世の中ラボ

【第132回】
ブラック校則は学校だけの問題か

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2021年4月号より転載。

 2021年2月16日、大阪地裁で注目された裁判の判決が下された。仮に「頭髪訴訟」と呼んでおこう。
 ことの発端は15年、大阪府立懐風館高校一年生だった女子生徒が、生まれつきの茶色っぽい髪を黒く染めるよう教諭らに強要されて、翌年、不登校になったことだった。彼女は約220万円の損害賠償を求めて府を訴えた。17年のことである。
 報道によると、横田典子裁判長は元生徒側の訴えを一部認め、府に33万円の支払いを命じた。だがその一方で、こうした校則は生徒の非行を防ぐ教育目的に沿ったものであり、「社会通念に照らして合理的で、生徒を規律する裁量の範囲を逸脱していない」との判断を示した。また、教師らの頭髪指導も「教育的指導における裁量の範囲を逸脱した違法があったとはいえない」とした。違法とされたのは、校則ではなく、不登校後の学校側の対応だけ。
 要は「茶色い髪を黒く染めろ」と学校が生徒に強要するのはべつに違法じゃありません、ってことである。ええーっ!
 訴訟が起こされた時点で議論を呼んだこともあり、この判決はメディアでも大きく報じられた。頭髪への過度な干渉など「なんだそれ!?」な校則が幅を利かせているらしいのは知っていた。ただ、それをいまだに支持する人がいるっていうのが信じられない。今般のブラック校則、いったいどうなっているのだろう。

背後にあるのは社会的な要請
 荻上チキ+内田良『ブラック校則』の副題は「理不尽な苦しみの現実」。本書が生まれたきっかけは、くだんの「頭髪訴訟」である。訴訟は衆目を集めたのを機に、有志による「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」が立ち上がる。世間で交わされているのはあてずっぽうな議論である。実態調査もデータもない。
 そこでチームは18年2月、10代(15歳以上)から50代の男女2000人を対象に自身の体験を聞くアンケート調査を行った。ほかに現役の保護者2000人を対象にした調査も行った。本書はその回答の結果と、複数の論考を集めた本で、この件について考えるための、ほとんど唯一の基礎資料である。
 校則は生徒手帳やプリント、ウェブなどに明記されたものだけではない。「伝統」「校風」の名の下で行われているもの、校長や教師によって急遽ルールができるケースも含まれる。そのうち、社会から見て明らかにおかしい校則がブラック校則だ。
 まず頭髪について。生まれつきの髪色を「茶色」と答えた人は、本人・保護者ともに8%程度。うち約一割が中学で、約二割が高校で「髪染め指導」を受けていた。また、天然パーマの矯正を求められたり、髪型を細かくチェックされた人もいた。
 生まれつき茶髪の娘が、二か月ごとに黒く染めるよう求められた(福岡県・私立高校・保護者)。長くなると茶色が目立つため、地毛証明書を提出していても、「毛先を切れ」「結んで目立たないようにしろ」といわれる(茨城県・私立高校・当事者)。子どもがくせ毛であることは申請してあるのに、「ストレートパーマで伸ばすように」と注意された(三重県・公立高校・保護者)。
 服装の規定で目立つのは「下着チェック」だ。
 中学三年の時に、プールの授業があった日の放課後に男性教諭から呼び出され、「下着青だったんでしょ? 白にしなきゃダメだよ?」といわれた(愛知県・公立中学校・当事者)。スカート丈の短い女子生徒を呼び止め、女性教員がいきなりセーラー服の上着をまくりあげ、スカートをベルトでたくし上げていないか、点検する(東京都・私立中学校・教師)。修学旅行の荷物検査で一部分が白でない下着を持っていた女子生徒が没収され、そのまま二泊三日をノーブラで過ごさせられた(佐賀県・公立中学校・保護者)。
 日本の学校、くるっているとしか思えない。共通するのは学校や教育委員会に訴えても相手にされなかったという点だ。しかも校則の細かい規定は減るどころか、近年増加傾向にある。
 なぜこんな理不尽な校則や対応がまかり通るのか。
 弁護士の真下麻里子は、背景には〈「子どもを保護しなければならない」という強い社会的要請〉があると指摘している(「司法から見る校則」)。〈「子どもは保護の対象である」という根強い考え方〉は司法にも影響を与え、校則をめぐる従来の訴訟でも、司法は学校側の主張をほぼ認め、校則には合理性があるとの判断を示してきた。校則を子どもの人権問題として捉える視点が大人の側に育たなければ、校則の問題は解決されない。
 教師の指導で子どもが死に追い込まれた遺族の指摘はさらに辛辣。学校における子どもの命の価値は二番目にすぎない。〈学校にとって最も大切なことは、子どもがルールを守り学校の秩序が保たれていることのようだ〉(大貫隆志「命を追いつめる校則」)。
 背景にあるのは、やはり社会的な要請という。
〈子どもたちがルールを守れるようにしてほしいと、保護者は学校に期待する。学校はその期待を受けて、子どもたちを厳しく指導する。厳しく指導してくれてありがたいと、保護者は学校に感謝する。学校はもっと期待に応えようと、子どもたちを指導する。この循環は、善意とともにある。しかし善意であるからこそ、子どもたちはここから逃げだせなくなる〉。
 校則がすべて無駄だとはいえまい。ブラック校則は通常の校則が自己目的化し、暴走した「一部の例」ともいえる。だがそれが生徒に精神的な苦痛を与え、生徒から考える力を奪い、ときに経済的な負担を強い、不登校や健康被害につながるケースも稀ではないことを思えば、たとえ一部の例でも、放置はできないだろう。
 ブラック校則をなくすことは不可能なのだろうか。

