ちくま新書

戦争と平和の隙間を衝くロシア暗躍の全貌とは
小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』「はじめに」より

冷戦後、軍事的にも経済的にも超大国の座から滑り落ちたロシアは、なぜ世界的な大国であり続けられるのか? 国際秩序が揺らぎ、戦争も形を変えたかに見える現在、劣勢下の旧超大国は、戦争と平和の間隙を衝くハイブリッドな戦争観を磨き上げて返り咲いた。新しい戦争の最前線とロシア暗躍の全貌を活写した、ちくま新書『現代ロシアの軍事戦略』より「はじめに」を公開いたします。

非軍事的闘争論
 では、こうした戦い方はいったいどこから生まれてきたのか。

 第2章で見るように、ソ連崩壊後のロシアでは、暴力を伴わない非軍事的手段 ―― 特に人々の認識を操作する「情報戦」によって、軍事力を用いずして戦争の目的を達成できるという考え方が台頭してきた。いわゆる「非軍事的闘争論」である。

 当初は参謀本部や軍事科学アカデミーの軍事思想家たちの間で、純粋に理論的な可能性として検討されていたものだが、2000年代以降になると、これがにわかに真実味を帯びたシナリオとして語られるようになる。旧ソ連諸国での民主化革命、中東での「アラブの春」、プーチン政権に対する国民の反発 ―― といった一連の事態が、西側諸国による非軍事的闘争であると受け止められたからであった。このような考え方はプーチン大統領を中心とする政治指導部やゲラシモフ参謀総長ら軍事指導部にも波及し、政策文書にも明記されるようになった。

 したがって、ロシアの主観としては、2014年のウクライナ介入も侵略とは見なされていない。それはロシアの「勢力圏」を削り取ろうとウクライナ政変を画策した米国への反撃なのであり、自衛行動と位置付けられるのである。同様に、2016年の米国大統領選に対する介入は、西側が常々行ってきた旧ソ連での民主化支援を真逆にしたものであり、ロシア国内での言論統制、インターネット監視、反体制派の弾圧といった権威主義的政策も、西側による「戦争」からロシアを守るものと理解される。少なくともロシアの世界観においては、攻守の両面で激しい非軍事的闘争が繰り広げられているのが現在の世界であるということになろう。

 だが、そうなると、古典的な軍事力を用いた戦争はどうなってしまうのだろうか。一部の軍事思想家たちが述べるように、もはや戦争の主役は非軍事的手段に取って代わられ、
軍隊は過去の遺物になってしまうのだろうか。

 おそらくそうではあるまい、というのが筆者の主張である。第3章では、近年のロシアが関与した軍事介入の事例を中心として検討を進めたが、非軍事的手段が軍事的手段に闘争の主役をゆずったようには見えない。ただ、これらの事例における軍事力の行使方法には、古典的な国家間戦争と異なる側面が多々含まれていることもまた見過ごされるべきではないだろう。軍隊は動員されるが戦わない、戦っても勝利を目的としているとは限らない、軍隊ではない軍事組織が動員される ―― といった点がそれだ。

 こうした手法は何もロシアの独創ではなく、古代から現代に至る戦史の中でも無数に類例を見出すことができる。だが、問題は、ロシアがそうしたオプションをどのように組み合わせ、いかなる結果を引き出しているのか(あるいはそれに失敗しているのか)である。第3章では、この点を、ウクライナ、シリア、ナゴルノ・カラバフでの軍事力の活用事例から検討した。

 一方、第4・5章では、ロシアがいかにして大国との戦争を戦おうとしているのかに焦点を当てた。このような戦争が発生する蓋然性は幸いにして高いものではないが、そうした事態への備えをロシア軍が忘れたわけではない。第4章で紹介するように、2010年代後半以降のロシア軍では、西側の支援を受けた武装勢力との戦いが核使用を含めた大規模戦争へとエスカレートするという想定が軍事演習に取り入れられるケースが増加してきた。また、ロシア東部では、経済・社会・市民の根こそぎ動員を想定した総力戦訓練が今も行なわれている。

 では、もしもロシアが大規模戦争に巻き込まれた場合、ロシア軍はどのように戦うのか。この点を具体的に論じたのが第5章であり、特に劣勢下で戦うための「限定行動戦略」、敵の宇宙優勢を覆す「対衛星攻撃能力」、そして戦闘の停止を敵に強要したり、第三国の参戦を阻止するための「エスカレーション抑止」戦略の三点を中心とした。

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