くたばれ、本能。ようこそ、連帯。

第1回 くたばれ、本能――『BEASTARS』論(2)

アナキスト/フェミニストの高島鈴が、社会現象級の大ヒット作を正座で熟読。マンガと社会を熱く鋭く読み解く、革命のためのポップカルチャー論をお届けします。
第1回は、「動物版青春ヒューマンドラマ」を謳う板垣巴留『BEASTARS』(2016〜2020年連載/秋田書店)。本能を生物の本質として描く本作は、ジェンダーをどう捉えたのでしょうか。

●草食獣と女性性
 根本に肉食獣/草食獣の二元論があり、その手前に「男」/「女」の二元論があり、それ以上の解体は行われない……。前節では『BEASTARS』が、ひとまずそのような理解で読み解けることを確認した。だが上記二つの二元論は、全く違う位相で展開されているわけではない。
 フェミニスト哲学者の浜崎史菜は、「食物はいかにして「食物」になるのか」という問いに、「男根ロゴス中心主義のシステムの中において、「人間」と名付けられる存在、または「男性的」主体によって「食物」に変容される【29】」という答えを導き出している【30】。「男性的」主体は「女性」や「動物」を他者として成立する。逆に言えば「男性的」主体を前にして、「女性」と「動物」は同じように客体化・周縁化されるのだ。
『BEASTARS』の世界でも、キャラクター同士が食う/食われるの関係に陥るとき、食われる側としての草食獣は間違いなく客体化される。だが注目せねばならないのは、同作では少なくない草食獣が、食われる側であることをアイデンティティとし、誇りを抱いているように描かれている点だ。そして食われる側としての誇りが強調されるとき、そこに絡む「女性」の客体化・周縁化の問題は、後景へ退くのである。
 例えば作中には、「マイマイミルク」という牛乳製造会社が登場する。この会社の経営はユキヒョウ一族に独占されており、ユキヒョウたちは雇い入れたメスのウシたちを「供給源」と呼んで酷使していた。マイマイミルクの労働者であるニコラは、四十代になってから乳の出が悪くなってしまい、身体に負担のかかる「牛乳促進剤」を飲むことを引き換えに雇用の継続を約束されている。「誇りであるはずの牛乳に自ら苦しめられているのがツラい【31】」。ニコラは「食物」の提供者として周縁化されることを一つの誇りにしながらも、その搾取に苦しみ続けていた。
 この状況は、社会の英雄「壮獣ビースター」であるウマのヤフヤによって打開される。ヤフヤは「草食獣のボディは資源じゃない【32】」、「この社会が成り立っているのはすべての草食獣が寛大だから【33】」だ、と言ってユキヒョウたちを暴力的に牽制し、労働環境の是正を指示するのだ。
 ニコラの苦しみは「メス」であるがゆえに生じているはずなのだが、ここでは「メス」のウシの苦しみが「草食獣」そのものの苦しみに還元されている。社会の中で周縁化されてきた草食獣としての誇りが強調されるとき、ジェンダーの視点は取りこぼされるのである。
 また、ニコラ以外にも食物の提供を自身の誇りとするキャラクターとして、自分の無精卵の美味しさを誇りとしているメスのニワトリ・レゴムが登場する。現実世界におけるウシとニワトリは、人間の手によって人間に食物を提供するよう馴致され、「品種改良」された生物の代表格だ。現実においては人間が行っているメスの動物への搾取が、『BEASTARS』において「草食獣の誇り」に変換されている点には、批判的な視線を向けておくべきだろう。

●「食われる側」から「女」へ
 この流れとパラレルになるのが、食われる側としての誇りにアイデンティファイすることをやめようとし、その過程で揺れるハルの描写である。ハルはレゴシに出会うまで、「食べられる動物としてラフに身軽に生き【34】」る姿勢を、「私の草食道【35】」と位置付けてきた。だからこそレゴシに対等な相手として扱われたことに戸惑うあまり、衝動的にメロンと「来月私を食べていいって約束【36】」を結んでしまうのだ。
 自分を客体化しない相手と向き合うことに戸惑った結果、かつての自分が持っていた「草食道」を極端に突っ走ってしまう……。ルイから「マリッジブルー【37】」と称されたハルの反動は、ハル自身によって「うー 私の母性が…【38】」「私は与えられるより与える女でいいの!! 草食なんて食われてナンボ【39】」と総括されている。ハルは自らの行動を、「女」としての主体的な行動であると考えているのである。
「女」――ここまで確認してきた通り、『BEASTARS』におけるそれは極めて本質主義的なカテゴリを示す――としての主体性は、あらかじめ「男性的」主体に客体化されている。ハルのほとんど自殺に近いこの行動は、「草食獣」から「女」に移行したことで生じているわけだ。
 この時点でハルは、食われる側にアイデンティファイするほかの草食獣の群れからは一歩抜け出し、自らを一人の「女」として考え始めている。だが、抜けた先にあるのも結局は「女」なのだ。この後、ハルの命がハルとレゴシの共闘ではなくルイとレゴシの共闘によって救われるという顛末を含め、やはり『BEASTARS』においてジェンダーの問題には突破口がない。
(つづく)

【注11】『BEASTARS』11巻、12ページ
【注12】『BEASTARS』10巻、133ページ
【注13】『BEASTARS』16巻、129ページ
【注14】『BEASTARS』15巻、189ページ
【注15】『BEASTARS』15巻、190ページ
【注16】『BEASTARS』16巻、15ページ
【注17】『BEASTARS』22巻、27ページ
【注18】『BEASTARS』22巻、22ページ
【注19】『BEASTARS』22巻、28ページ
【注20】『BEASTARS』5巻、42〜43ページ
【注21】『BEASTARS』5巻、102〜103ページ
【注22】『BEASTARS』6巻、40ページ
【注23】『BEASTARS』6巻、42ページ
【注24】『BEASTARS』10巻、78ページ
【注25】『BEASTARS』10巻、86〜67ページ
【注26】『BEASTARS』17巻、148〜150ページなど
【注27】『BEASTARS』6巻、87ページ
【注28】『BEASTARS』6巻、93ページ
【注29】「フェミニズムと食物――Feminist Food StudiesとFeminist Animal Studiesの視点から」(『呪詛』vol.2、2019年)、22ページ
【注30】 浜崎はこの論考における「男性」「女性」という語彙の使用について、以下のように注釈を加えている:「このエッセイにおける「男性」「女性」は「生物学的」に二分されると想定される「性別」を指し示すのではなく、男根ロゴス中心主義及び家父長制の権力構造の内における覇権者を象徴的「男性」、被抑圧者を象徴的「女性」として示す」。(前掲註28、23ページ)
【注31】『BEASTARS』12巻、95ページ
【注32】『BEASTARS』12巻、101ページ
【注33】『BEASTARS』12巻、101ページ
【注34】『BEASTARS』19巻、123ページ
【注35】『BEASTARS』19巻、123ページ
【注36】『BEASTARS』19巻、127ページ
【注37】『BEASTARS』19巻、139ページ
【注38】『BEASTARS』19巻、137ページ
【注39】『BEASTARS』19巻、139ページ