ちくま学芸文庫

重力とケプラーの法則——楕円軌道の衝撃

山本義隆著『重力と力学的世界 古典としての古典力学』上巻より

山本義隆著『重力と力学的世界』(上・下)は、力学的世界像の成熟と破綻の軌跡を、誤りや迷いといった紆余曲折まで含めて「同時代的」に詳らかにするドラマチックな力学史です。文庫化に際し大幅に手を加え、本書執筆の経緯と自著を振り返る「文庫版へのあとがき」を追加しました。その「文庫版へのあとがき」曰く、「あらためて全編よみなおしてみました。自分で書いた書物でも、40年も経つと忘れていたこともあり、初めて読むように新鮮な感じのところもあり、自分で言うのも厚かましい話ですが、正直なところ結構引き込まれました」。今回は前回の「まえがき」に引き続き、巻頭の第一章第一節(部分)を公開いたします。

第1章 重力とケプラーの法則


I 楕円軌道の衝撃

 古典重力論の元年を1609年にとることができる.この年ケプラーは,プラハで『新天文学――因果律もしくは天界の物理学にもとづく天文学』を出版し,惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を一定の面積速度で運行するという,ケプラーの第1法則と第2法則を世に問うた.それは科学思想史を画する出来事といってよい.

 とくにこの『新天文学』に付いている特異な副題に注目していただきたい.『ヨハンネス・ケプラー全集』の本書が含まれている第3巻の後記では,この点について編者マックス・カスパーが,

ケプラーをして彼以前に支配的であった見解を克服せしめた指導理念が(現代的な意味で)物理学的性格のものであるがゆえに,また,副題の「天界の物理学(Physica Coelestis)」が語っているように彼が天体の運動を力学的に説明しようとしたがゆえに,本書において天体力学という新しい科学の基礎が与えられたのである.したがって,本書は天文学研究における真の里程標である.

と評しているが,じっさい,火星軌道を解明した本書ではじめて,物理学としての天文学が登場したと言えよう.なによりも本書は,天体間に働く重力――天体の運動の原因としての重力――という思想を提起したのであった.

 通常,ケプラーの法則の歴史的意義は,次の2点に求められている.すなわちそれは,第一に,ティコ・ブラーエの持続的・系統的な天体観測の結果得られた,統計的観点からも信頼できる多量で精度の吟味されたデータに裏打されたものであり,第二に数学的言語で厳密に表現された法則であるという点である.たしかにこの2点は近代の科学的法則の必須の条件であり,アリストテレス以来自然学は定性的な議論を事とし,またコペルニクスの理論でさえも,貧弱な観測データにもとづき,観測との一致よりは古代人の文書に理論の裏付けを求めていることを考えあわせれば,この点だけを見てもケプラーの法則は画時代的といえよう.それは精密物理学のはじめての法則なのである.

 しかし,なによりも重大なことは,その精密な法則の惹き起こした自然観の根底的な変革にこそある.

 もちろん,古代エジプトやギリシャから中世に至るまで,あるいは他の文化圏においても,天体の運行や物体の運動の理論は存在した.それはそれで一つの体系だった説明も行なわれていた.いや,日蝕や月蝕の予報すらかなりの精度でなされていた.しかしそれらは,近代人の謂う意味での〈力学理論・自然法則〉とは別次元のものである.物質観や法則観自身が異なっているのだ.古代からの人類の営々たる努力がそのまま積み立てられ洗練されて近代の力学が出来上ったのではない.古代・中世のそれと近代のそれとは別個の自然観,ひいては別個の世界像に属するものであり,そのちがいは単なる進歩の程度の差なのではない.たとえ同一の現象を扱い,同一の用語が用いられても,概念の枠組みや評価の基準はまったく別物なのだ.

 たとえば「重い物体が地面に落ちる.月は地球のまわりを円運動する」ということをニュートンが言ったならば,その「運動」は,地球の重力という〈外的原因〉によって惹き起されたのだが,アリストテレスが同じことを言ったならば,その「運動」――所謂「自然運動」――は,可能的存在が現実化したということであり,〈原因〉は物体や月に固有の〈目的〉――すなわち「窮極因(causa finalis)」――に求められている.というのも,アリストテレスにとっては,小石が地面に落ちる――正しくは宇宙の中心に向かう――のも,植物の種子が芽を出しついには花を咲かせるのも,氷が溶けて水になるのも,すべての変化が「運動(κίνησις)」にひっくるめられるのであり,「自然(φύσις)」とは「みずからのうちに運動の根拠を持つ事物の本質」を意味していたからである.「自然」は自発的に変りゆくものであり,その変化の衝動は各物体の内に潜在する可能態を現実化せしめるという「目的」にある.その意味で,小石が地球に向かうのは,植物の成長が植物の本質に属するのであるのと同様に,小石の本質に属することがらなのであり,それゆえ,その原因を物体の外部に求めるという発想は出てこない.

 だが,ケプラーの発見した法則は,とりわけその法則が円軌道と等速性の双方を放棄したことは,否応なく〈外的原因〉という考え方を強いるものであった.なるほどいまでは,ケプラーの法則は高等学校でも教えられ,「惑星の軌道が楕円である」と聞いても誰も驚かない.初等的な代数学と解析幾何学さえ知っていれば,円も楕円も同じ二次曲線にすぎず本質的なちがいはない.しかし科学思想史上では円と楕円のちがいは決定的である.

