重箱の隅から

いつの間にか忘れられてしまうこと②

 誰でも大統領になれる、という言葉は、イギリスの王権についての「猫でも王様を見ることが出来る」という権力の公正さをあらわしているかのような言葉(子猫が女王にあいに行く「マザー・グース」の国という感じではないか)と違って、王族といった権力者の血統に生まれついていなければなれない(王や女王の母親にはなれても)王国と異なり、共和国の大統領は、血統によって決定されているのではなく、人民によって選ばれるということの回りくどい比喩だろう。
 4年に一度、そのための大騒ぎを繰りかえす様は、大統領の任期の半分は選挙運動に費やされているのではないかと思えるほどだが、1月の就任式で、若い黒人の女性詩人が自作の詩を朗読したという新聞の四段の写真入り記事を読んで、アメリカの小学生が誰でも学校で教えられるという、この比喩的表現を思い出したのだった。
「光は常にある。それを見つめるための勇気さえあれば」という語句が4段分の長さで黒地に白抜きで印刷された見出しに詩人の写真が載り、バイデン大統領の妻がファンだという女性詩人アマンダ・ゴーマンの朗読した「各所から絶賛され」た詩が引用される。《国は壊れていない。ただ未完なだけだ》《奴隷の子孫で、母子家庭で育った、やせた黒人の女の子が大統領を夢見ることができ、その一人のために朗読する》。このストレートで晴れがましい、翳りのない単純な言葉。彼女は2036年大統領選への立候補を公言しているそうだ。(註1)
 誰でもという言い方は、実は、血筋によって王位を継承するという超限定版と違って、平等という意味が担わされているというか臭わされているというだけのことなのだが、コロナについて平等という概念は、こう語られる。
「今回のコロナは、全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ、そのリスクに全体でどう向き合っていくかという問題」としての「平等」なのだと語る中島岳志のインタビュー記事と同じ日の紙面に、パリ郊外の移民の多い地区での、コロナ死者数が「不平等が感染拡大を助長したと指摘されている」という記事が載っていることを、前回引用したのだが、言うまでもないことではあるけれど、ウイルス自身には平等も不平等もありはしないが、ウイルスの引きおこす結果としての病気には不平等と差別がつきまとう。
 中島のインタビューでの発言の載った前後の新聞報道では、アテネ郊外のシリア難民キャンプの劣悪な衛生状態から感染拡大の危機が伝えられ(もっとも、その後を伝える記事は載っていないが)、20年4月12日の朝日新聞には、アメリカの様々な州で、黒人やヒスパニックといったマイノリティーの死亡率の高さが明らかになっているという記事が載っている。ワシントン・ポストの分析によると「黒人が多数を占める郡は白人が多数の郡に比べ、感染率が3倍、死亡率は約6倍」で、「背景にあるのは、社会的格差と言われてい」て、「普段から医療が十分ではなく、貧富が原因となる糖尿病や心臓病、ぜんそくなどの基礎疾患を持っている割合が多」く、ブルッキングス研究所のレイ研究員は「彼らが不摂生というわけではない。身の回りに健康でいるための資源が不十分なのだ」とコメントし、在ニューヨークと在ワシントンの記者は、そうした状況には「職業も関係する」と続け「米国はマイノリティーがバス運転手や食料品店の店員、ビルの管理人など、社会を支える「必要不可欠な職業」に就いている割合が高い」という。
 5月5日の記事では、いつの頃からか訳語を作らず「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれるようになった職業に就く黒人たちは「「休めない」黒人たち」と呼ばれて「首都死者の8割」であることが見出しで示されていたし、にせ札を使用した容疑で警察に拘束され首を押さえつけられて窒息死した黒人の事件から端を発したブラック・ライブズ・マター運動には、警官による圧殺だけではなく、当然、コロナの感染死に黒人の割合が突出していることが含まれてもいたはずだし、同じ頃、ワールド・カップの元コートジボワール代表でチェルシーで活躍していた頃は好きになれなかったタイプの選手だったドログバと、元カメルーン代表でバルサの選手だったエトーは、フランスの医師のコロナワクチンの治験はアフリカでやるべきではないか、という発言に対して「アフリカの人々をモルモットのように扱うな」「ふざけるな。アフリカはおまえらの遊び場じゃない」と猛烈に抗議している。フランスのテレビ番組でパリの病院の医師が、挑発的な発言が許されるなら、とことわりつきで「一部のエイズ研究における売春婦を例に挙げ、新型コロナウイルス対策が進んでいない地域でワクチンの治験を進めるべきだ」と発言し、別の医師も同調したという小さな記事の切り抜き(東京新聞なのだが、日付が書いていない。おそらく20年4月だろう。記事には、’14年のブラジルW杯で、日本代表選手にドリブルを邪魔されているドログバのカラー写真が載っている。W杯などではなく、もっとちゃんとしたプロ同士の競りあいの写真を選べよ!と、言いたい)を読んでも、コロナが「全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ」る病気とは思えないではないか。
 平等に誰でも罹患する可能性がある、という言い方で思い出すのは、感染症とはまるで関係のない、しかし、老いという誰にでも訪れるものと密接に関係するので、誰でもが罹り得る認知症だろう。誰もがと言っても、国民皆保険と言う場合のようなみんなではなく、生活習慣病とあからさまに命名されて、いつの間にか罹患が自己責任化されてしまった病気とは異なる、という意味にすぎないのだ。生活習慣病は誰もが罹るのではなく、あきらかに不摂生な生活習慣を改めなかった者が罹る病気というわけなのである。
 それに比べて、というか、きちんと正しい生活習慣を続けた人でも、認知症は誰もが罹る可能性のある病気ということになっている。この病気の最大の危険因子は加齢だから、長寿を誇って「人生百年時代」と言われる(誰が言ったのか?)日本では「もはや誰もが認知症になる可能性があるといえ」ると、認知症になった専門医は語る(長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった』)のだが、この場合の誰もがは、厚生労働省の「「団塊の世代」が全員七十五歳以上となる二〇二五年には約七〇〇万人、高齢者のじつに五人に一人が認知症になる」(引用は前同)という推計による、ほぼ誰もがである。
 むろん、この誰もがは、誰もが死ぬ、という絶対的確実さとは比較にならない推計数なのだが、コロナの全世界に降りかかったという類いの平等さに比べれば、誰もがと言って抵抗感のない数字ではあるだろう。1923年生れの精神科医である長谷川和夫は、認知症の診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を74年に発表し、04年には老人性痴呆症という、いわば人の一生のサイクルを馬鹿にしたような用語を「認知症」に変更した厚労省の検討会のメンバーでもある。
 この「認知症」という用語については、「生活習慣病」という呼び方を定着させた長命で有名だった医師の日野原重明も検討会のメンバーだったらしく、後になって、考えてみれば、認知が出来なくなった人たちについて、こうした病名はおかしいと思う、非認知症ではないかと書いていたが、いずれにせよ、何かが厚労省の会議で決定されてしまえば、後から気がついたことを訂正することはひどく困難になるようだ。
 認知症になった長谷川医師の日常を記録したNHKのルポルタージュ番組を去年見たが、思わず笑ってしまったのは、長谷川医師等によって考えられたケア(認知症の患者たちがデイ・ケア施設で童謡をうたったり折り紙を折ったりして、輪になって踊るお遊戯のない園児のようにおとなしく過す)を、自分はあれがいやなんだと憮然として行くことを拒否する場面だった。長谷川医師は、自分は自分の書棚に囲まれた書斎で過すのが一番落ち着けるし、ああいうことは嫌いだ、と言うのだが、もちろん、テレビで医師の姿を見ている者としては、失笑しつつ、大人は誰だって不快と思うのに決まっている、そんなことさえ自分が認知症になってみるまでわからなかったのか、という深い溜息を吐いたのだった。これは、医師の想像力の問題だろうか、それとも?
≪この項つづく≫

