地方メディアの逆襲

第1回 不都合な「自画像」が起こした波紋

東海テレビ放送「さよならテレビ」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 自社の内幕を描いたドキュメンタリー『さよならテレビ』で、テレビを問い直した東海テレビ放送に迫ります。

 テレビに未来はあるか──。ネット社会になって以降、何度も繰り返し問われてきた。若い世代はYouTubeなどのネット動画に流れ、NHK放送文化研究所の調査では「10代、20代の半数がほぼテレビを見ない」という。新型コロナ禍を機に、動画配信サービスの利用も急速に広がる。
 この問題に切り込んだのが、愛知・岐阜・三重を放送エリアとする東海テレビ放送だ。3年前、自社を舞台とするドキュメンタリー『さよならテレビ』を放送し、昨年には映画版を公開した。そこに映し出されたテレビの現状は業界内外に波紋を呼び、議論を巻き起こした。今年6月には、同作品のプロデューサーが同名の著書を刊行し、これまで手掛けてきた数々のドキュメンタリーの舞台裏を語っている。
 生々しい現場レポートであり、鋭利な批評でもある作品は何を語り、問うているか。制作者たちの言葉から、今あらためて考えてみたい。

ドキュメンタリーは「農耕型」である
 「自粛と言われても、われわれの仕事は人に会わなきゃしょうがない。取材してみないと、何が撮れるかわからないですからね」
 新型コロナ禍の第一波が収まり、ようやく東海テレビ放送へゼネラルプロデューサーの阿武野勝彦(62)を訪ねることができた2020年7月7日。偶然にもその日、彼が何年かぶりに取材した10分ほどの特集が夕方のニュース番組で流れることになっていた。
 主人公は名古屋市内で劇団を主宰する役者夫婦。夫84歳、妻90歳。夫はシェイクスピア劇の大きな舞台を秋に控えていたが、コロナ禍で1年延期になった。他の公演も次々と中止になり、稽古もままならない中、座長夫婦や劇団の役者たちは何を思い、どう過ごしているか。「コロナと演劇」をテーマに2回連続で放送するという。
 インタビューが一息つくと、阿武野は5階の音響効果室へ向かい、特集2回目のナレーション録りに臨んだ。劇団のベテラン役者が映像に合わせて原稿を読むのを聞き、「タイトルはちょっともったい付けて」「そこ、もう一度お願いします」と指示を出す。その模様もカメラが追っている。いずれ1本のドキュメンタリーになるのだろうか。聞けば、「そうなればなあ、と。まだわかりませんが」と返ってきた。

ナレーション録りで役者と打ち合わせをする阿武野プロデューサー

 自分たちのドキュメンタリーは「農耕型」だと阿武野は言う。種をまき、水をやり、じっくり育ててから収穫する。何が実り、どこへたどり着くかは、最後まで追わないとわからない。対して、日々のニュースは「狩猟型」だ。何をどう取材し、どんな絵が必要か、事前に狙いがある。時間が制約されるほど、取材者は欲しい絵や発言を求め、想定の枠に現実を当てはめてしまう。それでは伝えるものが歪む可能性もあるが、効率のみを追求すれば、自ずとそうなってくる。
 「頭の中にあるものをそのまま形にしたって面白くないですよね。現実の方が自分たちの想像をはるかに超えていくものなのに。だからドキュメンタリー制作には時間を十分にかけ、スタッフもちゃんと確保する。年に何本作るかも決めてないんです」
 東海テレビのドキュメンタリーを統括するプロデューサーとしての基本方針である。
 たとえば、『人生フルーツ』(2016年放送、17年に映画化)がそうだった。自ら設計した愛知県内のニュータウンに暮らす老建築家夫婦を丹念に追った作品は、もともと戦後70年の企画だった。それが取材を重ねるうちに枠をはみ出してゆく。土と手作りにこだわる夫婦の静かな生活は、本当の豊かさや生死のありようを問いかけ、映画化されると、26万人を動員するヒット作となった。
 『ヤクザと憲法』(2015年放送、16年に映画化)もそう。今や〝絶滅〟に瀕するヤクザの実態を撮りたいと言うディレクターがいた。ツテをたどり、大阪の組事務所に密着すると、暴力団対策法や社会の厳しい視線に追い詰められ、基本的人権も守られない彼らの苦境が見えてきた。スタッフは編集段階で何度も議論し、最後の最後、「これは憲法問題だね」とテーマが定まった。
 ヤクザに密着したディレクターは圡方宏史ひじかたこうじ(45)という。その彼が自身3作目のドキュメンタリーとして制作したのが、今回取り上げる『さよならテレビ』(2018年放送、20年に映画化)である。報道部に所属し、普段は記者やデスクとしてニュース報道に携わる彼が企画書を持って阿武野のところへ来たのが、そもそもの始まりだった。そこには「テレビの今」という仮題と、東海テレビ報道部──つまり自分たちの職場にカメラを入れることが書かれていた。
 「企画書と言っても、内容はほぼそれだけ。5~6行のメモみたいなものでした」と阿武野は振り返る。ドキュメンタリーの企画は報道部員なら誰でも自由に出せるという。それを採用するか否か、何をもって判断するのだろうか。
 「ディレクターが本気かどうか、ですね。本当にそれを撮りたいのか。番組にしたいと思っているか。話を聞けば熱意は伝わるし、毎日同じ職場にいるから、見ていればわかります。極端な話、企画書なんかなくてもいい。後からいくらでも書けますから。
 圡方のあの企画? そりゃあ最初は嫌でしたよ。あと数年で60歳の定年でしたから──今は再雇用プロデューサーなんです──静かに定年を迎えられないな、と思いました」
 それでも話を聞き、圡方の本気に動かされた阿武野は、「さよならテレビ、だね。それは……」と思わず口にしたという。著書に続きをこう書いている。
 〈しかし、何に「さよなら」なのか、どのように「さよなら」なのか、まったく考えてもいない思いつきだった。ただ、その冗談のような言葉に、圡方は素っ頓狂な声で賛同を表明した。その時、彼が何に賛同したのか気にも留めなかったが、「さよならテレビ」は、そのままタイトルとなって独り歩きを始めた〉