ちくま学芸文庫

安田武と「語り難さ」へのこだわり

安田武著『戦争体験』解説より

自らの戦争体験の「無念」とその伝承の難しさについて、20年をかけて書き上げた安田武著『戦争体験 一九七〇年への遺書』。メディア史、歴史社会学がご専門の福間良明さん(立命館大学教授)による、本書の文庫版解説の一部を公開しています。安田氏の思想や、戦争体験の伝承をめぐる執筆当時の時代状況について。ぜひご一読ください。

 

 

戦中派・安田武

 終戦を20歳前後で迎え、もっとも多く戦場に動員された世代は、戦中派と呼ばれる。大正末期生まれの彼らは、少年期・青春期を戦時下に過ごした。小学校時代には満州事変や五・一五事件、二・二六事件があり、中等学校から大学入学にかけての時期に日中戦争、太平洋戦争が勃発した。戦況悪化に伴い、大学生らへの徴兵猶予措置が撤廃され、繰り上げ卒業後、あるいは在学中に学徒出陣を強いられた。むろん、高等教育に進まなかった層も、志願・徴兵により多く動員された。当然ながら、日中戦争・太平洋戦争において、戦没者が群を抜いて多かったのが、戦中派世代であった。

 彼らの世代経験は、前後の世代のそれと比べて、明らかに異質であった。それは戦争体験のみならず、読書文化や教育文化の面でも大きく異なっていた。大正デモクラシー期に精神形成を果たした戦前派であれば、青春期にモダニズムや自由主義、社会主義にふれる機会があった。また、終戦時点で十代半ば以下の戦後派世代は、社会的な価値規範が転換した戦後に青春期を過ごし、民主主義や自由主義の空気にふれながら精神形成を果たして
いった。それに対して、戦中派世代は青春期にそれらの思潮に接することは容易ではなく、むしろ日本主義や国家主義が彼らの主たる教養であった。彼らが戦後になって、前後の世代に対して複雑な思いを抱いたことは想像に難くない。

 その世代の思想家・作家としては、鶴見俊輔や橋川文三、司馬遼太郎らが想起されよう。それに比べれば、安田武が思い起こされることは今日では少ないかもしれない。だが、安田は戦争体験にこだわり、それを多く論じた代表的な戦中派文化人だった。ことに、安田の戦争体験論が多く量産されたのは、1960年代だった。本書『戦争体験』も、もともとは1963年に未來社より刊行されている。

 1922年生まれの安田は、上智大学英文科在学中に徴兵された。朝鮮半島北部・羅南の中隊に配属された安田は、玉音放送があった1945年8月15日にソ連軍との激戦に巻き込まれ、18日にソ連軍の捕虜となった。その際、岩陰に身を潜めて応戦するなか、安田よりほんの十センチ右にいた戦友がソ連軍に狙撃されて即死している。ちなみに、羅南師団の武装解除がずれ込み、18日まで戦闘が続いたのも、司令官以下、師団参謀が玉音放送を米英側の謀略放送であるとして握りつぶしたことにあったという。

 1947年1月に復員すると、安田は上智大学に復学したが、ほどなく法政大学国文科に転入学している。しかし、それも生活苦のため中退を余儀なくされ、以後、さまざまな中小出版社を編集者として転々としながら、文筆に携わっていく。その過程で鶴見俊輔や多田道太郎、山田宗睦らとも知り合い、思想の科学研究会に参加した。

 その一方で、日本共産党の内紛のあおりを受けて自然消滅した日本戦没学生記念会の再建(1959年)に関わり、常任理事を務めた。以後、戦争体験について執筆を重ね、『戦争とはなんだ』(三一書房・高校生新書、1966年)、『学徒出陣』(三省堂新書、1967年)、『人間の再建──戦中派・その罪責と矜恃』(筑摩書房、1969年)といった著書を立て続けに世に出した。そのなかでも、本書『戦争体験』は安田の戦争体験論の主著というべきものである。


「抽象化」「一般化」の拒絶

 安田の戦争体験論に特徴的なのは、「語り難さ」への固執であった。安田は自らの体験を念頭に置きながら、それを言語化することの難しさを、以下のように吐露している。

 戦争体験は、ペラペラと告白しすぎたために、ぼくのなかで雲散霧消してしまったのではなく、それは、却って重苦しい沈黙を、ぼくに強いつづけた。戦争体験は、長い間、ぼくたちに判断、告白の停止を強いつづけたほどに異常で、圧倒的であったから、ぼくは、その体験整理の不当な一般化を、ひたすらにおそれてきたのだ。抽象化され、一般化されることを、どうしても肯んじない部分、その部分の重みに圧倒されつづけてきた。(本書、103頁)

 安田にとって戦争体験とは、断片的で矛盾含みなものの集積であり、したがって、単一の意味や物語に「抽象化」「一般化」できるものではなかった。前述のように、ソ連軍との交戦のさなか、わずかに右にいた日本兵が狙撃された経験は、「わずか十糎の『任意』の空間、あるいは見知らぬ異国の狙撃兵による『恣意』の選択」がもたらした「致命的な偶然」(強調は原文通り、以下同)のうえに、戦後の「生の意味」を考えることを安田に強いた(本書、149頁)。そのことは、以下のような情念を導くこととなった──「アイツが死んで、オレが生きた、ということが、どうにも納得できないし、その上、死んでしまった奴と、生き残った奴との、この〝決定的な運命の相違〟に到っては、ますます納得がゆかない。──納得のゆかない気持は、神秘主義や宿命論では、とうてい納得ができないほど、それほど納得がゆかない。まして、すっきりと論理的な筋道などついていたら、むしょうに肚が立って来るだけのことである」(本書、39頁)。

