世の中ラボ

【第134回】
子ども向けの自己啓発書に見る「親の不安」

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2021年6月号より転載。

 半年も前の話で恐縮ながら、昨年一二月発表の二〇二〇年ベストセラーランキング(トーハン調べ)にはちょっと驚いた。
 総合一位は聖教新聞社、二位は幸福の科学出版の本で、上位に宗教関係が入るのは毎年のことなのでさほど驚くことはなく、三位が『鬼滅の刃』シリーズ計三冊、四位と五位が「あつまれ どうぶつの森」の攻略本だったのも「まあそうだろうな」とは思ったが、「あれっ?」と思ったのは、総合八位に山崎聡一郎『こども六法』という児童書が入っていたことである。
 今泉忠明監修『ざんねんないきもの事典』シリーズ(高橋書店)のように、児童書が総合ランキングの上位に顔を出すこと自体はそう珍しい現象ではない。ただ、『こども六法』は意表を突かれる。子どもが自らこれを選ぶとは、あまり思えませんからね。
 総合ランキングにはこれ以外にも、二〇位に池上彰監修『なぜ僕らは働くのか――君が幸せになるために考えてほしい大切なこと』という児童書が入っている。ついでに児童書部門のランキングを見ると、一位が『こども六法』、二位が『なぜ僕らは働くのか』。常連の『ざんねんないきもの事典』や『おしりたんてい』などのシリーズを挟んで、七位が齋藤孝『1日1ページで身につく! 小学生なら知っておきたい教養366』である。
 コロナ禍による一斉休校で、子どもたちが自宅学習を余儀なくされた昨年は、全体に児童書が好調だったとも聞いた。お話の本でもない。理科の本でもない。ざっくりいうとこれらは「子ども向けの自己啓発書」といえるだろう。さて何が書いてある?

まるで警察目線の『こども六法』
〈あなたは法律にどんなイメージがあるでしょう。法律は、大人も子どもも、日本に暮らす人、日本に旅行でやってきている人も含めて、すべての人が守るべきルールです。でも、法律はわたしたちにきゅうくつな思いをさせるためのものではありません。むしろ、わたしたちの自由で安心な生活を守るためのものです〉。
『こども六法』の「まえがき」である。一見ちゃんとしている風である。だが、次の段落ですでにひっかかる。
〈もし、人に暴力をふるったり、物を奪い取ったりしても、何もペナルティがなかったらどうでしょう? 急になぐられたり、お財布を盗まれたりしたときに、誰も助けてくれない国では、安心して生活できませんよね。/そうです。法律は、みんなの安心で安全な生活を守るために決められたルールなのです〉。
 いきなり暴力や窃盗を例に出して「ペナルティ」の必要性を説く。警察権力が法律の講義をしているような感じである。
 実際、この本は「警察の人が書きました」といってもおかしくないほど、視点が公権力寄りなのだ。その証拠に第一章は、法治国家の解説でも立法府である国会の説明でもなく「憲法」でさえもなく「刑法」だ。見出しは〈刑法は「これをやったら犯罪」のリスト/安全な生活を守るためのルールだよ!〉。
 そして以下、刑法の条文が噛み砕いた形で列挙される。
〈刑法はやぶったら国から罰を受けるルール〉(第1条「国内犯」など)。〈罰金は国に払うお金だよ〉(第15条「罰金」など)。〈執行猶予はイエローカード?〉(第25条「刑の全部の執行猶予」など)。〈法律を知らないことは言い訳にはできないよ!〉(第38条「故意」など)。〈14歳になるまでは犯罪にならないの?〉(第41条「責任年齢」など)、〈二人で犯罪をしても責任は半分にはならないよ〉(第60条「共同正犯」など)、〈警察や先生の仕事を邪魔してはいけないよ〉(第95条「公務執行妨害及び職務強要」など)。
「こういうことをやったら捕まるぞー」的な、脅されている感満載。禁止事項を列挙した校則の拡大版みたい。
 この本の目的はどこにあるのだろう。子どもたちに犯罪を犯すなと指導しているのか、それとも子どもたちが被害に遭った場合を想定して「それは犯罪だ」と認識せよというのか。
 巻末の「大人向けのあとがき」や「謝辞」によると、この本は〈法律はみんなのためのルールなのに、みんなにわかるように書かれていない〉という問題意識からスタートしたのだそうだ(ちなみに監修者はついているものの、著者は法律の専門家ではない)。〈法律を誰でも読める文章に直す〉のがそもそもの目的で、根底には著者自身のいじめ被害体験がある。〈小学生当時の自分に法律の知識があれば、自分で自分の身を守れたかもしれない〉。
 なるほど、だから刑法からはじまるのね。
 参考までに第208条「暴行」の元の条文は「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」。『こども六法』では〈人に乱暴な行いをしたけれども、相手にケガをさせなかった場合は、2年以下の懲役または30万円以下の罰金か拘留、科料とします〉。そして短い解説。〈当たらないように石を投げつけたり、水をかけたりするだけでも暴行だよ〉。
 発想はわからなくもないし、〈ケガをさせなくても暴行になるよ〉という見出しは、子どもたちに覚醒を促すかもしれない。しかし、はたして条文を噛み砕いただけで「いじめをなくす」という目的が達成されるのだろうか。それよりも、憲法が保障する基本的人権の説明を先にきっちりやるのが筋じゃないのか。 
 で、うしろのほうの「日本国憲法」の章を見ると、ここはわりとあっさり〈みんな幸せになる権利がある〉(第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」など)とか、〈みんなと違っていてもいい〉(第19条「思想及び良心の自由」など)とかいってるだけ。ううむ、なんか納得できないな。

