ちくま新書

「強い野党」が「強い民主主義」を作る

PR誌「ちくま」8月号より、『「野党」論――何のためにあるのか』(ちくま新書)を7月に刊行されたばかりの吉田徹さんの文章を掲載します。

 「野党」――ここまで注目されながらも、負のイメージで捉えられる存在も珍しいかもしれない。「一強多弱」のもと進められた安保法制や解釈改憲に対抗するための野党共闘が期待される一方、対案なき野党は党利党略を優先させているだけ、と批判される。期待と落胆の間で揺れ動くのが野党なのだ。

 もっとも、一言で「野党」といっても、その実態は国や時代によって様々だ。政権担当能力を誇示して政権交代を目指す野党もあれば、政治的少数派を代表することを目的とする野党もある。あるいは自由民主主義体制を敵視する野党だってある。

 

 また、時の与党と対峙してその政策を批判したり、修正しようとしたりする存在を広義の「オポジション(反対勢力)」と定義するなら、そこには議会に議席を有する政党や党派だけでなく、市民運動や違憲判決を下す司法までもが含まれることになるだろう。

 

 野党がかくも捉え難き存在なのであれば、そこに過度の期待と不要な落胆があるのも致し方ないかもしれない。そこで本書では、野党が「何なのか」ではなく、民主政治で「何をしているのか」という、その機能に注目することを提案する。つまり、民主政治にあって、多くの制度や主体が「野党性」を有していることを認めた上で、どのような役割と機能を野党が担っているかを考察することこそが、野党の実態を解明する近道なのだ。

 

 このことは、民主政治とは一体何なのかを考えることにもつながる。野党が自らに与えられた役割をなぜ、どのように果たしているのかは、その国や時代の民主主義のデザインのあり方に関係してくる。例えば、二大政党間で政権交代を目指すイギリスの野党と、共産党や極右政党を抱えるフランスの野党、あるいはそもそも野党による政権交代を長らく経験していなかった日本の野党を同列に論じるのは、各国で実践されている民主主義が異なっている限り、無理な話である。それゆえ、この本では日本の五五年体制と「ポスト五五年体制」に入ってからの野党の変遷に一章を設け、さらにイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、スイスなどの野党との比較も試みている。

 

 結論はといえば、野党は選挙のみでは汲み尽し得ない「民意の残余」に、政治的な存在形式を与えるという機能を担っており、そうした野党性を許容する体制であればこそ、民主主義は安定する、というものだ。これこそ、野党が「何のためにあるのか」についての答えでもある。だから、「強い野党」が存在していることこそ「強い民主主義」が作られる逆説があることの気付きこそが、野党を正しく使いこなす処方箋でもある。

 

 これを踏まえて、本書では先進国における野党のあり方が「抵抗型」から「政権交代型」へと比重を移しつつ、これに応じて政治での争点も変化してきたことを指摘している。さらに、政党政治の場で問われる争点を「合意的争点」と「対立的争点」とに分類した上で、来るべき民主政治における対立軸はどのようなものか、また、そのために求められる「対決型野党」とはどのようなものであるのかについても占う。

 

 歴史をみても、野党が注目されるのは、与党の力に限界がみえ、これへの批判が高まる時である。時の政権の権力の行使をチェックして世に知らしめると同時に、こうした批判や不満に政治的な形を与えるのは野党の第一の義務である。現下の日本の「一強多弱」を生んでいるのは与党ではなく、野党の側である。そして、野党が十全に機能しなければ、民主主義もまた十全に機能しない。

 

 戦後政治学の泰斗ロバート・ダールは、野党は議会制民主主義と普通選挙権と並ぶ近代民主政治の三大発明のひとつだとしている。短期間で口述筆記したものを本にまとめるのは容易ではなかった。それでも、選挙前、この貴重な発明を期待と落胆の中に放置しておくのは勿体ないとの思いを読者と共有できればと願っている。

(よしだ・とおる 政治学)