筑摩選書

「日本的なるもの」の重力

長山靖生『日本回帰と文化人――昭和戦前期の理想と悲劇』書評

戦前・戦中の珍妙なプロパガンダ資料をもとに「日本的なるもの」の実体(のなさ)をあぶり出してきた早川タダノリさんに、『日本回帰と文化人――昭和戦前期の理想と悲劇』(長山靖生著、筑摩選書)を書評していただきました。今日にも連なる「日本的なるもの」の重力とは?(PR誌『ちくま』5月号より転載)

「日本的なるもの」――あたかも日本に住んでいる者なら誰でも体得しているかのようで、誰もが勝手に「これぞ日本的!」と思い描いたものをあげつらっている、そんな不思議な概念がある。
 長山靖生氏の新著『日本回帰と文化人――昭和戦前期の理想と悲劇』は、近代日本の代表的な思想家・知識人たちが、自らの知的・文化的な源流を探し求めるなかでどのように「日本的なるもの」に惹きつけられ、その重力圏の中で格闘してきたかをたどる労作だ。明治初期の欧化への反発にはじまり、満洲事変から「大東亜戦争」期の総力戦体制と結びついた日本文化称揚を経て戦後に至る、「日本的なるもの」の思想史でもある。
 当時の文化人たちによる「日本的なるもの」の探究を、「単に政治に従属したプロパガンダとしてしか理解しないことは、個々の国民感情や作家・学者の営為に内的必然性や自己の課題の投影を見ようとしない、きわめて浅薄な捉え方と言わざるを得ない」と著者は述べている。たしかに「日本的なるもの」言説群は、『国体の本義』を頂点とする国家イデオロギーにビルトインされていったが、官製「日本」像への抵抗をめざす言説も存在した。
 例えば戸坂潤はこう書いている。「なぜ人々は「日本的なるもの」という風にばかり云って、「日本民衆的なもの」とは云わないのであるか」(「日本の民衆と「日本的なるもの」」、『改造』1937年4月号)。
 1937年の戸坂は、万葉集や武士道といった歴史上の概念にではなく、現在の大衆生活の中にこそ「日本的なるもの」を見出すべきだと述べた。これは1935年の『日本イデオロギー論』で「日本主義が好んで用いる諸範疇(日本・国民・民族精神・農業・〔神ながら〕の道・〔神〕・〔天皇〕・その他都合の良い一切のものの雑然)が、一見日本大衆の日常生活に直接結び付いているように見えて、実は何等日常の実際生活と親和・類縁関係がない」(岩波文庫版、1977年、129頁)と喝破した地平から、さらに「日本大衆の日常生活」へと踏みこもうとしたのだと言える。
 このアプローチの先に、「ニッポン・イデオロギー」を超えうる展望があったかについては疑問が残る。とはいえ、戸坂論文が掲載された『改造』の翌月号では、労農派の経済学者・向坂逸郎もポジティブに「日本主義」を論じていた。さらに『中央公論』同年4月号では、これも労農派の論客・大森義太郎が「ほんとうに良き意志から「日本的」なものを守らうとするのであれば、資本主義に対立しなければならぬ」と提起していた(「日本への省察――「日本的」とは何ぞや」)。マルクス主義者たちによる「日本的なるもの」の追究は、しかし、1937年7月の盧溝橋事件をはさみ、同年12月の左翼知識人の一斉検挙にいたって、暴力的に終焉を迎えることとなったのだった――。
 こうした「日本的なるもの」をめぐる相克に、本書があらためて光を当てる意義は大きい。というのも、現在ふたたび「日本的なるもの」が称揚される時代が到来しているからである。
 2000年代以降、内閣府や経産省を筆頭に、日本文化の対外発信とソフトパワー推進を掲げていくつもの官製プロジェクトがつくられた。「日本ブランド戦略」(2005年)、「クールジャパン戦略」(2010年)、「「日本の美」総合プロジェクト懇談会」(2015年)、「「世界が驚く日本」研究会」(2016年)、「日本博」(2020年)などなどである。
「日本スゴイ」ブームと軌を一にして立ち上げられた官製プロジェクト群の報告書は、執拗に「日本らしさ」「日本人らしさ」を強調していた。「日本の自然観、感性、価値観とは何か。日本人の根底にあるものを、ひも解いていこう」(経産省『世界が驚くニッポン!』コンセプトブック、2017年)……文化本質主義まるだしの「日本文化」論がそこでは展開されている。国策文化政策によって、「日本」や「日本人」が再定義されるありさまを、私たちはリアルタイムで目撃しているのである。

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