宿題の認知科学

のび太とのび犬はどう違う?

漢字の書き間違いから、なぜその形がうまく表現できないのかについて、探っていきます。今回は、画像も盛りだくさんです。

 今回も引き続き「どうしてそうなるその漢字?」コレクションをお送りします。

 前回(頭の中の辞書をひく)では、「作文」→「作字」というような、意味的に似ている語を表す漢字同士の混同や、「司会者」→「死会者」みたいな、同音の別の文字との混同をとっかかりにして、そもそも人間は頭の中の辞書をどうやって引くのか、というお話をしました。意味系、音系に続き、今回から2回にわたり、形系の混乱についてもご紹介します。

 さて息子(こうたろうと言います)が小4のとき、彼から「宿題を拒否して逃亡する」という趣旨の声明文をワタクシいただきまして。


 「コウイヌロウって何だよ!」とオカン大爆笑してたら、あわてて確認の照会をよこしました。

 さらにその後自らの手元で確認していたので、

 ウケをねらってわざと、じゃなくて、素で間違えてるんですね。これが初めてじゃないですからわかります。かれこれ小1から間違え続けているんです。さあ、以下、小1から高学年に至るまでに収集した5連発いってみよう!
     「太」と「犬」が混じり合う
     テンのあるなしが交換されてた結果の「いぬきなおう」
 
 
ここではすべて「太」が犬化している。上から順に「犬い線」、「犬陽」「細いの反対、犬い」

 この「犬」と「太」の混同は、『ドラえもん』コミックス8巻「ライター芝居」という、私が小学校の頃から大好きなネタにも出てきます。現実をシナリオに書いたとおりにコントロールできる秘密道具その名も「シナリオライター」というライター(すでにダジャレ)を使って、しずかちゃんと大接近シーンで締めくくるストーリーを企てるのび太。しかしそのラストシーンでしずかちゃんと手に手を取り合って、去って行くのは近所の犬(この犬は胴体がやたらに長くてジャイアンに「のびイヌ」と呼ばれていじめられていたという伏線つき)。しずかちゃんも犬も、一同わけがわからないという表情が爆笑を誘う傑作です。……ですがまさかこの間違いを実写版で見られるとは……

 ここまでの例では、「太」と書くべきところを「犬」と書いている例が多数派でしたが、逆も少数ながら存在します(↓全体的にいろいろ間違えていますが、ここで言及しているのは最初の問題「えさを食う太」です。これまでの例と逆に、「犬」と書くべきところを「太」と書いているパターンです)。

ここで注目していただきたいのは「えさを食う犬」ですが「売」の字の間違いもこの後の話題に関係ありそう

 「犬」と「太」、この二つを混同し続けるということは、彼の頭のなかの知識において、これらの漢字は、どのような外見を持つ字であるとして記憶されているのでしょう。やっぱり「大」というパーツと「、」というパーツの組み合わせ、かな?

 一文字の漢字が、複数のパーツからなり得ることは、私たち漢字圏の人間にはもはや「当然知っていること」です。小学校の早いうちから「へん」「つくり」とか、「部首」という概念を教わります。だから、「時」が「日」と「寺」というようなパーツに分かれたり、またそれらのパーツは別のものと組み合わせることもできる(「晴」「待」など)というシステムの一部であることも自然に受け入れているようです。

 こうした、漢字における部首のような、組み合わせを作れる体系の一部として働いている、文字の意味を変えうる最小単位のことを「字素」とか「書記素」といいます。漢字の場合は、それ以上部首に分割されず漢字まるごと一文字が一字素をなすときもあれば(例:「口」)、複数の部首に分けられるものは各部首が字素に対応します(例:「時 = 日+寺」の「日へん」と「寺」)。ちなみに英語ではアルファベットの各文字がそのまま字素にあたります。

(「部首」とは、漢字を構成する部首パーツが複数ある場合はその中でもっとも代表的なもの、つまりその漢字を漢字辞典を引くときに参照するものだけをいうのがより正確ですが、ここではどれがその漢字にとって代表となるかに関わらず、部首となり得るパーツとして認定されているものをそのまま部首と呼んでいます。)

 実は、漢字辞典的には、「太」は「大」という部首と「、」という部首(「てん」という部首があるんです)からなりますが、「犬」はそれ以上分割されない、「犬」というまるごとの姿のが最小単位だということになっています(なので「犬」がそのまま一部首)。「犬」はそれ全体まるごとがひとつの象形文字だからなんですね。一方、「太」はふたつそれぞれの字素毎の意味の組み合わせで成り立つ指事文字(形声文字とする説も)だそうです。

