十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第4回 あなたは別に弱くないし、孤独なままに世界と繋がっている

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの新連載第4回です! 学校がつらかったり、なじめなかったりすると自分が悪いのかな?と思ってしまいがちです。でも、問題があるのは学校かもしれないよ?

人は何かきっかけがない限りは、自分が置かれた環境を疑うなんてややこしいことをわざわざしようとしません。毎日ルーティンで登下校を繰り返すだけの学生時代は、外部に目を開かれる機会が極端に少ないせいで、なおさら学校というせまい空間を世界の全てのように考えてしまいがちです。

学校に行くのがつらい

だから、学生にとって学校で自分がどのような立ち位置を占めるかというのは、最大の関心事であるだけでなく、文字通り自分の生存を賭けた戦いになることさえあります。学校にうまくなじめない人たちは、その環境を乗りこなしている人たちを見て、なんて伸びやかに人生を謳歌(おうか)しているんだろうと妬(ねた)ましく思うし、なじめない自分は何か問題があるのだと下を向いてしまいがちです。いまの環境がたまたま自分をそういう状況に追い込んでしまっているだけかもしれないのに、環境に合わない自分が出来損(できそこ)ないのヘンテコな人間のような気がして、思いつめた結果、人と目が合わせられなくなるほどに自信を喪失(そうしつ)してしまうこともあります。

でも、学校になじんでいる人たちも、そうでない人たちも、一時的とはいえ学校という限られた領域をまるで世界の全てのように錯覚している点では同じで、だからこそ、学校でうまく立ち回れている自分を感じるだけで生きる希望になるし、逆に学校でうまくいかないことが続くと、自分の息の根を止めたいほどの絶望にもなります。

先日、高校1年生の亜美さんから相談を受けました。彼女は高校に入ってまもなくクラスになじめなくて教室に居場所がないと感じるようになり、毎朝、登校の直前にきまってお腹が痛くなってしまうほど、学校にストレスを感じるようになってしまいました。

彼女がお母さんに学校に行くのが辛いことを伝えると、「環境が変わったら誰だって辛いものよ。それで行きたくないというのは単なる甘えよ。きっとそのうち慣れるからがんばって」と言われながら登校を促(うなが)されることが続きます。しかし、入学から3か月経過しても状態はいっこうに良くなりません。だから彼女は、もう学校に行くのも家にいるのも辛いと、私に訴えてきたのでした。

その次の日に亜美さんの家に電話をして、お母さんに話を聞いてみました。
「弱くてもいいんだよ、休んだっていいんだよ、と私が言ってしまったら、亜美は進歩しないし、ほんとうに学校に行けなくなってしまいますよね……。だから、苦しんでいるのは承知で学校に行かせているんです。私も辛いんです……」

お母さんは苦しい胸の内をそう話しました。本人だけでなく、お母さんもいったいどうしたらいいかわからないまま、心いっぱいに不安をため込んでいました。そして、わからないままに、亜美さんの繊細すぎるところ、感じやすいところが学校に行きたくなくなる原因だというふうに、家族の中では語られるようになっていました。私はお母さんの考えを聞くだけに留めたまま、その後も亜美さんと話を継続することにしました。

学校になじめない自分が悪いのか

何度か話をするうちに、亜美さんが学校に行きたくない理由として挙げたのは、クラスにはおしゃべりができる友人は2人だけいるものの、女の子たちのいくつかの派閥(グループ)から弾かれているのが辛いこと、そして、先生や先輩に威圧的(いあつてき)な怖い人が多いことなどでした。彼女は直接的なイジメを受けているわけではないのに、クラス内での孤立に耐えられなくて苦しんでいました。

派閥から外された彼女を見るクラスの目は、女子だけではなく男子からも冷たいと彼女は感じていました。男子たちがうひゃうひゃと笑いながら自分の方を見ているだけで、彼女は自分が蔑(さげす)まれているのではないかと感じて全身をこわばらせました。

先生や先輩たちも何の助けにもなりませんでした。彼らは上下関係をもとにした関わりの「冷たさ」を彼女に味わわせるだけなので、ますます彼女の学校生活を窮屈(きゅうくつ)なものにしていました。こうして亜美さんは、誰とも親密な関係を築くことができない自分のことを、風変わりで消極的な人間だと感じて身動きが取れなくなっていました。そして、担任や親から言われた「亜美さんは繊細すぎるところがある」という言葉を思い出しながら、自分の弱さを呪(のろ)うような気持ちになっていました。

みんなは、こんな亜美さんは弱いなあと思いますか。亜美さんはもっと強くならなくては生きていけないと思いますか。私は、そんなことは思いませんでした。亜美さんがそうなったのは、決して彼女が弱いからではなく、誰だってこのような状況に追い込まれることはあると思いました。だから私は、あなたが弱いからそうなったわけではない、そのことを繰り返し彼女に伝えました。

もちろん状況によっては、自分の弱さを引き受けることでようやく前に進めることもあるでしょう。「弱くても大丈夫」と他人から言ってもらえることで、ありのままを認められた、だから救われたと感じることもあるでしょう。でも、他人から不当に擦(なす)りつけられたレッテルとは、徹底して闘わなくてはいけないのです。「弱さ」というレッテルを貼られてそれを内面化した人は、いつしかそれなしには生きていけなくなります。自分の「弱さ」を味わうことでしか生きられなくなった人は、自分の殻に閉じこもっていることに気づかなくなります。そして、他者と出会う可能性を自ら葬(ほうむ)っていることがいつの間にかわからなくなってしまうのです。

学校でうまくいっていない子がいるとき、あなたはその子を物笑いの種にすることはありませんか。そうやって人を自分より下に見て、自分をその人より上の立場だと錯覚させることで安心しようとしていませんか。特定の子をグループからハブることで、クラス内で善良な安定した地位を獲得しようとしていませんか。

