もしも家を建てるなら

天井が低くてなぜ悪い

体感しておきたい「こもり感」【アウトラインをつかむ②】

「理想の住まい」の盲点を百戦錬磨のプロたちと探るこの連載。第三回は天井です。なぜ天井高2400ミリの家が多いのでしょうか。天井の高低は住み心地にどう影響するのでしょうか。

ふかわりょうの気づき
 現在はタレント・DJとしても活躍するふかわりょう氏が、ピン芸人としてテレビに出始めたころである。当時は白いヘアターバンにエアロビクス風の衣装といういで立ちで、左右に軽く揺れながら、よきところで何かつぶやくというひと言ネタを披露していた。
 そのなかのひとつに、「おまえン家、天井低くない?」というネタがあった。「友達にちょっとしたダメージを食らわせるひと言」というお題だったと記憶している。
 このネタが私に教えてくれたことは二つある。ひとつは、天井の低い家に住んでいるのはなんだかバツが悪いということ。もうひとつは、その感覚が広く一般にも共有されているらしいということである。新築祝いの席で友人から、「お宅の天井は高くていいわね」と言われると悪い気はしない。しかし、「お宅の天井は低いわね」と言われると祝いの場が一瞬で凍りつく。天井の高さは、なんとなく経済力の有無に連動するイメージをもたれているからだろう。
 たしかに天井の高さは「経済」と連動している。そこにはこんな理由がある。
 建物を構成するパーツを分解してみると、室内の壁というのはたいてい石膏ボードで出来ている。木造なら柱(間柱)に石膏ボードを固定して、その上面にクロスを貼ったり左官を塗ったりして仕上げる。石膏ボードは内装用なら3×8版(サンパチバン/3×8尺[ [910×2420ミリ])が現在流通している規格の主流である。建物をつくる側としては、このボードを現場で無駄なく使い切りたいと思う。そのためにはどうすればよいか? 天井の高さを石膏ボードの長さと同じにすればよいのである。3×8版の石膏ボードを縦に張った寸法がそのまま天井の高さになれば、職人は現場でボードを切ったり継いだりする手間が省ける(若干の微調整は必要だが)。このような寸法を俗に「経済寸法」という。材料に無駄を出さない経済効率に長けた寸法という意味である。
 現在、日本の住宅の天井高は2400ミリがふつうである。そこには石膏ボードの寸法が大いに関係しているというのが多くの建築家たちの説である。
 2400ミリという天井高にはもうひとつ、建物全体の高さから逆算してそうなったという説もある。建物の高さは法律により地域ごとに制限がかけられるが、たとえばマンションの場合、その制限のなかでできるだけ部屋数を確保しようとすると、天井高はだいたい2400ミリ前後に落ち着く。仮に、すべての階の天井高を2400よりも300ミリ高い2700ミリにしたとしよう。すると、本来は5階建てにできたマンションが、天井が高すぎるせいで4階建てにしかできなくなる。たった1階分だが、不動産会社にとってこの1階はとてつもなくデカい。売ったり貸したりできる部屋が1階分減れば損失は莫大なものになる。
 ちなみに60代以降の建築家に聞くと、少し前の住宅は天井をもう少し低くしていたと証言する人が多い。「当時より平均身長が高くなったから」「床に座る生活から椅子に座る生活になって天井が近づいたから」など、低かった天井が2400ミリまで押し上げられた要因はいくつか挙げられる。何が本当かは定かではない。きっと、どれも本当なのだろうと思う。

