地方メディアの逆襲

第3回 「テレビの闇」はどこにある

東海テレビ放送「さよならテレビ」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 自社の内幕を描いたドキュメンタリー『さよならテレビ』で、テレビを問い直した東海テレビ放送に迫ります。

地方テレビ関係者たちの共感と違和感
 では、他の地方テレビ関係者は『さよならテレビ』をどう見たのだろう。私は大阪の局を中心に10人ほど感想を聞いて回った。そもそもテレビというメディアに対する私自身の関心は在阪局の政治報道から始まっていて、知り合いが多いのもあるが、それとは別に一つのきっかけがあった。
 『さよならテレビ』のオンエアから数カ月後、大阪で20人ほどのテレビ関係者が集まり、DVDを見る会があった。どんな感想や議論になるのか興味を持った私は、その場に参加させてもらった。ところが上映が終わると、なんとなく気まずい空気が漂い、誰も積極的に口を開こうとしない。せいぜい、登場するアナウンサーへの論評や知り合いが出てきたという話ぐらい。作品が提示する問題から、あえて目を逸らしているようにも見えた。
 「私も活発に議論したいと思って呼びかけたんですが、とてもそんな雰囲気じゃなかったですね。あそこで描かれたことはどこの局にもあり、薄々問題だと感じていたのをはっきり突き付けられて戸惑ったんだと思う。ライターさんとか、テレビ業界以外の人がいたのも、話しづらかったんでしょう」
 上映会を企画した番組制作会社の関係者は振り返る。後日、「あの時は話せなかったが」と数人から感想のメールがあったという。
 「個人的に一番考えさせられたのは、派遣記者が1年で切られる話。ああいう例はそこら中にあります。どこかの局で『この子は使える』と評価されれば、『うちに来ないか』と引っ張ってもらえますが、そうでなければ、局から局へ回遊魚のように渡り歩くことになる。どこへ行っても補助的な仕事のまま、経験を積めず、スキルも高まらず、使い捨てられてしまう。
 個人の資質もありますが、構造的な問題が大きい。つまり、人を育てられる仕組みになっていないんです。かつては局からの制作費には少し余裕があり、新人はディレクターの補佐をしながら給与をもらうことができた。ところが、制作費が切り詰められ、AD(アシスタントディレクター)をつける余裕がなくなった。しかも働き方改革で新人も先輩も残業できない。そんな中で削られたのが、新人育成の場だったんです」
 問題の根幹に労働者派遣法があると、この関係者は指摘する。法律に沿えば、契約書にある仕事以外はさせられない。労働時間は厳しく定められている。同一企業・部署で働けるのは最長3年。年に3日間の研修をしなければならない……。
 「法改正で細かなルールが増えるたび、人を育てる余地がどんどんなくなり、結果的に派遣労働者の首を絞めているんです。年に3日の研修なんかより、実際の仕事を幅広く経験する方が、よほどスキルアップになるのに」
 圡方や澤村によれば、東海テレビは「昔ながらの純血主義」で、報道に携わる外部スタッフは他局と比べてかなり少ない方だという。だが、主要登場人物のうち2人が外部スタッフだったせいか、この点に言及するテレビ関係者は少なくなかった。数年前まで在阪局に在籍した元記者は、『さよならテレビ』に描かれる葛藤がうらやましかったと言う。業務の専門化と分業化が著しい在阪局では、そんな葛藤すらなく報道の外部委託が進んでいる、と。
 「外部スタッフが番組作りの中心になると、無難で保守的な企画が増えます。彼らは一本ごとに視聴率で評価され、賛否を呼ぶようなリスクも冒せない。企画会議は新聞が報じたネタを持ち寄って焼き直し、権力監視や踏み込んだ報道に必要な取材・調査をする余裕もない。その結果、安易に話題の人物に走り、彼らの言葉や動向をそのまま伝えることが『報道』になってしまう。新型コロナ禍で大阪府の吉村洋文知事がやたらとテレビに出て称揚されたのは、在阪局のそうした現状の反映です」
 これは、プロデューサーの阿武野勝彦が語っていた「数字に支配される時代」がもたらす「当てに行くバッティング」に通じるものだろう。
 テレビ局の現役社員たちの感想は、概ね似た傾向だ。以下のような共通点があった。
 「重要なテーマ。自分の社にもある問題が描かれていて、直視するのが辛かった」
 「映像や音声の編集が巧みで、エンターテインメントとしての完成度が高い」
 「自社にカメラを向ける番組は、うちには無理。映画化までしたのは、さすが東海テレビ」
 と、こうした評価の後に「しかし……」と続く。
 「テレビが抱える問題の本質は、報道局内よりも、局外の営業や経営との関係にある。そこに切り込んでほしかったのだが……」
 誰もが「そこにある」と言うのに、詳らかにできない。「うちには無理」と言いながら、他局には「切り込んでほしい」と期待する。それが「テレビの闇」というものなのだろうか──。