バカ、お前だよ。亜美さんが弱いんじゃなくて、お前が亜美さんを追い詰めたんだよ。

弱さは「発見」される

学校でうまくいかない子がいるとき、彼らの資質や適性に問題があると考えるのは早計です。うまくいかない理由は、学校のシステムの問題、クラスの環境の問題に起因することがほとんどで、後付けでその子の「弱さ」が「発見」されることが多々あるのです。変わるべきは本人ではなく学校側なのに、学校が頑(かたく)なに非を認めずに生徒側にその問題の原因を一方的に押し付けるせいで、いつの間にか親までうちの子の方に問題があると考えるようになることも多々あるのです。

でも、学校でうまくいかないというのは、いかに「弱さ」に見えようとも一種の意思表示なんです。彼らは辛いと感じたり、不調を訴えたりすることでレジリエンス(=困難な状況にもかかわらず、しなやかに適応して生き延びる力)を発揮しようとしているのであり、つまり、学校のいびつさや人間関係の冷たさに対して全身で抵抗しているのです。だから、私は彼らの抵抗を全面的に支えたいと思うのです。彼らが十全に戦うことができるように、その砦(とりで)をいっしょに築きたいと思うのです。

私が亜美さんに話したのは、学校という環境の特異さについてです。私は、うちの教室の1Fにあった『タテ社会の人間関係』(中根千枝著)という50年以上も前に出版された本をわざわざ取り出してきて、日本独特の「ウチの者」「ヨソの者」意識がクラス内でやたらと派閥を作りたがることと関係していること、亜美さんが先生や先輩のことが怖いと思うのも、やはり日本の組織に独特な序列意識によって説明ができることなどを話しました。

クラスで派閥を作って彼女を除け者にする同級生たちも、学食で先輩風を吹かせて並んでいる彼女を抜かした上級生も、いつの間にかこのような構造に巻き込まれてしまっている。でもそれでいいんだろうか、イヤだよね……。でも先生、私だって、自分を守るために派閥に入りたいと思いますよ。そのほうが楽じゃないですか。それができないから私は苦しいんだし……。

そんなことを話しているうちに、亜美さんの表情は徐々にほぐれていきました。こうして、自分の心の問題だと思っていたことが必ずしもそうではなく、彼女が置かれている独特な環境の中でこそ生じる現象だと考えられること、そして、クラス内のみんなもそのような力学の中でなんとか自分を保とうとしていることを確認できて、亜美さんは少し安心したように見えました。

自分の「好き」があれば世界と繋がれる

話をする中で、亜美さんに「普段家で何してるの?」と尋ねると、彼女は「BTSの動画ばかり見てます」と答えました。さらに「推しは誰なの?」と尋ねると「テテです!」と彼女はよくぞ聞いてくれたとばかりに嬉しそうに答えます。

それを聞いた私は、「なんだ、亜美さん。孤立してないやん!」思わずそう声を上げます。「テテと繋がってるなら、世界と繋がってるということだよ。私の『好き』はどこかで暮らす誰かの『好き』ときっと繋がってる。亜美さんは学校でいつもひとりだと言ってたけど、学校で孤独を感じてるだけで、もっと優しくて美しい世界と繋がっているじゃない!」

私がまくしたてるようにそう言ったので、亜美さんはびっくりしたのかブハッと一瞬笑ったあと、ボロボロと泣き出してしまいました。私はこのとき亜美さんとようやく友達になれた気がしました。

大人の「設定」に巻き込まれないために

学校に行けない。学校で問題行動を取る。子どもがそうなったとき、大人はたびたび「あなたの心のどこに問題があるの?」と子どもに問いかけます。「この子は自分に自信がないから」「自己肯定感が足りないんじゃないかしら」そんなことを言ってくる大人さえいます。そうやって良かれと思って近づいてきた大人のせいで、あなたは「私には欠陥(けっかん)がある」「私のどこが悪いせいでこうなったんだろう?」と考えてしまうかもしれません。

でもそこに罠(わな)があるんです。大人はいつもそうやって、問題をあなたのせいにする。そのせいでいつの間にかあなたは、大人の設定した問いの中でしか考えられなくなる。これは怖ろしいことです。

問題があるのは学校や社会かもしれない。大人の方かもしれない。それなのに、「あなたの心」だけを問題にしようとする大人は、自分の中に巣くう暴力性を自覚していません。「あなたの心には問題がある」なんて言うから、目の前の子どもがありもしない「問題」を内面化してしまうことに無頓着(むとんちゃく)です。あなたはそんなとき、良かれと思って近づいてくる大人から暴力を受けているのですから、抵抗してよいのです。問題をあなただけのせいにされようとしているんですから、それは私のせいではないと心で唱えながら、自分の尊厳を守り通さなければなりません。

もちろん、あなたの心にも問題くらいあるでしょう。でも、それは少なくともあなただけの問題ではないし、あなたがひとりで責任を負うようなことではありません。心はいつでも外に開かれていて、周りとの環境の調整を図ろうとします。その意味では、心は何も間違っていませんよ。だから、いま一度、自分が置かれた環境について考え直してみることは大切です。

繰り返しますが、心はあなたの内面にある以前に外部の環境に開かれているものです。だから、心の問題を決して自分だけの問題に閉じ込めてしまわないでください。「あなたには問題がある」「心を整えましょう」などと言いながら、いい人ぶって近づいてくる大人なんて、頭の中で中指を立てて意識から追い払ってしまいましょう。彼らはあなたをどうにか扱いやすい人間に仕立て上げようとしているだけなのですから。


※本連載に登場するエピソードは、事実関係を大幅に変更しております。