地方メディアの逆襲

第2回 「視聴率」と「報道の使命」の間で

東海テレビ放送「さよならテレビ」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 自社の内幕を描いたドキュメンタリー『さよならテレビ』で、テレビを問い直した東海テレビ放送に迫ります。

「居心地の悪さ」と向き合う
 「居心地の悪さ」を描く圡方の狙いは、主要登場人物の選択にも反映されている。当初は正社員の若手記者も含めて5人を追っていたが、最終的に立場の弱い3人──セシウムさん事件を引きずる中堅アナウンサー、硬派なジャーナリズム志向のベテラン契約記者、派遣会社から来た新人記者──に絞った。
 「テレビ屋的発想かも知れませんが、彼らに対する周囲の扱いや接し方を通して、組織の性格がよく見えてくると思ったんです。それぞれに悩みを抱え、キャラもわかりやすい。特に新人記者の彼がそう。不器用で、自分をよく見せようと取り繕ったり、パフォーマンスをすることもない。失敗ばかりしますが、愛すべき部分もあって。テレビ局の社員というのはだいたい器用に振る舞うもんですから、ああいうタイプは珍しいんです」
 彼は結局、「成長が見られない」と1年で切られてしまうのだが、映画版ではプライベートの姿も描かれている。アイドルに入れ揚げ、テレビの仕事に就いた理由を「アイドルの子に言われたから」と語る。記者としては頼りないが、その飾らなさは圡方の言う「愛すべき部分」なのかもしれない。
 そんな彼に同情的な視線を向けるのがベテラン契約記者だ。新人記者が「卒業」と称してお払い箱になると、「卒業なんていうオブラートに包んだ言葉で括れるんですかね」と声を上げる。だが、耳を貸す者は誰もいない。「弱者を助ける」と謳うテレビの、それが現実──。
 こうしたシーンは圡方の怒りや正義感の現れなのだろうか。聞いてみたが、そうではないという。理路整然とした「主張」ではなく、組織の論理に感じるモヤモヤした違和感やなじめなさ。それを、皮肉を込めた「面白さ」として描いたのだという。
 「怒りを持っていたのは僕じゃなく、カメラマンの中根芳樹ですね。彼や編集の高見順は『東海テレビプロダクション』という制作会社の所属で、同じ職場で同じ仕事をしていても、社員とは待遇に差がある。だからテレビに対し、僕とは異なる視点や明確な問題意識を持っています。中根にケツを叩かれて取材したこともたくさんある。サブロク協定の件では報道局長に話を聞きに行けと言われ、嫌だったけど行きました。結局は僕が詰め切れず、その場面は使いませんでしたが……」
 圡方は、過去2作でもコンビを組んだ中根に全幅の信頼を置く。彼に助けられて自分の作品はあると言う。
 「ドキュメンタリーの取材って、打ち合わせはもちろんしますけど、現場で実際に何を撮るかなんて、いちいち指示できないんですよ。特に今回は身内が取材対象だったので、指示すれば全部わかってしまう。基本的に中根にお任せでした。だから彼をはじめ、編集や音声の担当者、もちろんプロデューサーの阿武野、スタッフそれぞれの思いが入っています」

『さよならテレビ』のスタッフ。中央が圡方と阿武野(東海テレビ提供)

 とはいえ、年齢やキャリアや立場によって、テレビへの思いも、ジャーナリズムの流儀も少しずつ異なる。スタッフの間で激しい議論になり、全員がクタクタになったという。
 最も意見が割れたのはラストシーン。テレビの舞台裏を描いたドキュメンタリーの、さらに舞台裏を見せる〝タネ明かし〟のような場面だ。今まで事実と思って見てきた光景は、嘘ではないにしろ、多分に演出されていたのか。作為的な編集だったのか。視聴者は翻弄される。
 圡方は早くからこの幕切れを考えていたが、「ここまで見せる必要があるのか」と異論が相次ぎ、泣き出すスタッフもいた。オンエアや映画を見て「露悪的だ」と批判する人も少なくなかった。だが、そういう意図ではないと圡方は言う。
 「露悪って人が見たくないものを見せつけて楽しむことでしょう。絶対そうはならないようにしたかった。ここで意識したのは、あえて言葉にするなら『フェア』であろうということです。身内やテレビのカッコ悪いところを描いている自分だって、テレビの世界にどっぷり浸かった人間なんですよ、と。
 芸人さんが自分を落として笑いを取る感覚に近いかもしれない。面白さのためなら売れるものは全部売っちゃえ、という。編集室で僕が軽口を叩くあの場面を見て、『お前そのものだ』と言う人もいました。俗の極みのようなテレビ屋だと。真摯なドキュメンタリストである阿武野とは、そこが違う」
 圡方は映画版に寄せた文章で、テレビの自画像を等身大に描けたか自問し、「いまだに居心地が悪い」と書いている。しかし業界が変わるためには、その居心地の悪さと向き合う必要があるのでは、と言う。八方ふさがりに思えるテレビに、まだ幾ばくかの希望があるとするならば、だ。