ちくまプリマー新書

なぜリスクの問題に心理学がからむのか?
『リスク心理学』(中谷内一也著)より本文を一部公開

コロナから原発、飛行機事故から児童虐待まで――。『リスク心理学――危機対応から心の本質を理解する』(ちくまプリマー新書)が好評発売中! 遭遇するかもしれない望まざる事態を、われわれの心がどのように受け止め、どのように反応しようとするのか。危機に対応する心の動きには、人間の本質が浮かび上がる。本記事ではリスク心理学誕生の背景に迫ります。

リスク認知とは?

 リスク心理学の中心にリスク認知研究があります。では、リスク認知とは何でしょうか? 先述のように、リスクが「望ましくない事態が起こる不確実性(可能性や確率)」と「その事態の望ましくなさ(深刻度)」から構成されるなら、リスク認知は人々による「不確実性についての認知」と「望ましくなさについての認知」から構成されることになります。すると、リスク認知を探ることとは、人々は確率情報をどういうふうに受けとめて判断に利用するのかを明らかにすること、事態の深刻さをどう判断するのかを調べること、ということになります。

 確かに、それらはリスク認知研究の主要なテーマであり、興味深い知見が得られています。例えば、ある事故による年間死者二〇人を一〇人に下げられる対策と、別の事故による年間死者一〇人を死者ゼロにできる対策とでは、必要な費用が同じだとして、あなたはどちらを実施すべきだと思いますか? たいていは後者が選ばれます。しかし、事態の深刻さの軽減という観点からはどちらも同じはずです。どうやら、私たちは「被害者ゼロ」に特別の魅力を感じるようです。

 このように、確率や事態の深刻さという軸に沿ってリスク認知を探る研究も盛んですが、一方、私たちがある科学技術をひどく恐れたり、逆に、不摂生を改めなかったりするとき、いちいち、どういう望ましくない事態が起こりうるかを思い描き、そうなる「確率」や「深刻さ」を考えて判断を下しているとは限りません。

 例えば、〝原材料は一〇〇%遺伝子組換えで、放射線照射による殺菌を行い、添加物により人工的な甘みを増した食品〞といわれたとき、いちいち「確率」や「深刻さ」などは考えず、もっと感覚的に「食べるのは嫌だな」と思うはずです。

 このような反応も理解するため、今日のリスク認知研究は「確率」と「深刻さ」の枠組みにとらわれず、私たちのリスクに対する感覚的な側面を明らかにしようとしています。つまり、リスク認知を探ることとは、リスクに向き合ったときの私たちの感覚的な反応の背後にある要因を探ること、というわけです。

 そして、だんだんわかってきたのは、私たちのリスクへの反応はどうやら「確率」と「深刻さ」とは別の軸があるようだ、ということです。その軸について、今日、研究者の間で概ね共有されている基本的な考えを紹介するのが本書の役割です。


 

人間には危機に対応する心のしくみが備わっている。
しかし、そのしくみには一癖あるらしい。
感情と合理性の衝突、リスク評価の基準など、最新の研究成果を紹介。

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