十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第5回 宿題っていったい何なん!?

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第5回です! 今回はみんなを悩ませる宿題の話です。宿題をやった先にあるものとは?

この連載は大幅に加筆し構成し直して、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)として刊行されています。 刊行1年を機に、多くの方々に読んでいただきたいと思い、再掲載いたします。

 「先生、この問題の答え、これで合ってますか?」
夏休みが始まって間もないある日、中2のMくんが「夏の生活 数学」と書かれた問題集の冊子を片手に私のところにやってきました。

「えー、なんで答えとか聞いてくるの? いま解答持ってないの?」
「いや、まだ学校から解答もらってないんです。答えを写すやつがいるからという理由で、答えもらってないんです。」
「なにそれ? 見直しやりようがないやん。」

はじめから生徒を信用していない

Mくんによると、解答は夏休み明けにもらえるという話なのですが、それじゃ遅すぎます。問題集を解くときには、解くことと並行して解答・解説を見てやり直しをすることが欠かせません。解き直しこそ丁寧に行うべきで、そのためには解いてやり直すまでの範囲は広すぎない方がいいです。解いている途中でわからない問題が出てきたら、ページの途中でも解答・解説が必要になるし、もし順調に進んだとしても1、2ページ解いたら、いったん答え合わせをしてみた方がいいです。

問題集だけでなく、教科書や資料集なども広げて細やかな見直しをしながらページを進めることで、ようやく自分の弱点の正体が見え始めます。勉強の本番はここからなんです。問題集を全部解いた後に、まとめて答え合わせをするなんて、肝心のやり直しが粗雑(そざつ)になるに決まってるし、そのせいで高い学習効果を求めることは難しくなります。

だから、「答えを写すやつがいる」という理由で、生徒に解答を渡さずに適切なタイミングでやり直しをできなくする学校の方針には呆(あき)れてしまいます。

子どもは大人に信頼されていないと感じると平気で噓(うそ)をつくようになりますから、はじめから生徒を信用しない学校の姿勢こそが、やっつけ仕事でとにかく宿題を終わらせることだけに力を注ぐ生徒たちの傾向に拍車をかけるのです。そりゃあ、解答をそのまま写す子はどうしてもいますよ。でも、子どもにダマされるのは教育者にとって勲章(くんしょう)みたいなもんですから、先生は何度ダマされても信頼し続けたほうがいいにきまっています。

まあとにかく、多くの学校の宿題の出し方にはこんなふうにいろいろな問題があって、そのことが学習者の主体性を奪っています。

宿題の出し方がおかしい

みんなも薄々(うすうす)気づいていると思いますが、そもそも学年全員、クラス全員に同じ宿題を出すこと自体が初めから無理ゲーなわけで、そのせいで勉強が得意な子は消化試合的に何の張り合いもない課題を埋めるだけになりがちだし、勉強が苦手な子はいつまでもたっても終わらない(どんなにがんばっても解答欄が埋まらない)作業に頭を抱えることになります。

学校ではさらに保護者の「宿題出して!」という声に応えるために宿題を出すことがあり、つまり、宿題を出すこと自体が目的になった宿題というのが多数存在しており、こういう宿題はほとんど無価値なものになりがちです。(その最たる例として私が真っ先に思い出すのは、2020年春のコロナ休校のときに多数の小中学校で出された、国語の教科書の本文をそのまま丸写しして提出させる宿題です。)

このように、学校の宿題はその「出し方」に問題があるわけで、宿題が生徒ひとりひとりにフィットしていないこと、それをがんばろうとする生徒たちに徒労感を与えてしまうことについて、出す側は真剣に考えなければなりません。そして、宿題に取り組むみんなは、学校の先生がいつも正しいとは限らず、宿題の初期設定がおかしい可能性があることを知った上で、それぞれの宿題と向き合わなければならないのが現状です。

学校はいつも、管理社会の中で自律を促すという矛盾を冒(おか)す

学校では、宿題ができていないと教師に責められるだけでなく、評定(内申点)を下げられることさえあります。つまり、宿題を通して生徒はいつも脅(おど)しをかけられているわけで、そんな中で学校は平気な顔して「創造性と自主・自律の精神」という教育目標を掲げています。これは私には甚(はなは)だしい矛盾としか思えないのですが、学校からすれば、自主・自律というのは、「こっちがガミガミ言う前に、自分の意志でやれよ」くらいの意味でしかないのでしょう。でも、このような強制力の下で初めて生じる意志は、とうてい自律とは言えません。ほんとうに生徒たちが自律したとしたら、彼らが最初にやるのは、目の前の宿題を放り投げることかもしれません。

