ちくま新書

バイアスについて知ることがなぜ大切なのか

気づかぬうちに私たちの認知をゆがめ、ときに判断をも誤らせてしまうバイアス。そうしたさまざまなバイアスを紹介し、緩和策を模索するのがちくま新書『バイアスとは何か』です。同書より、バイアスについて知ることの意義を紹介した第1章の一部を、抜粋して公開します。

 それでは本章のまとめとして、バイアスについて知るとどのような意義があるのかについて考えてみましょう。その前提として、バイアスは無意識に生じ、意識的に修正することが難しいという重要な特徴があります。
 バイアスは「かたよって認知しよう」と思っていてもいなくとも、自動的に生じます。そして、その働きを意識や意思の力で押し留めたり変更することはできません(Kahneman,2011)。それは、バイアスは意識下の情報処理で生じているものであり、意識的な努力やコントロールによって使ったり使わなかったり、その範囲を変更したりすることは難しいからです。
 バイアスに関して著名な理論として、「プロスペクト理論」(Kahneman & Tversky, 1979)があります(第2章参照)。「プロスペクト」とは見込みや見通しのことです。
 プロスペクト理論では、利益や損失についての見通しと、それから感じる感情的な喜びや痛みの量の関係を扱っています。たとえば、今から1000円得られると思ったときの喜びの大きさと、1000円を失うと思ったときの痛みの大きさを比べると、失う痛みの大きさのほうが大きくなります。数値的には得るものと失うものの量が同じなのですから、感情の大きさも同じになりそうなものです。しかし、私たちはすでに持っているものを失うことに、より大きく感情を動かされるようにできています。これは、生き延びるという観点から言うと、今自分が持っているものはなるべく保持するようにしたほうが有利だったからだと推測することができます。
 そして、以上の感情の動きは、プロスペクト理論を聞いたあとでも変更したり意のままに操ったりすることは難しいのです。


 では、バイアスについて知っても、自分で修正できない認知の間違いについての知識が増えるだけで、その結果苦しくなるだけなのでしょうか? 知らずにおけば自分がそんな間違いをしているなんて思わずに過ごしていられますから……。
 しかし、認知を行う際には気づかなかったとしても、バイアスについての知識があれば、あとから「バイアスに影響されていないか?」と思い返すことができます。意識的選択や意思決定を行う際に「自分がそれに基づいて判断しようとしている情報には、バイアスによるかたよりが含まれているのではないか?」と考え直すことで、意思決定の際に不都合なかたよりに影響されたままにならずに済むようになることもあります。
 また、第6章で取り上げる、バイアスを緩和する方策をとることも可能です。
 このように、バイアスは知ったからといってなくせるわけではありませんが、対策をとることが可能なのです。少なくとも、対策が必要なことに気づくだけでも大きな違いを生み出すでしょう。


 たとえば、自分が採用担当者になったとしましょう。その際に、よく似た能力・年齢の男性の候補者と女性の候補者がいたとします。筆記試験での成績はほぼ同じ。面接してみると、男性のほうが女性に比べて長く自社に勤めてくれそうな雰囲気を感じました。そう考えると、全体的な印象も好ましく、また、筆記試験に現れない能力で男性が上回っていたようにも感じられます。
 その後、上司や同僚とどちらを採用するか話し合うことになりました。その際に、バイアスについて知らなければ、自分の受けた印象をそのまま正しいものと考えて何らの疑いも持たないかもしれません。そして、「筆記に現れない能力では男性候補者のほうが優れていた感じだし、我が社にコミットしてくれそうだったので、男性候補者を採用することがよいと思う」と述べることになるかもしれません。
 会社としては、同じくらいの能力ならば、長く勤めてくれる人を採りたいと思います。なぜなら、短期で辞められると採用活動を繰り返す必要がありますが、それにはコストがかかります。また、採用された人が入社後仕事を覚えるまでには時間がかかり、その間会社が支払う給料に見合った仕事をすることは難しいからです。
 しかし、採用担当者が「男性のほうが長く働いてくれそうだ」と感じるその感覚が、実は男女の性別役割(ジェンダー)に関するさまざまな学習の結果、身についた無意識的な情報処理の仕方によっているのかもしれません。これまでの社会人経験や人事担当の経験として、男性のほうが長く勤めてくれたケースが印象に残っていれば、それを学習して男性に対する長期勤続の期待をもつことになります。人は自らがもつ期待で他者認知が変化しますから、長期勤続の期待を持っていれば、「男性のほうが我が社にコミットしてくれるはずだから好ましい」という印象を無意識に持つことがあるでしょう(ここでの「学習」とは、さまざまな情報を自分のなかに取り入れて体系化して保存するという、心理学的な意味での「学習」で、学校や塾や家で勉強するという意味ではありません)。
 こうして、自らの期待というバイアスの影響を受けている結果、たとえば男性の候補者に理由のよくわからない転職の履歴があったなど、ほかに重要な判断の手がかりがあってもその情報の価値を小さく考える可能性があります。最終的には未来のことはわかりませんが、女性よりも男性のほうを有利にみて、そしてそれが客観的にも正しいという感覚を持ってしまう可能性があります。
 そういったとき、最終的に結論を出す前に「自分のこの判断は、バイアスによっているのではないだろうか?」と思い返してみることは可能です。その際に、過去の学習に由来する期待がバイアスになっているかもしれないと知っていれば、より容易に気づけるかもしれません。
 以上のように、バイアスは意識的で慎重な情報処理をすることで、その影響を減じることもできます。ただ、すばやい情報処理が必要なときにはなかなか難しいことです。
 重大な意思決定のときに、最終的な決定の前に「バイアスによる情報に基づいて意思決定していないだろうか?」と思い返す時間をとることで、不都合な影響を減じることができます。それがバイアスについて知り、理解することのメリットと言えるでしょう。