地方メディアの逆襲

第3回 事件から1年後に出された「回答」

京都新聞「被害者報道」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 京都アニメーション放火殺人事件に直面した京都新聞の被害者報道に迫ります。

市民感覚から乖離する報じる側の論理
 被害者報道は1990年代から問題視され、大きな事件事故のたびに議論されてきたが、京都アニメーション放火殺人事件は、その衝撃と実名発表・報道の経緯から、これまで以上に議論を呼んだ。
 事件2カ月後に開かれた「マスコミ倫理懇談会全国協議会」の全国大会では、曽我部真裕・京都大学大学院教授(憲法・情報法)が講演。警察に実名発表を求める必要は認める一方、問題は実名報道にあると述べた。〈「書かないこと」「触れないこと」による人権擁護ではなく、「書くこと」で人権を守り、民主主義を支えたい〉とする日本新聞協会の主張と、報道された側が実際に受ける精神的苦痛やネット上の中傷など二次被害との間に「凄まじいギャップ」があるという指摘だった。
 曽我部教授によれば、たとえ一部の社が「節度ある取材・報道をしている」と主張しても、被害者には意味がない。問題は報道の総体と、ネットや実生活への波及だからだ。「実名報道原則」を再構築するには、被害者の実情を直視した報道ルールを確立するべきで、そのために業界が外部とコミュニケーションを取り、開かれた環境で実名報道のあり方を考える必要がある、とした。
 朝日新聞社発行の『Journalism』は事件の1年後、「実名と被害者報道」特集を組んだ。障害者施設で19人が殺害された2016年の津久井やまゆり園事件──神奈川県警は「遺族の強い要望」を理由に犠牲者の氏名を公表せず、公判でも大半が匿名のまま審理された──をはじめ、子供の性暴力被害者、災害の死者・行方不明者など、実名・匿名の判断やルールが問われた国内外の事例と現場の取り組みを、メディア関係者や研究者らが論じている。
 いずれも興味深いが、ここでは議論のあり方そのものに問題提起した林香里・東京大学大学院教授(ジャーナリズム研究)の論を紹介したい。こんな趣旨だ。
 マスコミは実名報道を「原則」や「主義」だと主張するが、それは一般市民の被害者報道に限られ、政治家や警察関係者などには適用されない場合が多い。実名や顔写真を重視する事件報道は、マスコミのOJT、つまり新人記者の実地訓練として行われてきたのが実態で、それが社内評価や他社との競争の基準になってきた。日本の報道機関で「警察サツ回り」が重要視されるのは、記者の職業意識と組織への忠誠心を叩き込む手段だからであり、背景には、ゴシップを目玉商品とした明治期の「小新聞こしんぶん」から発展した日本の新聞社の歴史がある。「知る権利への奉仕」や「報道の自由」といった抽象論は、80年代以降に出てきた後付けに過ぎない──。
 かなり厳しい指摘だが、こういう側面は実際に私も感じてきたし、京都新聞記者たちの葛藤からも、それはうかがえた。林教授は実名報道が問題視される背景に、社会の「個人化」を指摘する。匿名希望も、逆に実名で積極的に語る人も、判断を報道機関にゆだねず自己決定を求めている点では同じだ。ゆえに、「原則」や「主義」と大雑把に括り、「実名か匿名か」と二者択一の議論をするのではなく、個々の記者が多様で複雑な取材対象の意思を判断し、個別に対応するしかない、という。
 報じる側の論理と市民感覚との乖離は、やはりジャーナリズム研究者である畑仲哲雄・龍谷大学教授の講義でも明らかになっている。京アニ事件から3カ月後のことだ。
 報道倫理上の課題を具体的事例に沿って考察した著書『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』(勁草書房)がある畑仲教授は、同書を用いたワークショップ型講義で学生250人に被害者の実名・匿名への賛否を聞いた。第一印象での回答は、匿名が96.7%と圧倒的だった。そこで、実名報道の理由や重要性を日本新聞協会の見解に沿って伝え、再考を促した。他の問い──「取材謝礼を支払うか」「原発事故の現場にとどまるべきか」など──では、報道側の論理を説明すると、これを受け入れ翻意する学生も多い。だが、実名・匿名問題は逆だった。2回目の回答で匿名が97.2%と、さらに増えたのだ。
 学生に問うたのは、「事故で亡くなった女児の通夜で記者が遺族と匿名を約束してきた。社の方針は原則実名。デスクはどう判断するべきか」という事例だったが、京アニ事件の直後だったため、その印象が強かったようだと畑仲教授は言う。
 「講義後のコメントには『京アニ事件で、メディアは実名を報じることで全容を伝えると説明したが、被害者の名前を出すことが全容を伝えることになるとは思えない』というものもありました。マスコミ志望ではない一般的な学生です。これが多数の市民の感覚でしょう。報道側の論理を一方的に説明し、『理解してくれ』と言うだけでは決して受け入れられないと思う」
 では、どうするか。畑仲教授は、被害者・遺族の支援という目的に立つ重要性を説く。
 「私たちの社会には、傷ついた被害者や遺族を扶助し、支えるという市民道徳や法制度があります。ジャーナリズムの役割も、その枠内で考えていくべきではないでしょうか」

*協議会には新聞、放送、出版の211社・団体が加盟。この年のテーマは「伝えるのは、何のため、誰のため」だった。現在は208社・団体になっている。