校則は変えられる
 西郷孝彦『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』は校則を撤廃した中学校の記録である。著者は世田谷区立桜丘中学校の校長(20年に退任)。桜丘中には生徒を縛るルールがない。
 ①校則がない。②授業開始と終了のベルがない。③中間や期末の定期テストがない。④宿題がない。⑤服装・髪型の自由。⑥スマホ・タブレットの持ち込み自由。⑦登校時間の自由。⑧授業中に廊下で学習する自由。⑨授業中に寝る自由。⑩授業を「つまらない」と批判する自由。――そんなバカな!
 最初はバカな、と私も思った。しかし本書を読むと、右のような形に至るまでには、相当な時間と手間が費やされており、「はい、今日から校則をなくします」なんて話じゃないことがわかる。
 西郷校長が赴任した2010年、桜丘中は教師の怒号が飛び交う学校だった。朝礼ひとつとってもまるで軍隊。「黙れー!」「そこ! 早く並べ!!」「おい、後ろを向くな!」。
 校長は朝礼の見直しから手をつけた。
〈生徒がうるさくしていても、それは私の話がつまらないせい。だから生徒を怒鳴ることをやめましょう〉。
 教師には〈子どもは管理するものであり、教員が指示を出すもの〉という固定観念がしみついている。朝礼には〈一糸乱れず整列して、校長のありがたいお話を大人しく聞かなければならない〉という暗黙のルールが敷かれている。ならばルールを取り除いてしまったら? 生徒が騒ぐのは校長のせい、と責任転嫁してしまえば、生徒を注意する必要はなくなる。
 桜丘中には「セーターの色は紺」という規定があった。派手にならないためという理由である。だが、派手とはいえない白や黒もダメ。理屈に合わない。そのうち生徒からグレーや黒も認めてほしいという要望が出てきた。セーターの色は「紺」から「紺・黒・グレー」になり、最終的には「自由」になった。
 この本は、校則をなくすまでの過程を通して、学校がいかに「思い込み」に支配されてきたかを浮き彫りにする。多くの校則には合理的な理由がない。「なぜそうなのか」を議論することで、矛盾が浮かび上がり、教師も生徒も自分で考えざるを得なくなる。
 試行錯誤の末、桜丘中は16年に校則を全廃した。
 校則がなくなって、いちばん変わったのは教師だった。〈それまで、校則があるばかりに、教員は生徒が校則違反をしていないかどうか、目を光らせていなければなりませんでした。(略)当然、反抗的な生徒も現れます。「こんな校則、破ってしまえ」となる。/すると教員は、さらに強権的に指導しなければならなくなります〉。これでは教師と生徒の信頼は築けない。
 涌井学『ブラック校則』は「頭髪訴訟」に触発されたのではないかと想像される学園小説。19年に公開された映画「ブラック校則」(脚本・此元和津也)のノベライズ版である。
 栗色の髪を見とがめられ、そのままの頭では登校は認められないといいわたされた女子生徒。このままでは出席日数不足で、留年になってしまう。校則には「生徒の染髪等禁止」と書かれているのに、おかしくないか? 憤慨した主人公は立ち上がる。〈おれたちが、君がそのままの髪で学校に来られるよう、校則を変えてみせるから〉。そのかわり〈それまで髪を黒く染めてほしいんだ。不本意だろうけど、おれたちに時間をくれ〉。
 今度の「頭髪訴訟」は地裁では負けた。だが、この判決に憤慨した人の中から新しい動きが出てくるかもしれない。現にひとりの女性が起こしたこの訴訟は、本や映画を誕生させた。先の小説の主人公はいう。〈新しい校則を作りたいんです〉。そんな前例はないと突っぱねる校長。〈なら初めての例になりたいです〉。
 校則は変えられる。これはけっして学校だけの問題ではない。日本社会全体の人権意識が問われているのだ。

【この記事で紹介された本】

『ブラック校則――理不尽な苦しみの現実』
荻上チキ+内田良、東洋館出版社、2018年、1500円+税

 

〈不条理な校則という呪縛が社会の未来の足かせとなる〉(帯より)。調査の結果から見えてきたのは、校則は厳しくなっているという実態だった。「平等原則」「おしゃれ禁止」「盗難などのトラブル防止」「授業の妨げ」などの理由で頭髪や服装の規定はより細かく、指導はより厳しくなる。総論のほか、法律、貧困、発達障害、性規範など、多様な立場による計一二本の論考と対談を収録。

『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』
西郷孝彦、小学館、2019年、1400円+税

 

副題は〈定期テストも制服も、いじめも不登校もない! 笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられた〉。二〇一〇年から二〇年まで世田谷区立桜丘中学校の校長を務めた著者による学校の変革記。校則の代わりに作った心得は「礼儀を大切にする」「出会いを大切にする」「自分を大切にする」。自画自賛気味ではあるものの、学校の運営や子育てのヒント満載。固定観念が覆される。

『ブラック校則』
涌井学/脚本・此元和津也、小学館文庫、2019年、580円+税

 

〈僕らは戦う。恋するあの子と自由のために!〉(帯より)。高校二年生の主人公・小野田創楽が通う光津高校はブラック校則のるつぼ。同じクラスの町田希央は、栗色の髪を黒く染めろという指導を拒否し、出席日数が足りずに留年しそうになっていた。創楽と親友の月岡中弥は校則を変えるべく動きだす。一見マンガ的だが、出てくる校則や教師陣は、かなり実態に即していてリアル。

PR誌ちくま2021年4月号

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