地方メディアの逆襲

第3回 「テレビの闇」はどこにある

東海テレビ放送「さよならテレビ」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 自社の内幕を描いたドキュメンタリー『さよならテレビ』で、テレビを問い直した東海テレビ放送に迫ります。

それぞれの地域でしかできないこと
 『さよならテレビ』を見た他局の関係者が口を揃えて言う「うちでは絶対できません」という一言。これに対する心境を、阿武野は映画版パンフレットに書いている。
 〈「あなたもまた組織の劣化の推進役だと言っているのと同じですよ…」と心の中で思いながら、「できないんじゃなくて、やらないだけでしょ」とついついストレートを投げてしまうのだった〉
 視聴者からは「華やかな世界と思っていたけど、私の会社と変わらないのですね」「報道の皆さんの一生懸命な姿を見られてよかった」と好意的な反応の一方で、批判も少なくなかったと圡方は語る。「これでは全然、『テレビの闇』が描けていない」「もっと覚悟を持って深く追及しろ」といった声だ。
 「ネット上でよく言われているような、テレビに期待される『闇』ってあると思うんですよ。だけど、実際はそんなわかりやすいものじゃなく、もっと日常的で凡庸なものです。存在しないものを、視聴者を気持ちよくさせるために、あたかもあるかのように描くと陰謀論になってしまう。だから、ああいう形になったんですが、『結局、何が言いたいのかわからない』と言われることもあった。視聴者も悶々としてフラストレーションの溜まる作品だったんじゃないかと」
 「テレビの闇」とは結局、何なのか──。『さよならテレビ』をめぐって制作者や業界関係者の話をさまざま聞いてきて、あらためて思う。それは、テレビに関わる一人一人の心の中にあるものの総体ではないかと。
 視聴率やスポンサーに縛られ、「コストカット」や「マネタイズ」といった数字に傾く組織の論理に抗えず、報道機関であることの矜持や責任感、何よりも自由を失っていく。その閉塞感や諦めが「闇」を作り出しているのではないか。
 東海テレビにはまだ自由度があるように思える。少なくとも、数字の支配に飲み込まれまいと抗う人たちがいる。ドキュメンタリーという表現を持って。
 圡方と阿武野、それぞれインタビューの最後で連載の趣旨に関わる質問をした。『さよならテレビ』は地方局だからできたのか。地方局であるがゆえにできることや強みはあるか。
 「どうでしょうか。しがらみが少ないというのはあるでしょうね。組織が小さいから、忖度や根回しをする相手が少ない。『さよならテレビ』だって、多少のハレーションはあっても、阿武野がOKすればできるわけですから。キー局だとそうはいかない。社内だけじゃなく、スポンサーもシビアに広告効果を計算するし、タレント事務所との関係もある。存在感が大きいから視聴者の批判も多い。ローカルはそこまでではないから、結果的に自由にやれているという面はあるかもしれません」
 圡方の語り口はどこか飄々としてクールだ。自分でも言うように、正義感や使命感の強いタイプではない。テレビの現状をことさら憂うわけでも、さりとて未来に希望を見ているわけでもない。「恐竜が絶滅したように時代や環境に合わなくなれば、いつかはなくなるんでしょう」と。ただ、もうしばらくは地方局の報道現場で、好きな仕事を続けようと思っている。少しばかり「居心地の悪さ」を抱えつつ。

東海テレビ放送本社

 対して、阿武野は「テレビ愛」、とりわけ「東海テレビ愛」が強い。ドキュメンタリーやジャーナリズムの力を信じている。著書の最後にこう書く。
 〈テレビは、ジャーナリズムの砦であり、テレビマンは映像文化を創造する担い手である。ジャーナリズムは、テレビが地域の人々と切り結ぶ唯一のパイプだし、映像文化の創造は豊かな地域づくりに欠かせないものだ。これは、私がテレビで活動するただ一つの理由だ〉
 地方局の強みはあるのかという私の問いには、こう語った。
 「あると思います。たとえば、名古屋地裁に密着した『裁判長のお弁当』というドキュメンタリーを作りましたが、あれは規模的にも地域的にも、名古屋がちょうどよかった。他の地裁では、ああいう視点を持つのは難しかったかもしれない。自分たちが那辺にいるかを知ることで、見えてくるものがあるんです。
 ただし、ローカル局だからこうと一括りにしてしまっては何にも見えなくなる。キー局だって東京周辺の人びとを取材するローカル局なわけで、それぞれの地域に、その地域や現場でしかできないことがあるはずです」
 そして、すべてのテレビマンたちに向けるように言った。
 「それぞれの局の自由度を高めていくのは、今いるメンバーしかいません。個々人が自由度を高める努力をしないと、その局は特徴を失い、表現の可能性も狭めていく。だから諦めずにコツコツやるしかないんじゃないですか」

(おわり)