「納得のゆかない気持」は、兵営での体験にも根差していた。安田は、岩手県農村文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』(1961年)を評した文章のなかで、「日々、四六時中──寝具のなかに短かい夢を結ぶ間も、厠で糞をたれている間も、〈無名の国民〉にいじめぬかれ、小づきまわされ、「陛下」の銃床で殴られ、馬グソを喰わされ、鉄鋲のついた編上靴ではり倒され、血を流し、歯を折られ、耳を聾され、発狂し、自殺した同胞」に言及しているが、それは安田の兵営体験とも大差はなかった(本書、182頁)。

 とはいえ、戦争遂行に対する往時の安田自身の姿勢は、戦後の安田に自責の念を掻き立てた。安田は少年期より文学、演劇、洋画、芸能に親しみ、総じてリベラルな文化のもとで育っただけに、「国内のバカらしい野蛮な軍国主義的な風潮」には憎悪の念を抱いてはいたが、いよいよ学徒出陣で出征を迫られるようになると「いまやこの国難を収拾するものは、吾々若いものをおいてはない」「軍部のために戦争にかりたてられてゆくのではないのだ。愛する祖国の国土を守り、光輝ある万世一系の皇統を守るために征く」という思いを抱いた。だが、それは「一応はヒューマニスティックな立場から反戦的でありながら、現実の逼迫につれて、次第にそうした立場を曖昧にし、思考の順当な発展を、自から停止した」ことにほかならなかった(本書、23-4頁)。それだけに、戦争体験を振り返る際には、憎悪や憤りだけではなく、悔恨、自責、恥辱といった感情も複雑に折り重なることとなった。

[戦中派の]求道的な姿勢と誠実主義の過剰についてはすでにふれた。生き残った戦中世代は、「戦後」から、その誠実主義を裁かれねばならなかった。誠実主義故の戦争協力。自己のおかれた運命に、忠実に誠実に応えようとした姿勢自体を裁かれねばならなかった。否、自ら裁かねばならなかった。しかも、たくさんの同世代の不在と空白。彼等は愧じ、沈黙した。疲労感と共犯意識が、生き残った戦中世代を少しニヒルにしていた。(安田武『人間の再建』筑摩書房、1969年、62頁)

 安田が戦争体験をわかりやすく、あるいは心地よく語ることを拒んだのも、こうした複雑な情念のゆえであった。

 

「反戦」の政治主義との齟齬

 体験の語り難さへのこだわりは、「反戦」「平和」の政治主義に戦争体験を結びつけることへの拒絶につながった。安田は、本書『戦争体験』において、こう記している。

 戦争体験の意味が問われ、再評価され、その思想化などということがいわれるごとに、そうした行為の目的のすべてが、直ちに反戦・平和のための直接的な「行動」に組織されなければならぬ、あるいは、組織化のための理論にならねばならぬようにいわれてきた、そういう発想の性急さに、私はたじろがざるを得ない。(本書、153-4頁)

 1960年には安保闘争が盛り上がりを見せたが、そこではしばしば戦争体験(記憶)が「安保反対」の政治主義に結びつけられた。もともと戦没学徒遺稿集『きけ、わだつみのこえ』(1949年)の刊行を機に発足した日本戦没学生記念会(わだつみ会)も、1960年5月に条約改定に反対する請願文を衆参両議院に提出している。だが、安田にとってそれらは、戦争体験を「反戦・平和」のイデオロギーに従属させ、そのために流用するものでしかなかった。

 もっとも、安田自身が六〇年安保闘争に関わらなかったわけではない。デモに参加することもあったし、「声なき声の会」の行進歌の作詞を手掛けたのも安田であった。だが、戦争体験はそのために流用されるべきものではなく、現実政治と戦争体験とはあくまで切り分けられるべきものであった。

 戦没者や犠牲者の遺書や手記の刊行は尠なくない数にのぼったが、それらは多かれ少なかれ、編者たちの性急な政治的意図に着色され、読者たちの性急な政治的解釈に着色され、死者と、その死者の囲りに取り残された人びとの深い歎きは、ひとりびとりの歎きのなかに押しとどめられたままである。(本書、158-9頁)

 政治主義と戦争体験の接合は、戦争体験のごく一部を取り出して、運動やイデオロギーの道具として利用することにほかならず、「死者と、その死者の囲りに取り残された人びとの深い歎き」から目を背けることでしかなかった。複雑で言葉にし難い体験にこだわる安田からすれば、当然導かれる論理であった。

 

戦後派・戦無派の苛立ち

 だが、安田の戦争体験論に対し、戦後派や戦無派(終戦後に出生した世代)はつよい反感を抱いた。………
 


 

わかりやすい伝承は何を忘却するか。
戦後における戦争体験の一般化を忌避し、
矛盾に満ちた自らの体験の
「語りがたさ」を直視する。