PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

推し活至上主義の行方

ルームシェア・オタク・中年・2

PR誌「ちくま」3月号より藤谷千明さんのエッセイを掲載します。

 今から十五年以上前になる。オタク趣味を持つ同僚女性が「アニメイトに行くときは同類と見られたくないから、普段より服装に気を使っている」と話していた。その自意識過剰ぶりがすでにオタクのそれなのだが、当時はそういうオタク女性も多かったように記憶しているし、わかりやすい例をあげると、腐女子(ボーイズラブを愛好する女性)の恋人と著者の日常を描いたエッセイコミック『となりの801ちゃん』では、普段はかわいらしい女性として「擬態」しているが、いったん「腐女子」のスイッチが入ると荒ぶる緑色のモンスター化する……という存在として表現されていた。つまりオタク趣味は隠すもの、そうは見破られないように振る舞ってこそいっぱしのオタク女性という空気があり、オタクであることに今よりも「後ろめたさ」が大きかったというか。
 その後、アイドルやゲームなど様々な「経済効果」を伴うブームを経て「オタク」の意味も広がり、脱臭されて幾星霜。そして現代、新型コロナウイルスの影響で「在宅でも可能な趣味」が注目されたこともあり、いまや女性誌でも「オタ活」や「推し」という文字が躍る。かつて存在した「腐女子は隠れるもの」という迫害や同調圧力はどこへやら、日本だけでなくタイや中国発のBLドラマの特集が組まれることも珍しくなくなった(私自身仕事においてはこの恩恵を受けているのだが)。
 そして、アイドルのファンがコンサートに行くための服装やメイクのことを(自嘲を込めて)「量産型オタクファッション」と呼ぶのだが、人気YouTuberらがこれを取り入れたこともあって、自嘲の意味が払拭された結果ブームも広がり、現在Instagramには数十万のタグがある。オタクとファッション、いちばん無縁とされていたのに。アニメイトで購入したであろう推しグッズと自身を撮影し、「#量産型オタク」とともに添えられる「#隠しきれないオタク」というタグ(隠したいのかそうじゃないのかどっちなんだ)。冒頭のオタク同僚の自意識とは正反対のように見える。
「オタクが市民権を得た」というよりは、かつてよりもロマンチック・ラブイデオロギーが金を産まなくなったことによって、相対的に持ち上げられている感はずっと拭えずにいる。女性誌に掲載されているファッションも、十五年前は「こんなん買えるか」という金額の服がゴロゴロしていたが、今やユニクロやGUの特集をしている雑誌が人気だ。消費を喚起しないなら恋愛だって単なる自然現象だ。そうなると今お金を使うのはどの層だ? そう、オタクですな。かつての「恋愛至上主義」ならぬ「推し活至上主義」の気配を感じる……。
 その一方、この数年「年をとってオタク趣味を楽しめなくなった!」的な叫びがブログだったりTwitterお気持ち表明漫画だったりでフィクションノンフィクション問わずバズるさまをボンヤリと眺めているのだけれど、恋愛至上主義から脱却できたかと思いきや、オタ活至上主義をメディアやSNSで煽られた結果の強迫観念によるものではないのだろうか。恋愛しなくてもオタ活できなくても別に死なね~よとは思うものの、誰かと比べて「持っていない」事実が「死にたくなる」という感情を起こすのは、恋愛でも推し活でも同じことなのかもしれない。その解決策については、「出家する」くらいしか今のところ思い浮かばないので、難しいのだけど。

PR誌「ちくま」3月号

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