建物の壁となる長さ2420ミリの石膏ボード。そのまま張るだけなら手間がかからないので職人は大助かり。経済効率も最大化される

天井の高い家はいいネ信仰
 近ごろは住宅展示場のモデルハウスをハシゴすると、
「わが社は天井の高さを自由に設定できます」
 とにこやかにアピールしてくるハウスメーカーにたびたび遭遇する。
 天井の高さを意のままにあやつれるというのは、昨今、住宅販売の最前線で大きな売りになっているらしい(そのコスト増は誰かがかぶるわけだが)。
 事実、多少のコストアップはものともせず、このごろは2400ミリ以上の天井高を求める人が増えている。とくに東京あたりの都市部では、希望する広さを確保できないなら、せめて高さだけでも、という人が一度はあきらめかけた広さへの渇望を高さ方向で満たそうとする。
「せっかくだし、天井は2700ミリがいいかなと思ってるんですけど」
 なかには、最初から具体的な数値を用意して打ち合わせにのぞむ奥さまもいる。
 どうして2700ミリなのですかと建築家がたずねると、
「まあ、なんとなく……」
 具体的な裏づけがあるわけではない。あるいは、天井高2400ミリを偏差値50と換算して、それより高いか低いかで住宅の良し悪しを決めているのかもしれない。
 そのねらいが室内空間の開放感にあるのなら、天井を高くする以外にも効果的な方法はいくつもある。ただ、数値という分かりやすい指標があるだけに、奥さま方の視線は天井の高さただ一点に注がれる。
 建築家が提案した新居の断面図に、「天井高=2300ミリ」の数字を見つけた瞬間、
「イヤァー、天井が低い! 天井が低い!」
 と打ち合わせの場を騒然とさせた奥さまがいた。逆に、天井高2300ミリのマンションに住む老夫婦が、図面に2400ミリと書いてあるのを見つけて、
「ちょっとお父さん、天井が高くなるわよ」
 と嬉しそうにささやき合ったのを見逃さなかった建築家もいた。
 世間一般の「天井の高い家はいいネ信仰」は根強い。
 では、一方の建築家たちはこの風潮をどう思っているのだろうか。結論からいえば、彼らは天井の高い家に対して一般の人ほど強い思い入れはない。それどころか、一部の建築家は天井の高い家に否定的ですらある。
「天井が高くても、べつにいいことなんてないのにね」
 とあきれている人には何度も会った。
「天井の話になると意固地になるお施主さんが多くて困りますよ」
 と愚痴をこぼす人もいた。
 むしろ天井はふつうより低くてもよい。彼らは高らかにそう宣言する。
 その主張にはそれなりに後ろ盾がある。たとえば、ル・コルビュジエ(1887-1965)が提唱した「モデュロール(黄金尺)」。そこには、最適な天井高は2260ミリ(身長6フィート=約183センチの人が腕をあげた高さ)と書いてある。あるいは住宅設計の第一人者・吉村順三(1908-1997)の天井高。彼は、天井の高さは7尺5寸(およそ2273ミリ)がちょうどよいと言っていたらしい、など。神話のような伝説のような物語が遥か彼方で燦然と輝いている。
 そんな神棚に祀っておくような話はひとまず脇に置くとしても、建築家の多くがふつうより低い天井を擁護する理由はほかにも列挙できる。一つひとつ検証していくと、もしかすると天井はふつうより低いほうがよいのかも、とすら思えてくる。たとえばこんなメリットである。

低い天井がもたらすもの
 ①温熱環境が効率化される――天井を低くすると部屋全体の気積が小さくなる。これにより冷暖房の効率が良くなる。
 ②家のかたちがキマる――天井を低くすると家全体の高さも低くできる。そのため建物のフォルムが良くなり屋根のかたちもいびつにならない。クルマにたとえれば、室内空間の確保に血道を上げた軽自動車のようなボックスタイプではなく、流麗なスタイルを追求したクーペのようなデザインに仕上げられる。ちなみに、建売住宅が建ちならぶ一角はどの家も同じような箱型で、屋根も不自然な形状をしているものが多いが、あれは家の高さや屋根の勾配を法律の制限内ギリギリにして天井を限界まで高くした結果ともいえる。
 ③階段の勾配をゆるくできる――階段全体に割ける床面積に限りがあるとするなら、上階までの高さ(階高)を低くすると階段の勾配をゆるくできる。階段の段数も減らせる。階段の勾配がゆるくなれば昇り降りがラクになる。
 ④建具が大仰にならない――建具(引戸、開き戸など)のサイズを床から天井いっぱいまでの高さにする場合、天井が高ければ建具も大きくなり存在感が強く出すぎてしまう。また、建具が大きいと「反り」も大きくなるため、使っているうちに建てつけが悪くなりやすい(木製建具の場合)。建築家たちの経験では、反りの懸念が小さいのは高さ2200ミリまで。なお、建具(引戸)の高さを天井いっぱいにするのは、引戸をあけ放つと部屋と部屋とが連続して室内空間に一体感が生まれるためである。
 ⑤サッシがぴったりハマる――天井を低く(2200ミリ以下)すると、窓のサッシも建具同様天井いっぱいまでの高さで統一できる。一般的なサッシの規格寸法で最大高さを統一するなら天井高は2200ミリが限度(少数ながら例外はある)。それ以上にするとサッシと天井の間に小さな壁(垂れ壁、下り壁)ができるので見た目が悪くなる。ただし、「見た目が悪くなる」というのはあくまで建築家個人の美意識によるものである。

