苦手から始める作文教室

第3回 他人が読まない文章に価値はあるか

作文の題材が友達に話したいことでいいのなら、SNSへ書き込めばいいのでは? 作文の多くは、自分以外ほとんど誰も読むことのない文章だけれど、そこにどんな意味があるのだろう。

 前回まででは「作文は友達に言いたいことがあれば書ける」と書きました。例としてわたしは、引っ越した先の家賃が高いので、安いPBのお菓子とうまい棒ばかり食べている、という話をえんえんと書きました。きわめてどうでもいい話です。それでも作文という枠組みの中ではべつに書いていい、という話でした。

 この書き出しを書きながら、私は「そんなことをして何になる」という声が聞こえてきそうだと思いました。そもそも友達がその話を聞いてくれるなら友達にすればいいし、友達が聞いてくれそうにない話でも、SNSに書き込めばいいんじゃないの。そのほうが誰かが読んでくれてリプライをくれたりとか、〈いいね〉をつけてくれるかもしれないからそのほうがいいんじゃないの。

 そうですね、そのほうがいいですね、感情的にお得ですね、とわたしも思います。ただ、思うように反応があったり、〈いいね〉がついたりするものでしょうか、とも思います。友達には言えない、でも言いたいことがある、あ、でもSNSに書き込んだら誰かが共感してくれるかもしれない、〈いいね〉をつけてくれるかもしれない、「そうだね」と言ってくれるかもしれない……、と期待して投稿して、誰も共感してくれなかったら? 満足がいく数の〈いいね〉をもらえなかったら?

 わたしにそのことがうまい棒の文章で起こったら、悲しくてしばらくの間うまい棒を遠ざけるかもしれません。うまい棒は何も悪くありません。ただわたしの期待が悪いのです。

 うまい棒に関する文章で〈いいね〉がつかなかった、という理由でうまい棒を遠ざけてしまう、というのは、よく考えてみると変な気持ちの流れではありますが、「期待がはずれた(評価がもらえなかった)ことの八つ当たり」「うまい棒を見ると期待がはずれたことを思い出してしまうのでしばらく見たくない」などといった気持ちが生まれると考えると、そんなに変な流れでもありません。こんな期待はずれが起こってしまっては、せっかく大好きなうまい棒についてがんばって書いたのに、自分の外側にある理由のせいでうまい棒を遠ざけてしまうのは損なことですよね。

 もちろん、〈いいね〉がつかないの逆に、バズるということはあると思います。ただそこまでいくには運の要素もあるし、意図してバズらせることには技術や研究も必要です。残念なことに、わたしはまったくやり方がわかりません。

 では、〈いいね〉が思うようにつかない文章、バズらない文章、そしてそもそも他人に見せない文章にはまったく価値がないものなのでしょうか? わたしから言わせると、そんなことはぜんぜんありません。とにかく「書きたい」と思って書かれた文章なら、書かれたことの意味はじゅうぶんにあるし、価値もあります。

 まず、未来の自分が読みます。作文を書いてくださいという指示のもとに書かれた文章なら、先生も読みます。自分が読んでどうするんだよ! と思われるかもしれませんが、人は自分の考えていたことをどんどん忘れてしまう生き物です。わたしが特に物忘れがひどいということなのかもしれませんが、自分の過去の文章を読み返して、「こんなことを考えていたのかー」と思い出すことは多々あります。そしてなんというか、ほんのちょっとだけ、なぐさめられることがときどきあります。「こんなことを考えていたのは自分一人だけではないんだなあ」と思ったりもします。それが過去の自分であっても、この時もこう思ってたんだから、もう少し大事にして考えてみよう、と思います。

 考えていることを文章にまとめると、自分しか読まなくてもとりあえずすっきりしたりはします。わたしは特にそうなのだと思うのですが、頭の中がぐにゃぐにゃでものすごくちらかっていて、そもそも何かを覚えているということをむずかしく感じます。明日の仕事の予定とか、あのお菓子はどこのスーパーに売ってたっけとか、釜玉うどんを作る手順とか、今節のJリーグの順位を覚えているのでもういっぱいいっぱいです。「ふと心に浮かんだこと」とか「考えていること」をしまっておく空きスペースは、頭の中にはほとんどありません。それで忘れてしまいます。

 けれども、数日後にまたそのことが心に浮かんできたりします。それはもやもやした形をしていて、つかみどころがないので、トイレに行きたい気持ちのように落ち着かないものであることが多いです。友達に言っていいことなのかどうかもいまいちわかりません。友達に言っていいのかわからないし、時間がたつと消えていく、でも数日後にまた復活する、というようなこの考えについて引き続き考えること、それを文章にしてみたりすることの価値はどのようなものでしょうか。少なくとも、トイレに行きたい時にトイレに行く価値があるのと同じぐらいは価値があるものだとわたしは思います。そうやって、もやもやと浮かんできた考えについて、自分がこれまでどう考えてきたのかについてのまとめを文章という形で自分に説明してもらうと、トイレの場所がどこにあるかすぐにわかるように、すっきりするまでが早いというわけです。

 次回は、例としてわたしが「他人には見せないけど、何回も考えるので書き留めたこと」について書きたいと思います。

 

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