の中は、大きく変わります〉と豪語する。
 いま『資本論』を読む理由は〈「生き延びるために」です〉と著者はいいきる。環境破壊、経済危機、戦争……。一〇〇年後に人類が存続しているかどうかもわからない。〈「では、その原因は」と考えると、間違いなく資本主義なのです〉。
 本書の八割以上は『資本論』第一巻をベースにした資本主義のしくみの解説で、そこは画期的にわかりやすい。物足りない部分があるとしたら『資本論』を武器に、私たちはどんな方法で社会変革を起こし、どんな社会を目指すのかが曖昧な点だろう。
 かつてのマルクス主義者たちは、暴力革命によって、労働者階級主体の社会主義国をつくるべきだと考えた。一九世紀末には暴力革命ではなく選挙(代議制民主主義)で合法的に政権を奪取する、という考え方が広がり、いまはこっちが主流になった。しかし結局のところ、ソ連型の計画経済は頓挫し、ヨーロッパで誕生した社会民主主義も新自由主義に席巻されてしまった。
〈かつて期待がかけられた階級闘争の戦略は悉く無効化してしまった〉。それが今の現実。しかし、階級闘争の原点は〈生活レベルの低下に耐えられるのか、それとも耐えられないのか〉だと著者はいう。〈本書は『資本論』の入門書ではありますが、裏にあるテーマは「新自由主義の打倒」です〉。これが本書の要諦だろう。〈新自由主義とは実は『上から下へ』の階級闘争〉という現実を変えること。〈「自分にはうまいものを食う権利があるんだ」と言わなければいけない。人間としての権利を主張しなければならない〉。
 松尾匡『左翼の逆襲』の副題は「社会破壊に屈しないための経済学」。こっちの提言はもう少し具体的だ。
〈私たちは「左翼」を忘却のかなたから呼び起こさないといけません〉と著者は焚きつける。新自由主義経済と「反新自由主義」から派生した右派ポピュリズムに対抗するには「豊かな時代のリベラリズム」ではもうダメで、「生活が苦しい労働者」に寄り添うマルクスの思想を取り戻すことが必要だと。
 反緊縮を掲げる左派ポピュリズムに希望を見いだしつつ、本書が提唱するのは「レフト3・0」の方向性だ。
 急進的な「マルクス=レーニン主義」から穏健な社会民主主義まで含む「レフト1・0」は七〇年代に全盛を迎えた。それは〈①国家主導型で、「大きな政府」を志向、②生産力主義であること、③労働者階級主義であること、そして、④社会主義を名乗る大国に甘いことでした〉と総括できる。が、それは社会主義国の停滞、「大きな政府」の赤字の累積、労働者中心主義への批判などがあいまって、八〇年代に入った頃から行き詰まる。
 代わって九〇年代に台頭した「レフト2・0」は、過去への反省から、「反生産力主義」的なエコロジズム(環境主義〉や「脱労働組合依存」を打ち出し、「労働者階級主義」にかわって女性やマイノリティを含む多様な人々との共生を求める市民運動に軸足を移した。が、労働者階級意識を捨てたため、市場原理や「小さな政府」に飲み込まれ、格差と貧困が広がってしまった。
「レフト3・0」は、労働者意識も多様性も保持しつつ両者を総合した、その先の思想という。具体的な政策のひとつが「グリーンニューディール」である。これは〈代替エネルギーの開発や、化石燃料消費を減らす交通システム転換、環境保全などに、大々的に公共投資することによってたくさんの優良な雇用を創出し、公正な移行過程を通じて、二酸化炭素をあまり出さないケア労働など、環境負荷が少ない部門が中心になるような産業構造転換をめざすもの〉で、欧米の3・0勢力の共通した政策になっている。
 必要なのは〈誰もが「生きていてよかった」という人生をおくれることを目的にすること〉。〈その怒りは共感と連帯を呼び、この道に至る世の中をくつがえすでしょう〉。
 冷戦終結から約三〇年。バブル崩壊からも三〇年。マルクスの人気が一時凋落したのは、暮らしがそこそこ豊かになり、革命によって社会主義国家を建設するというビジョンがリアリティを失ったためだろう。が、この三〇年で状況は変わった。ソ連型の共産主義というモデル幻想から脱却すれば、マルクスの読み方は変わるのだ。