こもり感の醸成
「ふつうより低い天井」といえば、真っ先に思い当たるのが建築家の伊礼智さんである。かつて私が在籍していた建築専門誌の編集部では、「低い天井といえば伊礼さん」と皆が口をそろえるほど氏のポリシーは広く知れわたっていた。いまや全国の工務店から、「ぜひ、わが社ともコラボレーションを!」と熱いまなざしを注がれている住宅設計界きっての大立者でもある。
 建築基準法では、居室の天井高は2100ミリ以上にするよう定められている。2100ミリとは、大人が腕を伸ばせば天井まで容易に届く高さである。試しにわが家の洗面室(ジャスト2100ミリ)で右腕を伸ばしてみた。すると手のひらが天井板にペタリとついた。2100ミリとはそういう高さである。
 伊礼さんが設計される住宅は、そんな天井高2100ミリを標準仕様にしている。ふつうの高さより300ミリも低い。身長185センチオーバーの人が暮らす家でもその方針に変わりはないという。なぜか?
「それはやっぱり、部屋が広く、軽やかに感じられるからですね」
 やわらかな口調ではあるが、伊礼さんはきっぱりとそう言い切った。そして、事務所の打ち合わせスペースにある造り付けの本棚から自著を1冊抜き取り、私の前に差し出してくれた。目当てのページを開くとそこには3枚の写真が並んでいた。
「これはもともと天井高2100ミリのダイニングルームを写した写真です。天井高と広さの関係を説明するために、天井高2400ミリにしたものと2700ミリにしたものを、画像を加工してつくってみました。並べてみるとよく分かります。ほら、天井を高くしたダイニングのほうが部屋が狭く見えるでしょ?」
 言われてみればそんな気もする。
「むろん、すべての部屋を2100ミリにするわけではありません。そうすると一般の人は天井が低い、窮屈だとすぐに感じてしまいます。ですから家によっては、リビングの天井だけ少し上げて2190ミリにするんです。すると、少しだけ高くしたリビングが空間的により生きてきます。吹抜けなどで極端に高い場所をつくれる家であれば、リビングも迷わず2100ミリにしています」
 伊礼さんの真骨頂は、この高低差・ボリューム感のコントロールにある。
これまで伊礼さん設計の住宅には何度もおじゃましたことがあるが、天井の低さが圧迫感を感じさせた家はまずなかった。吹抜けだけでなく、窓の位置や「抜け」のつくり方など、窮屈さを感じさせない工夫が随所に散りばめられているからである。その結果、天井の高い家とは方向を異にした独特の居心地良さがそこには生まれていた。
 この心地良さを、伊礼さんは「こもり感の醸成」と表現する。こじんまりとこもる感覚、何かに包まれる感覚が好きな人にとって、天井を低くした空間が醸し出す独特の居心地は得も言われぬ快感をもたらす。実際、天井高2100ミリの家で暮らす伊礼さんの施主たちは、
「毎日、とても落ち着いた雰囲気のなかで暮らせています」
 と幸せそうにその住み心地を知らせてくれるそうだ。

