ちくまプリマー新書

「シロ」という名の黒い犬? 名前と「らしさ」の不思議な関係
『「自分らしさ」と日本語』より本文を一部公開

社会言語学の知見から、ことばで「自分」を表現するとはどういうことかを考える一冊『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマー新書)が好評発売中! 本記事では「名前」に対して人びとが無意識に抱いている感覚を見ていくことで、ことばの背後にある社会の規範や価値観を解きあかします。

 ひとつは、人が変化したから名前を変えるという関係だ。名実一体観によれば、人物が変われば、それに合わせて名前も変わらなければいけないことになる。実際、先に見たように、明治時代までは、多くの日本人が一生にたびたび改名していた。

 もうひとつは、名前を変えることで、自分も変化しようとするという関係だ。最初の考え方では、人物が変身したので名前も変更しているが、この考え方では、人物はまだ変身していないのに、先に名前を変えることによって、人物にも何らかの変化が起きることが期待されている。

 これは、病気・厄除けのげん直しのための改名に見られる。滝沢馬琴も六一歳の厄年に篁民と改名した。現在でも、事故や病気の後に改名する人がいる。

また、ペンネームや芸名など、個人のイメージが重要な職業の人は別の名前を用意する。美空ひばりの本名が加藤和枝だと聞いて驚く人もいるだろう。

 このように、名前を変えることによって、名前を付けられたものも変更してしまうという現象は、一般的なことばの働きにもひんぱんに観察されるものである。たとえば、それまで「中村アパート」と呼んでいた建物を「リバーサイドパレス」と呼び直すと、同じ建物でもかなり異なって認識される。商品名が重要なのは、ネーミングによって売り上げが変わってくるからなのである。

 さらに、こうなってほしいという願いを名前に託す、親が子どもに命名する場合がある。親は、姓名判断や字画を考慮して、子どもが幸せになるように命名する。美しくなってほしければ「美」をつけ、大きく飛び立ってほしければ「翔」をつける。名前という「ことば」には、指している人を作り上げ、時として、アイデンティティを与える力があるのだ。

名づけには制限がある

 しかし、自分の子どもでも一〇〇%自由に名前を付けられるかというと、そうでもない。そもそも日本では、人名に使うことができる漢字が法律で定められている。「人名用漢字」というもので、これらの漢字と常用漢字だけが、戸籍に子どもの名前として記載できる。

 また、「名字らしさ」や「名前らしさ」という感覚もある。たとえば、「中村、鈴木、田中」などは、姓として知れ渡っているので、これを名前に使う人はすくないだろう。そのため、劇作家の松尾スズキの名前を知った時には、「スズキ」を下の名前にした着眼点に感心した。

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