ちくま学芸文庫

オッペンハイマーは死神だったか

藤永茂『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』より

マンハッタン計画を主導した理論物理学・オッペンハイマーは、「原爆の父」と呼ばれています。それゆえ大戦終結後、ヒロシマ・ナガサキの責任を学者として一身に背負うことになりますが、ただ、そこには確実に「ある意図」が働いていました。可能な限りの資料をもとに、政治に翻弄、欺かれた科学者の実像に迫り、これまでのオッペンハイマー像を一変させるとともに、原爆開発の真の責任の所在を問い直した『ロバート・オッペンハイマー』。8月10日頃の発売に先駆けて、「序」の一部を公開します。



1 オッペンハイマーを知っているか?

『ジュラシック・パーク』という映画がある。これまでに数百万の人が見た映画だろう。その中にロバート・オッペンハイマーの肖像写真が大写しになる所がある。恐竜パークを管理するコンピューターのモニター・スクリーンの向かって左側に貼りつけられている。オッペンハイマーの顔のすぐ上には原爆のキノコ雲のマンガも貼ってある。そのコンピューターを操作する男ネドリーにとっては、オッペンハイマーがアイドルであることを、この映画の監督スピルバーグはきわめて意識的に示そうとしているのである。ここに、オッペンハイマーとは私たちにとって何かという問題が見事にまとまった形で顔を出している。

 このネドリーという男の性格、思考パターン、行動は『ジュラシック・パーク』の恐怖物語の展開にとって要の位置を占める。コンピューター技術者としては有能で不可欠の人物だが、自分の欲望に歯止めがなく、金次第でどのような事でもする。他人にどんな迷惑がふりかかろうとお構いなし。このネドリーという無責任野郎がいなかったら、ジュラシック・パークの破局はまだまだ先のことになっただろう。ネドリーと自分を同一化する観客は一人もいまい。ネドリーは自分ではないのである。地獄に堕ちるネドリーを見つめる快感は、スピルバーグが巧みに私たちに売りつける商品の一つである。

 昭和二〇年(一九四五)八月九日午前一一時三分、原爆が長崎の上空で炸裂した。当時、九州大学の物理学科の学生であった私は福岡市の郊外で父母とともに暮らしていたが、終戦直後のある日、空ろな目をした兄が突然姿を現わした。爆心に近い三菱の兵器工場で働いていた兄は、炸裂の直前、たまたま地下室への階段を下りたため、腕に熱線による火傷を受けただけだった。地下室から上って外に出た兄は、そこに多数の女子工員が形を失った肉塊となって並んでいるのを見た。私が兄から聞いた話はただそれだけである。それから五〇年間、その日のことについて兄は私に何も語らなかった。私も何も聞かなかった。幸いにも兄の血管の中に白血球が突然溢れることはなかったようだ。しかし、この半世紀、兄が黙って長崎の死を裡に抱いて生きつづけたことを私は知っている。

 私は一九五九年の秋に渡米して、シカゴ大学物理学教室のR・S・マリケン教授の下で分子計算の仕事を始めた。厳しい木枯しの吹くある朝、大学行きのバスを待っていた私の前に一台の車が止まった。中年の男が自分も大学に行くから乗せてあげようと言う。大学構内で私を見かけたのだろう。経済学部の教授らしいその男は、アメリカでの研究生活についての私の感想を求めた。マリケン教授の下での何の義務も束縛もない毎日は、私にとっては天国のようなものであったから、その通りを述べると、彼はうなずきながら、次にはアメリカが広島、長崎に原爆を投下したことについての私の意見を求めてきた。私が口ごもっていると、彼は言った。「あなたたち日本の知識人は日本のファシズム独裁軍事政権が倒される日の到来を強く待ち望んでいたに違いない。我々の二発の原爆はそのファシズム政権を見事に打倒した。だからあなた方の心の中にはアメリカの原爆によって解放されたという気持があると私は思うのだが、どうだろう」。私は語る言葉を持たなかった。幸いにも車は大学に着き、私は逃げるようにして車を辞した。

 マリケン教授は私が滞在した二年間一度も原爆のことを話題にしなかった。教授が、日本の都市への原爆投下に反対したシカゴ大学の科学者集団の重要な一員であったことを私が知ったのは、それから一〇年ほどもあとのことだった。