 こうした例をみると、同じ「、」でも、部首のひとつだったりそうでなかったり。何をもって部首とするかという、漢字辞典に載っている決まりごとが、私たちの直感と完全に合致するかは別問題だということが窺えます。ましてや、漢字学習を始めたばかりの子供の感覚においては。

 直感的には、少なくとも子供の脳のなかでは(実は私自身もそうだと思います)、「犬」も「太」も、「大」という字素(パーツ)と「、」という別々の部品として捉えられているのかもしれません。というかそう考えた方が一貫性ありそうですよね。そしてその場合「、」の然るべき位置が本来指定されていてその通りに組み合わせる必要があるわけですが、ここではその位置指定において間違いが生じているということなのか。

 さて、間違い百花繚乱の息子の漢字ドリルですが、さらにもっと微妙な「もしかしてこれもパーツ認定!?」という例もてんこ盛り。例えば、こちらはオリジナルの象形文字?と言いたくなりますが、「雨」の外側部分をパーツと見なせば部分的にはかすっています。あとは「中が、雨降りの様子を絵で表したようなパーツだった」みたいな記憶の仕方をしていたということか。

     「雨」のつもり

 本当は、「雨」はそれ全体がひとつの部首となる象形文字で、外側と、内部の水滴部分に分かれるわけではありませんが、初めて接した子どもにとって、何が直感的に最小単位のパーツ(その子にとっての字素=部首)であるかは、それぞれの感じ方、推測があってもおかしくないでしょう。「降ってくる水」を描写している部分だけ取り出してオリジナルの字素を定めて覚えていたのでしょうか(形、間違ってるけど)。

 それから、一つの文字が複数の字素(パーツ)で構成されうるということは、パーツ毎の形を記憶するだけでなく、パーツ同士を正しく操作するという作業だって頭の中で必要となっているはずです。そうなるとさらに、バグる余地もありありです!

 これなんかは、パーツだけなら間違いなくあっているんですよね。明らかに構成だけが間違っている例です。

     「森」の配置が上下逆。同じ例がこの他にも採取されています
 
 よくよく考えると大切なのは……単に上下逆さまにしちゃう、というなら、以下のようになってもいいはずですが、そうではない点です。

 写真の中の彼の実際の間違い例では、「木」という字素(部首)自体は、上下の向きも含めて正しく取り出せていて、(本来の)「森」という字の形状を構成する単位として役割を果たしているといえるでしょう。いかんせん配置だけがおかしいですが。

 これはつまり、人間の漢字の知識においては、パーツ(字素)の記憶と、組み合わせの際の配置操作を別々に考えた方がよい説明になるのでは?という例です。そうなんです。子どもたちも、まんま覚えるだけでなく、頭のなかでそれらの構成操作も行っているからこそこういう間違いが生じてくるのだといえるのではないでしょうか(ポジティブ!)。

 そう考えると、この下の例では、「練」が書けていませんが、ピンクで囲った部分(「東」と同じ形の部分)は、本来右半分にくる「つくり」が左半分に位置していることを除けば部分的には辛うじて思い出せている様子。この部分がひとまとまりに記憶されている、つまり彼の中でひとつの「字素」として記憶されていることは間違いないでしょう。単体で「東」という字が実在することもその記憶を助けていると思われます。

「練」を意図。右に来るべき部分が左に配置されているが、じゃあその右にあるのは何なんだろう……

 一方、以下の例では部首としては実在しないけど彼にとっては字素として存在するのかも、と思われる部分を青で囲ってみました。

 青で囲ったのは「曜」の「ヨ」の形をした部分のひとつひとつで、部首としては漢字辞典をみても実在していないものです。しかし彼のなかではこれは、漢字全体を分解し、字素として取り出した結果のように見受けられます。しかし如何せん、「ヨ」、縦に積んだらアカンのだ。

 しかしこうした例も、「字素の推定」「字素の構成」という作業が頭の中で(たとえ不正確または不完全だったとしても)行われていることの裏付けと言えるのではないでしょうか。

 そうそう、息子にこれ以上恥をかかせないため言っておきますが、「犬」と「太」、正しく書けているときもあるんですよ。

ビールをのめば太るけど芋じょうちゅうなら太らない

……むむ、これは息子じゃなくてオカンが恥かいてるヤツや……