些事にこだわり

オリンピックなどやりたい奴が勝手にやればよろしい

蓮實重彥さんの短期集中連載時評「些事にこだわり」第1回を「ちくま」5月号より転載します。東京オリンピックは2020のみならず1964もたいがいロクなものではなかった!?

 どちらかといえばスポーツが好きな人間なので、オリンピックという何やら禍々しい国家的な行事にはあまり関心が向かない。だからといって、その開催に断乎反対というほどの強い執着を持っているわけでもない。やりたい奴がいるなら勝手にやればよろしいというだけの話である。ただ、少なからず存在しているオリンピックへの無関心層を、「日の丸=君が代」騒動に巻き込むなとだけはいっておきたい。その思いは、例えばサッカーのワールドカップについてもいえることで、国を背負って優劣を競いあう競技などと、選手たちがそれを意識した瞬間にスポーツであることをやめてしまう。
 例えば、いま終わったばかりのサッカー2022カタール大会の二次予選で日本がモンゴルを14対0で破った試合など見るも無惨なありさまで、とうていスポーツとは思えなかった。20点ぐらい決めたならまだしも、あの相手に14点しか奪えなかった代表を賛美するのはやめておきたい。また、数日前のU-24世代の対アルゼンチン戦に思いがけず3対0で勝利した選手たちは、口々にオリンピックでも金メダルをと意気ごんでいたが、日の丸を背負って競技にのぞむという若者がいようと、それは仕方のないことだと思う。ただ、そんな略語を口にするものなど一人としていないのに、新聞紙面には「W杯」だの「五輪」だのの文字が躍っている。「五輪」という語彙が恥じらいもなく書記的なメディアを駆けめぐっているのは、いったい何故か。それが宮本武蔵としかるべき関連があるのか否かも、謎といえば謎である。ことによると、野球チームの「侍ジャパン」という命名がそれを律儀に正当化しているのだろうか。また、マスメディアは聖火リレーが始まったと伝えているが、あの何の変哲もないトーチの先に揺れている炎がなぜ日本では「聖火」と呼ばれて聖別されているのか、それもまた謎めいている。
 いずれにせよ、途方もなく暑い季節に亜熱帯と化した日本の首都でオリンピックが催されれば、マラソン競技の会場をいくら北海道に移しても、暑さで倒れて命を落とす選手が四人か五人はいて何の不思議もない。また、地球規模での疫病の蔓延が開催を左右するともいわれてもいるが、この国の中枢にいる者たちの対策はことごとく後手にまわっているので、開催期間中に感染者が急増しようと、自分さえ罹らねばよいと誰もが高を括っているだけの話なのだろう。 
 そもそも、一部の構成員どもの深夜におよぶ不行跡が派手に暴かれてしまった厚生労働省などを、COVID-19の予防に関して信頼しているものなど一人としていまい。実際、昨年二月のクルーズ船での疫病蔓延のおりに、重装備の自衛隊員とは比較にならぬ素人じみた服装のまま船客の処理に当り、何人かがみごとに感染してその流行を広めてしまったのだから、この官庁の職員たちはまったくもって信用がならない。