「なんとなく」が通じない世の中
 一転、『なぜ僕らは働くのか』は〈この本は、将来の働き方について中学生や高校生に考えてもらおうと願って作られました〉(監修の池上彰による「はじめに」)と謳った本。
 二〇〇三年のベストセラーになった村上龍『13歳のハローワーク』(幻冬舎)とはちがい、職種の羅列ではなく、とことん「なぜ働くのか」にこだわる。「僕ら」という男性のジェンダーが刻印された一人称をなぜ使うかなという疑問が湧かぬではないものの、学研は児童書に長けた版元だ。編集には相当な手間暇がかかっている。
 第1章「仕事ってなんだ?」は「仕事は誰かの役に立つこと」という話からはじまる。〈自分ではできないこと、労力や時間を割けないことを、他の人がする〝仕事〟に助けてもらう。こうした、仕事による助け合いのネットワークの中で、私たちは生きているのです〉。したがって〈なぜ僕らは働くのか、その答えの1つは、助け合いでつくられるこの社会の一員になるためです〉。
 こういう本にありがちな自己実現ではなく、社会貢献と社会的分業の必要性から説き起こす。正攻法である。
 第2章「どうやって働く? どうやって生きる?」はいきなり現実的な、家計、労働時間、雇用形態などの話である。一か月の勤労世帯の生活費の平均は約二七万六千円だといい、「人生の三大出費」(教育費、住宅費、老後資金)の目安となる具体的な金額を示す。労働時間やワークライフバランスに言及し、正規雇用と非正規雇用(パート、アルバイト、派遣)の差を説明する。
〈非正規雇用は一般的に、正規雇用に比べて働く時間が短く、収入も少ない場合が多いです。しかし、自分の都合や能力に応じて働く時間や内容を決めやすい、働く場所もある程度は希望通りになるという利点があります〉という説明は、非正規雇用者の不安定な立場にふれていない点で十分とはいえず、ブラック企業や雇用の女性差別をコラムで扱うだけでよいのか(労働三法や均等法も紹介すべきではないか)など、不満な点もなくはない。しかしともあれ、ここまでやってようやく自己実現の話(第3章「好きを仕事に? 仕事を好きに?」)に進むという手順は、誠実といえる。
 この種の本を選ぶのは大人だろうという前提でいうのだが、この二冊は子どもを取り巻く現実の厳しさ、ひいては親の不安を示しているように思われる。かつて子どもは法律なんか知らなくても、のびのび暮らせた。なぜ働くのかなんて考えなくても、なんとなく就職できた。しかし、いじめや児童虐待や性犯罪が顕在化し、就職戦線の厳しさや若者の離職問題が恒常化した現在、「なんとなく」は通用しない。自分の身は自分で守ってほしい。そんな自己責任と自助努力を求める社会特有の、親の切ない願望が見え隠れする。
 では『小学生なら知っておきたい教養366』はどうだろう。
〈この本は「勉強」の本じゃないよ。/「教養」の本なんだ。/教養っていうのは、勉強で得た知識をいかす力のこと〉。
 一日一項目という縛りは邪魔な気もするけれど、小学館も児童書の編集にかけてはさすがに一日の長がある。これはなかなか楽しい本だ。言葉遊びにはじまって、日本の文学、世界の遺跡、勇気ある偉人、日本のかっこいい建築、世界のすごい画家、自然科学の大発見などなど、歴史も科学も芸術も幅広く網羅。これだけ知ってりゃ、たしかに教養人といえそうだ。
 これはさすがに親の不安とは無縁かなと思ったが、もしかしたらこの本も、職場その他で「いまどきの若者はこんなことも知らんのか」ということに(自分を棚に上げて)驚いた親が「せめてわが子だけは……」と願って手を出した本だったのかも。
 法律も労働も教養も一冊ですべてわかるような事案ではもちろんないのだ。が、もう悠長に構えてはいられない、一冊ですむならという気持ちも理解はできる。親の心子知らずともいいますけどね。

【この記事で紹介された本】

『こども六法』
山崎聡一郎、弘文堂、2019年、1320円(税込)

 

〈きみを強くする法律の本〉〈いじめ、虐待に悩んでいるきみへ〉(帯より)。「いじめという《犯罪》を『こども六法』で無くしたい」というクラウドファンディングから生まれた本。刑法、刑事訴訟法、少年法、民法、民事訴訟法、日本国憲法、いじめ防止対策推進法の七章仕立てで、主な条文を平易な文章に直して紹介する。法律の本としては疑問も多いが、ニーズには合致している?

『なぜ僕らは働くのか――君が幸せになるために考えてほしい大切なこと』
池上彰監修、学研プラス、2020年、1650円(税込)

 

〈君に伝えたいことがたくさんある〉(帯より)。4章以降のタイトルは「4 幸せに働くってどういうこと?」「5 大人も知らない未来の〝働く〟」「6 いま あなたたちに伝えたいこと」。各章ごとに中学二年の少年を主人公にしたマンガをつけ、実際に働いている多様な職種の人の声を紹介するなど多角的な編集。文章はやや冗長。5章以降は不要な気もするが、丁寧な作りの本。

『小学生なら知っておきたい教養366』
齋藤孝、小学館、2019年、1980円(税込)

 

〈思考力・理解力・語彙力が育ち、グングン頭がよくなる!〉(帯より)。言葉、文学、世界、歴史、文化、芸術、自然と科学の七ジャンル53テーマにわたる知識を、1ページ1項目、1週間1テーマで広く浅く紹介。「ここがすごいよ! ○○」という情報を三ポイントにまとめ、クイズを組み合わせるなど工夫満載。日にちで縛るのは余計なお世話だが、項目の選択も的確で楽しい。

PR誌ちくま2021年6月号