単行本

シックだ

佐野洋子『佐野洋子 とっておき作品集』書評

没後10年。なのに、100%新発見作品で構成された、文字通りの「とっておき」作品集です。童話、ショートストーリー、イラストエッセイ、エッセイ、脚本、そしてプライベートが垣間見える「詩人との恋と結婚生活」などがぎっしり。その贅沢さを江國香織さんが語ってくれました。PR誌『ちくま』4月号より転載。

 佐野洋子さんはシックなひとだ。浮わついたところがどこにもない。浮わついてばかりいる私は、だから一抹の悲しみとともに、佐野さんに憧れずにいられなかった。手元の仏和辞典でシック(Chic)をひくと、①シックな、洗練された ②(くだけて)すてきな ③(くだけて)親切な、気持ちのいい とあり、②と③についている(くだけて)がなんとなく可笑しいが、それも含めて、やっぱり佐野さんに似合う気がする。それに、佐野さんはエッセイのなかでたびたびご自分の血圧の低さに言及されている。私の意見では、シックなひとというのは血圧が低くなくてはいけないので、この点でも、佐野さんはやっぱりシックなのだった(言わずもがなだが、私の血圧は高い。体質なので如何ともしがたく、この世には、憧れても届かないものがあるのだと思い知らされる)。
 佐野さんが亡くなったとき、私は、私ごときが悲しんではいけないような気がしたが、それでも、世界から佐野洋子が欠けた、と思うとこわいような淋しさを感じた。とりかえしがつかないじゃん、と、佐野洋子的口調で思い、あーあーあーあーと、これもまた佐野洋子(のエッセイ)的口調で思った。あーあーあーあー、どうすんのよあんた。
 私の知っている佐野さんの言葉は、ほとんど全部、エッセイのなかの言葉だ。「大人になりつつ、子供の智恵を保持することは難しい。しかし佐野洋子はそれをやりとげて」いる、と評したのは故河合隼雄さんだが、まさにその通りの、普段言語化しない感情が言語化される快感に満ち、読んでいると、自分が曇りも妥協もない眼球を獲得したような気がする(あまつさえ、そうそう、以前からほんとうは持っていたのよ、という気すらする)、あのたくさんのエッセイ、そっけなさの向うに矜持の見える、あの言葉たち。
 本書にも、それはぎっしり詰まっている。おまけに手描きの服装変遷史まで! なんて贅沢、なんて嬉しい、したたるみたいにサノヨーコ。
 収録作全部、どれもどれもいいのだが、とりわけ「童話」と「ショート・ストーリー」が鮮烈だった。どうすれば、こんなふうにまっすぐに、飾らない言葉で物語が書けるのだろう。私は「かってなクマ」を読んでうなり、「いまとか あしたとか さっきとか むかしとか」を読んで動揺し、「先生、おしっこ」を読むに至っては驚愕した。この人は、どうしてこういうことを――もちろんこれはフィクションであり、事実を書いているわけではないとわかっているが、それでも私は言わずにいられない――憶えているんだろう。こういうこと、というのはたとえば学校という場所のこと、そこでほとんど発言権を与えられない子供たちの、一人一人が異なっていること、授業中にトイレに立つときの、「ろうかに出たら、体がぐにゃぐにゃみたいになった。きゅうに体がらくらくしてきて、やたらとうれしいきもちになった。ろうかはしーんとしていて、誰もいなかった。誰もいないろうかなんか、はじめて見た。ぜんぜん学校みたいじゃなかった」という身体感覚および気持ちのこと。私はこの短い物語の「わたし」でもあり「みちこちゃん」でもあったころの記憶に圧倒されて、しばらく茫然とした。
 それにしても、これらの輝ける単行本未収録原稿は、著者の死後十年間、いったいどこにあったのだろう。著者の自宅の机のひきだしとか、ベッドの下の箱だろうか。出版社の、編集者のロッカーとか紙挟みとかだろうか。わからない。わからないけれど、こうして一冊の本になり、読めるのは――シック!――嬉しいことだ(Chicは、間投詞にすると「やった!」「ラッキー!」という意味になると、辞書に書いてあった)。
 シックな本。ご本人のいない世界で、一抹の悲しみとともに、そう思う。

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