絶叫委員会

【第164回】読唇術ニュース

PR誌「ちくま」6月号より穂村弘さんの連載を掲載します。

 ちょっとした情報によって、自分が長年こうだと思い込んでいた世界像が揺らぐことがある。先日はインターネットで、こんなニュースを見た。

 英国のフィリップ殿下の葬儀を終え、礼拝堂から出てきたウィリアム王子(38)とヘンリー王子(36)が交わした会話の一言一句を英紙デイリー・エクスプレスが伝えた。
 ロンドン郊外にあるウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で17日に営まれた葬儀の後、礼拝堂から出てきた両王子ら王族の姿がニュース映像にとらえられた。
 その映像から読唇術の専門家が分析。2人の会話の内容が明らかになった。
(Yahoo!ニュース)

 えっ、と思う。読唇術? って実在するんだっけ? それは聴覚に障害のある人のリアルな読話とはニュアンスが違っている。読話には近距離でも高い精度は望めないと聞いたことがあって、遠くの話を自由に読み取れる魔法めいた読唇術は映画や物語の中のものかと勝手に思い込んでいた。或いは、キューブリック監督の名作「2001年宇宙の旅」の影響かもしれない。作中にコンピュータのHAL9000が飛行士の唇の動きを見て会話を読み取るシーンがあったのだ。怖かった。人間たちは彼に話を聴かれまいとしていたのに。でも、あれは近未来SF映画だからこその設定なのかと。
 もやもやと不思議な気持ちのまま、読唇術について検索をかけてみた。すると、別のニュースがヒットした。

 英大衆紙「デイリー・メール」が読唇術の専門家を使って明かしたところによると、キャサリン妃は「George, you’ll have to show her the way」(ジョージ、あなたがシャーロット王女の面倒を見なければなりませんよ)と言って、兄のジョージ王子に妹のシャーロット王女の面倒を見るように諭しているという。
(イギリス・森昌利/Masatoshi Mori)

 こちらも英国王室関連である。やはり実在するのか。そして、イギリスでは伝統的に読唇術が発達しているのだろうか。もしかしたら、格調高いクイーンズ・イングリッシュは、他の言語に較べて唇の動きが読み取りやすいのかもしれない。
 と思ったら、こんなニュースを発見してしまった。

 保釈前日には保釈手続きが開始されたので、マスコミが原宿署に集まっていました。外に出てきた吉澤はコメントしたものの、声が小さ過ぎて音声を拾えなかったので、マスコミ各社は読唇術を使ってコメントを読んでいました。
(Business Journal)

 日本の芸能ニュースである。英国王室から、一気に身近になってしまった。日本語の読唇術。しかもそれは「マスコミ各社」に専門家がいるほどポピュラーだったのか。学生の頃、私は新聞社で二年ほどアルバイトをしたことがある。でも、読唇術の専門家なんて見た記憶がないけどなあ。その人たちは普段は秘密の小部屋にいて、特別な任務の時にだけ出動するのだろうか。なんとなく忍者のイメージだ。
 でも、と思う。さすがの彼らも困っているに違いない。新型コロナウイルスのせいで全員がマスクの時代だから。唇が見えなければ、せっかくの術も使えない。出番がないまま秘密の小部屋に籠っているのに飽きて、新聞社の系列のカルチャーセンターに出向。そこで講座を持ったりしているんじゃないか。「初めての読唇術」。チラシにはHAL9000の写真が載ってたらいいなあ。​

 

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