建築を見ること、体感すること
 私はかねてより、伊礼さんにひとつ聞いてみたいことがあった。それは、天井の低い家を好ましく思う人たちの〝背景”である。
 ふかわ氏の「天井低くない?」がひと言ネタとして成立するように、天井の低い家というのは世間的になんとなく虐げられた存在としてある。人によっては恥ずかしく思う家である。しかし伊礼さんの施主たちは、そんな「常識」にとらわれることなく嬉々として設計を依頼する。それも全国から。彼らはどのような道筋を経て、「天井の低い家もまた良し」という価値観を得るに至ったのだろうか。それを聞いてみたかったのである。
 率直に疑問をぶつけると伊礼さんはしばらく考え、おもむろに口を開いた。
「おそらく三つの要因が関係してくると思います。一つはその人が育った住環境、次にそれまでの人生経験、そして最後に住宅建築の知識や経験。これらの三つがあいまって分かる人には分かるという世界が構築されるのではないでしょうか。なかでもいちばん大きな影響を与えるのは、やはり住宅の経験でしょうね。住宅の経験とは、要するに知るということです。世の中にはふつうより天井の低い家があると知ること、あるいは天井の低い家を実際に体感すること。それが旧来の常識にくさびを打ち込む大きなきっかけになっているように思います」
 その好例として、あるご夫婦のエピソードを紹介してくれた。
 それは、ご主人、奥さま共にお医者さんという60代の施主である。二人は長年フランスの病院に勤務していた。帰国されたのは数年前である。ほどなく、わが家を新築しようという話になり、たまたま雑誌で目にした伊礼さんの住宅に強く魅かれるものを感じた。
 一般に海外生活の長かった人は、彼の地と同じく天井の高い家を好む傾向にある。二人も当初はそれが自然なことと考えていた。ところが、伊礼さん設計の住宅を見学し、その独特の空間が醸し出す空気感に包まれているうちに突如として何かのスイッチが入った。以来、二人は古今東西の住宅建築に関する文献・資料を読み漁る毎日。天井の高さについてもプロ顔負けというほど知識を深めたという。そして数カ月後、ご夫婦は心の底から納得して伊礼さんに新居の設計を依頼した。天井の高さを気にする以前に、強く魅かれた空間を直接体感したことで、分かる人には分かる新しい世界が広がったのである。
 伊礼さんも若いころ同じ経験をされている。
「僕の場合は、建築の勉強を始めた大学時代でした。先生や先輩に言われるがままに、良い建築、良い住宅を見に行っているうちにハッと気づいたんです。居心地の良い空間というのは天井の高さも関係してくるのだな、と。建築というものは、写真で見ているうちは見たことになりません。手持ちの知識をかき集めて自分なりの解釈で適当につなぎ合わせた空間を頭の中で見ているだけなんです。それよりも、現地まで足を運んで建物の内部をすみからすみまで歩いてみる、一カ所に留まってじっと佇んでみる、そうすることで見えてくるものがたくさんあるのが建築です。先入観はなるべくもたないほうがいいんですよ」
 まずは自分の体で感じること。すべてはそこから始まるようである。分かりやすい数字ばかりを追いかけていても物事の本質には迫れないということだ。
 もしあなたが、「天井が高くて、大きな窓がたくさんあって、太陽光発電で節約もできて……」、そんな住まいに憧れているとしたら、いまごろハウスメーカーの宣伝部員たちは大喜びでハイタッチを繰り返しているだろう。莫大な費用をかけたマーケティングが功を奏し、ハウスメーカー推奨の住宅が建ちならぶ理想の街にあなたをうまく誘いこめたからである。ふだん、建築というものに意識して触れていない人は、彼らが大量に出稿する広告から得られる情報だけが建築や住宅のすべてとなる。私たちはそうやって、知らず知らずのうちに建築の「教育」を受けている。あるいは、建築の「ふつう」を教えられている。
 むろん、ハウスメーカーがつくる住宅も悪くはない。ただ、世の中には数字では表せない、言葉には置き換えられない魅力をもつ住宅もたくさんある。待っていても向こうからは来ないが、自分から動けば必ず何かしらの示唆を与えてくれる。天井の低い家にことさら肩入れするつもりはないのだが、機会があればそのような住宅の感触も一度味わってみるといい。現場に身を置く大切さはどの世界も同じである。

天井高2100ミリの家にはこじんまりとした独特の雰囲気がある。好きな人にはたまらない「こもり感」だ。ただし、こればかりは実際に体感してみないとその良さが分からない(設計:伊礼智)

 

2021年9月10日更新

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連載目次

藤山 和久(ふじやま かずひさ)

藤山 和久

1973年山口県生まれ。建築専門誌『建築知識』元編集長。編集者として建築・インテリア・家づくり関連の書籍、ムックの編集制作に多数たずさわる。主な担当書籍に『住まいの解剖図鑑』(増田奏)、『片づけの解剖図鑑』(鈴木信弘)、『間取りの方程式』(飯塚豊)、『エアコンのいらない家』(山田浩幸)など。著書に『建設業者』がある(いずれもエクスナレッジ刊)。現在はフリーの編集者として書籍、雑誌、動画、ウェブなどの編集制作にたずさわる一方、漁業や林業など第一次産業振興のサポートにも注力している。
https://fujiyamaoffice.com/