註一 この記事を書きうつしながら、すっかり忘れていたのを思い出したのが、「元来詩人になりたかった」という死んだ愛人の思い出(貧しいながら原稿収入から毎月「被爆者たちへの救済の金を熱心に送りつづけていた」人物である)と、彼の小説に自分が付けたタイトルの簡潔な的確さを自慢する作家で僧侶の瀬戸内寂聴のエッセイ(朝日新聞’16年6月10日)を切り抜いておいたことだった。見つけるのに時間がかかったが、寂聴の短いエッセイの最終部の数行のために切り抜いたのだった。
「この原稿を書いている私の前に、28歳の秘書が新聞をさし出した。5月28日朝刊の1面の左肩に、黒人のアメリカ大統領オバマ氏が広島の被爆者と抱きあっている写真がのっていた。/「カンドウ……ぐっときた!」/秘書の大きな目にいっぱいの涙がたまっていた。/「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」/オバマ大統領は言った。あの世にもこの新聞は届いているのだろうか。/世界にも平和の陽の輝くことを。」
 ところで、広島でオバマとハグをした被爆者は、後日(一週間たったかたたないかだった記憶がある)、なんで被爆者の自分がアメリカの大統領と抱きあったのか、あれは間違いだったと思う、と帰途の新幹線で考えたという意味の発言をしていたが、彼のこの真摯な発言を知らずに若い「秘書」の「カンドウ…」の涙について言及する作家というのも不思議である。それとも、作家はあの被爆者のように、後になって疑問を持っただろうか。まるでいつの間にか大きな和解と理解が成立してしまったかのような「ハグ」に違和感を持つのが当然だろう。

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