 私の世代で、物理学を学び、それを教えることで生計を立ててきた者ならば、核兵器の問題がいつも心のどこかに貼りついた感じでこの五〇年を生きてきたはずである。原爆を可能にしたのは物理学である。原爆の開発を政府に進言し、それをロスアラモスの山中でつくり上げたのは物理学者である。「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った。これは物理学者が失うことのできない知識である」と言った。湯川秀樹は核兵器を「絶対悪」であるとしてその廃絶を唱えた。文芸評論家唐木順三は、その「絶対悪」を生んだ物理学そのものも「絶対悪」であると考えた。ガンによる死の床から、唐木順三は湯川秀樹をはげしく糾弾した(遺稿、一九八〇年)。湯川が原水爆を絶対悪として平和運動を進める一方で、依然として物理学研究の喜びを語っていることが許せなかったのである。核兵器は悪いが、物理学は悪くない、ということがあり得るか。

 一九四五年一〇月ロスアラモスを去ったオッペンハイマーは、二度と核兵器の開発を手がけることはなかった。一九四七年一〇月プリンストンの高等学術研究所の所長となり、一九四八年には湯川秀樹を、一九四九年には朝永振一郎を客員教授として招いた。湯川(一九四九年)、朝永(一九六五年)のノーベル賞受賞はオッペンハイマーの推薦に負うところが少なくなかったとされている。一九六七年、オッペンハイマーは、核兵器は悪だが物理学は悪ではないと信じたままで世を去った。

 私がロバート・オッペンハイマーに関心を持ってから二〇年はたつ。オッペンハイマーの名は科学者の社会的責任が問われる時にはほとんど必ず引き出される。必ずネガティヴな意味で、つまり悪しき科学者のシンボルとして登場する。オッペンハイマーに対置される名前はレオ・シラードである。シラードは科学者の良心の権化、「あるべき科学者の理想像」として登場する。このおきまりの明快な構図に、あるうさん臭さをかぎつけた時から、私の視野の中で原水爆問題を執拗に包みこんでいた霧が少しずつ晴れはじめたのであった。

 この、大天才でも大サタンでもないただの一人の孤独な男を、現代のプロメテウス、ファウスト、メフィスト、フランケンシュタイン博士、はたまた狡猾な傭兵隊長、ハッカー・ネドリーのアイドルに仕立て上げ、貶める必要はどこから生じるのか。そうすることで、誰が満足を覚え、利益を得るのか?

 私が見定めた答は簡単である。私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯しつづけている犯罪をそっくり押しつけることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれる。これは女性物理学者リーゼ・マイトナーを「原爆の母」と呼ぶのと同じく愚にもつかぬ事だが、あえてこの比喩に乗りつづけるとすれば、オッペンハイマーは腕のたしかな産婆の役を果たした人物にすぎない。原爆を生んだ母体は私たちである。人間である。

「人は人に対して狼なり」という西洋の古い格言がある。人間が人間に対して非情残忍であることを意味する。しかし狼は非情残忍な動物ではない。狼に対して失礼というものである。「人は人に対して人なり」と言うべきであろうと私は思う。人間ほど同類に対して残酷非情であり得る動物はない。人間が人間に対して加えてきた筆舌に尽くしがたい暴虐の数々は歴史に記録されている。それは不動の事実であり、人間についての、失うことのできない確かな知識である。

 オッペンハイマーの生涯に長い間こだわりつづけることによって、私は、広島、長崎をもたらしたものは私たち人間である、という簡単な答に到達した。私にとって、これは不毛な答、責任の所在をあいまいにする答では決してなかった。むしろ、私はこの答から私の責任を明確に把握することができた。唐木順三の声高な非難にもはっきり答えることが出来るようになった。「物理学を教えてよいのか、よくないのか」という切実な問題に対する答も出てきた。「物理学は学ぶに値する学問である」。

 私がこれからロバート・オッペンハイマーを描くことを試みるのは、オッペンハイマーを知る労もとらずに、オッペンハイマーの名と、彼が口にしたとされるいくつかのキャッチフレーズを勝手な方向に乱用する人たちの退路を断ちたいと思うからである。オッペンハイマーのステレオタイプをつくりあげた評伝の類は数々あるが、それに対しては、最近亡くなった物理学者ユージン・ウィグナーの言葉を引用しておく。「彼の名は今ではかなり知れわたっているが、彼について一般に思われていることのほとんどは誤っている」。


(以下つづく)

 


マンハッタン計画を主導し原子爆弾を生み出した
オッペンハイマーの評伝。
多数の資料をもとに、政治に翻弄、欺かれた
科学者の愚行と内的葛藤に迫る

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