ちくま学芸文庫

なぜいま、リベラリズムなのか
マイケル・フリーデン著『リベラリズムとは何か』訳者あとがき

ちくま学芸文庫3月刊マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』(山岡龍一監訳、寺尾範野・森達也訳)より、監訳者による「訳者あとがき」の一部を公開します。学芸文庫オリジナルとして、新たに訳し下ろされた本書。なぜいまリベラリズムなのか。その意義に鋭く迫る内容となっています。ぜひご一読ください。

 本書は、Michael Freeden, Liberalism: A Very Short Introduction, Oxford: Oxford University Press, 2015. の翻訳である。副題からわかるように、これは良質な学術的入門書・啓蒙書を提供することで評判を得ているOUPの Very Short Introductions シリーズの一冊であり、同様の使命を負ったちくま学芸文庫に、翻訳書として加えるにふさわしいものだといえる。著者のフリーデンは、イデオロギーとしてのリベラリズム研究の、自他ともに認める第一人者である。彼については、共訳者の一人である寺尾範野による本書の解説を読んでいただきたい。

 今、なぜわざわざリベラリズムの解説書を翻訳する必要があるのか。この問いに関する訳者の考えを示しておく必要はあるだろう。巷には、リベラリズムの終焉を唱えたり、「アフター」「ポスト」といった接頭語によって、リベラリズムを乗り越えられたもの、時代遅れとなったものと表象したりする本が溢れている。現在の政治言説においても、「リベラル」であるというレッテルは、必ずしも肯定的な響きを生んでいない。リベラルとはサヨクの別名、非現実的な夢想家、時代遅れの西洋的価値(例えば普遍主義)にしがみつく者、市場主義や男性中心主義を隠蔽する偽善者、等などを表すといったイメージが思い浮かぶ。他方、学術的な言説において、リベラリズムが不評なのは最近のことではない。冷戦の頃、リベラリズムはしばしば反動のイデオロギーとされたし、冷戦後、リベラリズムは勝利したかに見えたが、共同体主義(コミュニタリアニズム)やフェミニズム、多文化主義、ポストモダニズム等からの攻撃にさらされてきた。とはいえ、政治理論という学問領域においては、ロールズやドゥオーキンといったリベラリズムの守護者がいただけましである。しかしこうした僥倖は、学問的な政治理論が現実の政治への影響力を失っていく時代にあっては、リベラリズムを救うものにはなっていないように思える。

 リベラリズムの評価における、著しい振動と多様性を、どうとらえたらよいのだろうか。わたし達の社会は、もう十分にリベラルになったから、不要だということなのか。それとも幸いにしてリベラリズムに汚染されきっていないのだから、リベラル化を止めるべきだというのだろうか。その場合、リベラリズムそのものが悪しきものだからなのか、それともリベラリズムが時代遅れなものだからなのか。こうした論争を収めるには、わたし達の社会の分析も必要だが、何よりもリベラリズムの意味を定める必要があるように思える。

 しかしながら、このリベラリズムの意味そのものが、何ともつかみどころのないものなのであり、「リベラリズムとは何か」という問いそのものが激しい論争を惹起してしまう。何よりも問題なのは、こうした論争の激化がリベラリズムについて語る人びとに起因するというよりは、リベラリズムという観念そのものに依るようにみえることである。政治の思想や理論を研究する者に期待されるのは、こうした観念をどう扱ったらよいのかを説明することであろう。その際に、少なくとも二つのタイプの説明が考えられる。第一は、政治的にではなく学問(哲学)的に、一つの解釈を最善のものとして提示するというタイプである。この場合でもおそらく、「何らかの仮定において」という前提の設定が必要になり、そうした前提そのものの妥当性をめぐる論争を惹起してしまうであろう。とはいえ、学問的な正当化を経た最善の解釈を提示することそのものに、十分な価値は認められるはずである。第二のものとして、リベラリズムにある論争性を、ある程度コントロール可能なものとして理解する方法を示すようなタイプがある。これには、概念の本質的論争可能性といった考え方を駆使して、分析的に説明するタイプもあれば、概念の文脈的被拘束性を意識して、歴史的に説明するタイプもある。

 フリーデンの研究は、第二のものに属し、分析的方法と歴史的方法を組み合わせて、独自のイデオロギー研究の方法を駆使している点にその特徴がある。つまり、イデオロギーという実践的な観念としてリベラリズムを分析することを目指しており、その研究の成果を、実際に人びとが政治的言説や判断のなかで活かしていけるような内容を提供することを誇るものなのである。フリーデンはリベラリズムへの敬意を隠さないが、それは哲学的な真理性というよりは、歴史のなかでリベラリズムが実際に果たしてきたその役割に基づいている。そしてたしかにフリーデンのリベラリズム理解は、イギリスの伝統をその中心においているが、他の文化圏への眼差しも、最低限度はらっているので、わたし達はそこからかなり公平なリベラリズム把握を得ることができるといえるだろう。

 リベラリズムに関するこうした複雑な特徴をもつ説明を、ここまでコンパクトな内容にまとめ上げた本書は、「リベラリズムとは何か」という問いを抱く日本の読者に紹介する価値が大いにあると訳者は考えている。読者には、自分自身の力でリベラリズムの複雑性を把握し、そこからリベラリズムをめぐる自分自身の判断を形成する糧として、本書を利用していただきたいと願っている。

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