 宇宙が球形であることと惑星の軌道が円より成ることは,プラトンとアリストテレス以来牢固とした固定観念になっていた.後でくわしく見るつもりだが,古代から中世まで月より上の世界は生成も消滅もない完全な物質――第五元素(エーテル)――より成る均質で不変の世界であり,そこで許される形状は球と円だけであり,そこに可能な運動がつねに等速であるということはいわば自明の理と思われていたのである.コペルニクスの登場まで天文学において最も権威のあったプトレマイオスの『アルマゲスト』では,「すべての物体のなかでエーテルは最も純粋にして最も均質な部分であり,しかるに,均質な部分の表面は均質な部分でなければならず,平面図形のなかでは円のみが,また立体図形のなかでは球のみがかかるものである」という根拠にもとづき宇宙の球形性が論証され,また「一般に惑星の運行は,その本質からすべからく規則的で円形であると考えなければならない」とアプリオリに前提されている.

 したがってまた,現実の惑星の運行に見られる円軌道や等速性からの偏倚は,すべからく円の合成――周転円,離心円等――によって取り繕われねばならなかった.

 ケプラーまで,この天体の運動の円秩序と等速性の自明性を疑った者は――ティコ・ブラーエらきわめて少数の例外を除いて――いない.15世紀に運動の相対性を断乎として主張し,地球の中心性を否定した地動説の先駆者クザーヌスでさえも「無限な線は円形である.というのは,円形においては,始めは終りと一致するからである.それゆえ,いっそう完全な運動は円である.…… それゆえ,地の形態は優れていて球形であり,その運動は円形である」と語っている.他方,16世紀にコペルニクスがプトレマイオスの天動説を退けた一つの理由は,エカント(等化点)の導入が惑星運動の等速性を破壊するからであり,彼も当然のこととして次のように書いている.

 今度は天体の運動は円形であることを述べよう.球のなし易い運動は回転である.この運動によってそれ自身の上に一様に運動するとき,その形を現わす.その形は最も簡単であって始めも終りも見出すことができず,また互いに区別することもできない.‥‥‥

 惑星はあるときは南へあるときは北へとさまよい歩く.そこで惑星と呼ばれるのである.……しかしそれらの運動は円形であるか,または多くの円を組み合わせたものであることを知る必要がある.何となればそれらの不等は一定の法則に従って周期的に行われるものであり,それは円運動でなければ不可能なことだからである.ただ円だけが物体を元にあった場所に帰らせることができる.

 たしかに,地動説を唱えたとはいえ,コペルニクスの精神はいまだに近代人のものではない.むしろコペルニクスは,どちらかというと「最後の偉大なプトレマイオス主義の天文学者」(クーン)なのである.しかしケプラーと同時代人でケプラーよりも近代的な精神の持主で,通常近代物理学の創始者と目されているガリレイでさえも,円軌道の呪縛にとらわれていたのだ.

 アリストテレス主義者に対抗してコペルニクス説を擁護するためにガリレイが書いた『天文対話〔二大世界体系についての対話〕』では,地球もまた他の惑星と同様に太陽のまわりを回転することが多言を費して説かれているけれども,その地球や惑星の運動が円であることは,当然のこととされている.

 のみならず,ガリレイにとっては,円運動の普遍性と円秩序の完全性は,天体にとどまらず地上物体をも含む全宇宙に妥当することであった.四日間にわたる対話形式で書かれた『天文対話』の第1日でガリレイは,「もし世界の全体を構成している物体がその本性上動きうるものでなければならぬとすれば,これらの物体のする運動は直線であったり,あるいは円以外のものであったりすることは不可能である」と語り,次のように論じている.

ですからぼくはつぎのように結論します.すなわちただ円運動だけが自然的に宇宙の全体を構成しており,最上の状態におかれている自然的物体に適合しうるものであり(云々)…….ここから,世界の諸部分の間の秩序を完全に維持するためには運動体はただ円に動きうるだけであり,もし円に運動しないものがあれば,このものは必然的に不動である,というのは秩序を維持しうるものは静止状態と円運動とを除いてはないから,と十分合理的に結論できるように思います.

これらのことを考えあわせるならば,ケプラーが逢着した楕円軌道という観念が,当時の人々にどれほど馴染み難いものであったかがわかるであろう.じっさいガリレイは,ケプラーから『新天文学』を贈呈されていたのに,ケプラーの発見を認めていない(*).たとえ読んでいたとしても,楕円軌道というような考え方をまったく非現実的なものとして受けつけなかったであろう.ケプラーが2000年にわたる円軌道の固定観念を見棄てて楕円に到達し,等速性を放棄して面積定理を見出したことは,それだけで,ロバチェフスキーがユークリッドの第五公理を放棄したことに,あるいはアインシュタインが平らな時空を棄ててゆがんだ時空を採用したことに,匹敵することなのである.

 

(*) 『新天文学』よりずっと後の『天文対話』でガリレイは語っている.「それぞれの惑星がそれぞれ回転するさいにどのように規制されているか,その軌道の構造が正確にはどのようになっているかという,一般には惑星の理論とよばれているものは,なお疑いの余地のないまでには解決できてはいないのです.その証拠は火星で,これについては近頃の天文学者があんなに骨折っているのです.」
 


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・本文中の出典などを示す注は割愛した。
・本文中の傍点箇所は、太字で示した。

 

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