ちくま学芸文庫

零落したる清少納言、秀句の事

『古事談』(上)「第二 臣節」55より 

本書『古事談』は、鎌倉時代前期に編まれた全460余話に及ぶ説話集であり、代々の知識人が、歴史の副読本としても活用してきた知る人ぞ知る名著です。空海、藤原道長、西行、小野小町など奈良時代から鎌倉時代にかけての歴史、文学、文化史上の著名人にまつわる隠れた逸話の数々を収録した本書のなかから、いくつかの短い逸話をご紹介します。ひらがな交じりに本文を書き下し、人物注と現代語訳、評も併記しているので、初めての人も楽しく読める、はず。第一回は上巻より、零落した清少納言の当意即妙な返答を記した逸話です。

 

清少納言[1]零落の後、若(わか)殿上人あまた同車し、かの宅の前を渡る間、宅の体(てい)、破壊(はえ)したるをみて、「少納言、無下にこそ成りにけれ」と、車中にいふを聞きて、本より桟敷(さじき)に立ちたりけるが、簾(すだれ)を搔き揚げ、鬼形(きぎょう)のごとき女法師、顔を指し出していはく「駿馬の骨をば買はずやありし」と云々〔燕王[2]馬を好み骨を買ふ事なり〕。

[1]清少納言 966?〜?。清原元輔(もとすけ)(908〜990)女。『枕草子』作者。一条天皇中宮定子に仕えたが、その後没落したと、『無名草子』などにも記されている。
[2]燕王 戦国時代の燕の昭王(在位前311〜前279)。賢者を国に招く方策を郭隗(かくかい)に尋ねたところ、「天下の名馬を集めようとしたら、死馬の骨さえ五百金で買う王だとの評判を立てるとよい。同じように、人材を集めるなら、まずわたくし郭隗を用いなさい。そうすればわたくしよりすぐれた人材はこぞって集まるだろう」と答えた(『戦国策』燕)。これが「死馬の骨を五百金に買う」「まず隗より始めよ」の故事の源となった。

 

 清少納言がすっかりおちぶれた後、若い殿上人たちがたくさん車に乗り合わせて、清少納言の家の前を通りかかったところ、家が壊れてしまっているのを見て、「少納言も落ちぶれたなあ」と車の中で言うのを、もともと(行列などの観覧席である)桟敷に出て、道を眺めていた清少納言は、この言葉を聞き漏らすことなく、すかさず簾を搔き上げると、鬼のような尼姿で顔を出し、「駿馬の骨は買わなかったかな」と言った〔踏まえているのは、天下の逸材を招こうとする燕王に、名馬がほしいなら死馬の骨を買うように、との喩えを用いて説いた郭隗の故事である〕。
 

 清少納言の言葉は「すぐれたものなら骨になっても大切にする。そうよ、すぐれた女性は老婆になっても大切にする。そういう心がけでないと、あんたたち、偉くなれないよ」という意味である。彼女が漢籍の知識に秀で、当座に見事な対応をした話は、例えば『枕草子』280「雪のいと高う降りたるを」の、香炉峰(こうろほう)の雪の段などで有名。桟敷は行列などの観覧席で、臨時に設置して解体するものもあったが、大路沿いの大きな邸には、常設のものが据えられていた。すぐれた女性の末路や後生が不幸、という説話は小野小町、紫式部にも見られるところである。本話の殿上人たちは、清少納言を憐れんでいるというよりも、昔の宮廷仲間同士の懲りないやりとりの趣きである。

 

*ルビは()内に示した。なお、本記事では一部ルビを割愛した。

 

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