 そもそも、オリンピックの開催には、途方もない額のマネーが裏で動いているが、それがどこへ消えてゆくのかはいっさい明らかにされていない。実際、一年に何十億円も稼ぐNBA選手や、それに劣らぬ金額を稼ぐテニス・プレイヤーや、一部のMLBのスター選手たちが出場する試合の放映権を合衆国のさる会社が独占したというが、それもまたどうでもよろしい。社会主義圏であろうと資本主義圏であろうと、オリンピックの招致にはかなりの金銭が動いているのは当然のことだからである。
 とはいえ、恐れ多くも明治大帝たる睦仁陛下の血筋を引いている旧竹田宮家の恆和JOC会長が、招致をめぐる贈収賄疑惑で早々と辞任に追いこまれていたことなど、いまでは誰も覚えてはいまい。それに較べれば、組織委員長の某氏の女性蔑視発言など、ほんのちっぽけな話題でしかない。にもかかわらず、こちらの辞任が多くの人によって記憶されているのは、天皇家とも無縁とは呼べぬ人物の不祥事には目をつむる癖が、マスメディアに共有されているからだろうか。
 ごく最近のことだが、肥満を売り物にしているさる女性テレビ芸人を豚になぞらえようとした大手広告代理店の関係者もいたが、知らぬ間に開会式の演出責任者となっていたその男も、ごく曖昧に辞任することになった。だが、その結果に賛同する者たちの多くには、豚に対する恥ずべき偏見があるとしか思えない。大戦中の疎開時代に信州の田舎でしかと目にしたことがあるが、豚は思いのほか可愛らしい動物なのである。だから、そんな動物に女性を譬えるとは何ごとだといった風潮がかたちづくる無責任な豚=排除の風潮に、動物愛護協会は警鐘を鳴らすべきではなかったか。
 今回の東京オリンピックは、新国立競技場コンペで選ばれたザハ・ハディード案が、当時の安倍首相によってなぜか白紙撤回されたことからけちがつき始めた。現在の隈研吾による国立競技場の景観は、いわゆるスタジアムというものの平成版パロディーのごとき建築で、前回の丹下健三による代々木第一体育館のような先端的な挑発性をそこには感じとることはできない。かくして、一年遅れの東京2020は、首都の風景を凡庸に変化させることしかなく終わるのだろうが、それもまたどうでもよろしい。

 ここで個人的な記憶を語ることをみずからに許すなら、さいわいなことに、1964年の東京オリンピック騒ぎには悩まされずにすんだ。当時は三年半ほどヨーロッパに暮らしていたからだ。アベベが群衆に見まもられて孤独に走る姿は、ヴェネチアのホテルの白黒テレビでちらりと目にしたが、それを見ているものなどまわりには一人としていなかった。遠い国のできごとだったからだろう。
 その翌年にその「遠い国」に戻って来たとき、首都の風景の一変ぶりにはさすがに腹を立てた。高速道路といえば欧州のどこの国でも三車線が常識なのに、東京のそれは狭苦しい二車線でしかなく、しかもそれが既存の大通りの上を蛇行して走っている。その光景は今日にいたるまで大きく変化することはない。生まれ育った六本木では交差点の眺望がそのため惨めに狂ってしまったことには、さすがに激怒した。さらに、東海道の起点である日本橋までが高速道路の橋桁で蔽われていることを知り、愕然とした。これもまたオリンピックのせいだと理不尽に呟くしかなかったのである。
 とにかく、わが国には都市行政が不在だとしか思えぬほど、新しい道路のほとんどは、人びとの生活を抑圧していた。家の近くの井の頭線の代田二丁目の駅はいつのまにか新代田と変わっていたが、何が「新しい」のかは誰にもわからなかった。その前を通っていた細いでこぼこ道は滞欧中に環状七号と呼ばれて広い道幅となり、駅にたどり着くのにいつ緑に変わるのかわからない長い赤信号を苛々しながら待たねばならなくなった。それが甲州街道と交わる大原の交差点の近辺は四六時中渋滞が続き、その部分の甲州街道が地下に潜るまで、あたりに漂う排気ガスのせいで喘息患者が大量に発生するほどだった。だから、オリンピックはからだにも悪いのである。
 環七といえば、ヨーロッパに向けて発つ数日前の晩に、高円寺に暮らしていた親しい女性と、青梅街道のあたりを散歩していたことが不意に記憶に甦る。それが環七と呼ばれることさえ知らずにいた二人は、青梅街道をまたぐ立体交差の禍々しいコンクリートの橋桁が途切れて月影に映えるさまを見やりながら、オリンピックで東京もひどいことになるだろうと呟きあったものだ。
 その女友だちはオリンピックの翌年にヨーロッパに渡り、彼の地の男性と結婚して双子の娘を産み、以後、日本に戻って東京で暮らすことはなかった。つい最近、彼女は、なかば記憶を失ったままこの世を去った。その娘の一人が母親のことを語った小説がフランスで出版されたが、それを読む気にはなれずにいる。ただ、青梅街道を越える未完成の環七の橋桁の月夜の光景を記憶にとどめているのはいまや自分一人しかいなくなったといささか感傷的につぶやきながら、できればオリンピックの「君が代=日の丸」騒ぎからは遠く離れて暮らしたいと願っている。近く八十五歳になろうとしている後期高齢者には、それぐらいの権利が保証されていてもよいはずではないか。

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