マルクスは環境危機を予言していた
 で、『人新世の「資本論」』。人新世とは〈人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代〉のこと。
 この本が他のマルクス解釈本と大きく異なるのは、地球環境の危機を前面に押し出していることだ。国連が推進するSDGs(持続可能な開発目標)など何の足しにもならない、という話から本書ははじまる。それは資本主義の現実から目をそらすアヘンにすぎない。資本主義社会が続く限り、根本的解決はないからだ。
〈近代化による経済成長は、豊かな生活を約束していたはずだった。ところが、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実である〉。
 大量生産・大量消費をベースとする「帝国的生活様式」は魅力的であり、先進国を豊かにしたが、その裏で南北問題と呼ばれる事態、すなわちグローバル化によって犠牲を被る地域や住民(グローバル・サウス)を生み出した。資本主義による収奪の対象はしかも、周辺地域の労働力だけでなく地球全体に及んでいる。〈資源、エネルギー、食料も先進国との「不等価交換」によってグローバル・サウスから奪われていくのである。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象とみなす〉。
 ここからはじまる脱資本主義論はなかなかにラジカルだ。新自由主義が倒れても、資本主義が続く限り「本源的蓄積」は継続するし、グリーンニューディールを押し進めても、経済成長を続ける限り二酸化炭素は削減できず、環境危機は回避できない。
〈私的所有や階級といった問題に触れることなく、資本主義にブレーキをかけ、持続可能なものに修正できるとでもいうのだろうか〉。〈労働を抜本的に変革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる。これこそが、新世代の脱成長論である〉。
 本書の目玉は、一九世紀のマルクスが環境危機による資本主義の限界に気づき、右のような認識に達していたという指摘だろう。
『資本論』はマルクスが執筆した第一巻が一八六七年に刊行された後、未完のまま残された。第二巻・第三巻はマルクスの没後、エンゲルスが遺稿を編集したものである。ところが第一巻の刊行後、マルクスは思想的な大転換を遂げていた。最新の研究から見えてくるのは、晩年のマルクスが進歩史観(史的唯物論)を超えた「脱成長コミュニズム」に到達していたことだった。
〈マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を《コモン》として持続可能に管理することだった〉。コモンとは共同体の富のこと。〈要するに、マルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済なのだ〉。
 この部分にこそ、目指す社会の未来像があると著者はいう。
 脱成長コミュニズムの柱は、①「使用価値」に重きを置いた経済に転換して大量生産・大量消費から脱却する、②労働時間を削減して生活の質を向上させる、③画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる、④生産のプロセスの民主化を進めて経済を減速させる、⑤使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークを重視するなどの五つ。
〈古い脱成長論では、なぜダメなのか。古い脱成長論は一見すると資本主義に批判的に見えるが、最終的には、資本主義を受け入れてしまっているから〉だという批判は痛烈だ。
 とはいえ白井や松尾の主張と本書は対立するものではなく、もう一歩先に踏みだしたものと考えるべきだろう。その証拠に「気候非常事態宣言」を出したスペイン・バルセロナの実践例などを紹介しつつ、本書も読者を焚きつけるのだ。三・五%の人の非暴力的な行動で、世の中は変わる。ワーカーズ・コープでも、学校ストライキでも、有機農業でもいい、アクションを起こせ、と。
 コロナ禍は現在の経済システムの脆弱さを暴きだした。資本主義の呪縛からいかにして脱却するかが問われているのだ。

【この記事で紹介された本】

『人新世の「資本論」』
斎藤幸平、集英社新書、2020年、1020円+税

 

〈気候変動、コロナ禍…。文明崩壊の危機。唯一の解決策は潤沢な脱成長経済だ。〉(帯より)。著者は1987年生まれで、専攻は経済思想・社会思想。気候危機が喫緊の課題として迫っている現在、もはや一刻の猶予もない。そんな現状認識からスタートし、資本主義の根源的な限界と、それにかわる「脱成長型コミュニズム」の姿を描く。晩年のマルクスが残したノートの解析が白眉。

『武器としての「資本論」』
白井聡、東洋経済新報社、2020年、1600円+税

 

〈資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法〉(帯より)。著者は1977年生まれの政治学者。「なぜ満員電車に乗らなければならないのか」「なぜイヤな上司がいるのか」などの身近な疑問から出発し、『資本論』にいう「商品」「包摂」「階級」「疎外」「剰余価値」「本源的蓄積」などの概念を解説する。階級闘争を「等価交換の廃棄」とみなすあたりが新しい。

『左翼の逆襲――社会破壊に屈しないための経済学』
松尾匡、講談社現代新書、2020年、1000円+税

 

〈人は生きているだけで価値がある!〉(帯より)。著者は1964年生まれの経済学者。反緊縮論の代表的な論客だが、コロナ禍で新自由主義は加速すると警告。「国際競争力が必要だ」「財政が破綻する」といった新自由主義的言説に乗った「中道左派リベラル」の思考体系を批判し、マルクスの精神に沿った「レフト3・0」のビジョンを説く。半分くらいは具体的な政策の提言。

PR誌ちくま2021年3月号