管理社会の中で自主・自律を促(うなが)すこのようなやり口は、コロナ禍の中でさかんに自粛(じしゅく)を呼びかける日本の政治や世間一般にも広く見られます。つまり、学校は日本社会の縮図であり、学校の理不尽にあなたは社会で再び出会うことになります。だから、今後、理不尽なままにあなたを丸め込もうとするあらゆる勢力に抵抗するためにも、あなたはこうした学校の矛盾したやり口に対して、鋭い批判精神を持つ必要があります。

大人はいつでも子どもをコントロールしようとする

先日、近所の中学校のある数学の先生が「宿題は教師と生徒の間の契約です。だから契約不履行は許されません」と発言するのを聞いたとき、私は思わず先生の目の前で大きく首をかしげてしまいました。だって、こんなの生徒側からすれば不当契約ですよね。なぜなら、契約というのは双方の合意があって初めて成立するものであり、しかも民法において未成年者は「制限行為能力者」とされていて、契約によって利益を損なうことがないよう守られる立場だからです。

大人は一方的に子どもにさまざまな強要をし、なし崩しにそれを認めさせてしまいますが、それを「契約」と呼ぶ大人はかなりタチが悪いです。そういう大人が目の前に現れたら、こいつ、マジでヤバい、詐欺師(さぎし)じゃないかと思って間違いありません。

ちなみにこれは親との間でも生じやすい現象で、みんなの親が過去の約束事を持ち出して、また守れないなんて!とあなたを責める場合、これもたいていが不当契約です。こうして大人は無理やりに約束を結んだという不当性を隠蔽(いんぺい)して、今日もあなたを一方的に責めるかもしれません。だから、そういう大人の手口には十分注意してください。大人はいつでも子どもをコントロールする方法探しに必死なんです。

とりあえず「こなす」だけの人間を醸成する宿題

私が日ごろ宿題をする子どもたちを見ていてヤバいなと思うのは、彼らが宿題を「やらされる」ことを通して「適当にごまかす」術を覚えることです。あれがほんとうによくない。

あなたは問題集の答えを丸写ししているとき、自分が全く実りのない作業に時間を費やしていることに気づいていますよね。それを自分に許しているのがヤバいんです。そういうことに免疫(めんえき)をつけると、人生で面白くないことがあってもとりあえず表面的に「こなす」人間になってしまう。面白くないことに抗(あらが)うことをしなくなるんです。そして気づいたときには、自分自身が面白くない無難な大人になってしまいます。

あなたが「適当にごまかす」ことを覚えたということは、周りの大人がそれを許してきた、それどころかそれを推奨(すいしょう)さえしてきたということですよね。それは大人が悪い。でも大人が悪いからといって、あなたも巻き込まれるようにそれを自分に許すようになってしまっては、あなたもダメな大人のひとりになるだけです。

甘い言葉をささやく大人は、あなたを成長させない

学校の宿題にはさまざまな問題点があります。でも勘違いしないでほしいのですが、いままでの話はつまらない宿題なんてやらなくていいというような単純な話ではないですよ。だって、宿題が面白くないのなんて当り前なのですから。

要はいかに宿題を活用して自分の力を引き上げられるかです。「宿題がイヤだ」と言っているうちは、宿題に主体を乗っ取られています。宿題に支配されることを断固拒否して、自分のペースの中に巻き込むように宿題ができるようになったとき、あなたはようやく宿題の支配から逃れられます。

そうやって、面白くない宿題に没頭していると、宿題をやった先に面白いことがある「予感」が閃光(せんこう)のように頭をよぎるんです。その予感に取り憑(つ)かれるように勉強をすると、きっといいことがありますよ。

最近は、「宿題が嫌ならやらなくていいんじゃない」と子どもに簡単に言う大人が増えています。でも私は、子どもに対して「苦しいならやらなくていい」というメッセージを簡単に伝えてしまう大人を信用していません。そういう大人って学校への批判と宿題の問題をごっちゃにしている場合が多いんです。物事を身につける際に何も努力しなくてよいというメッセージを子どもに伝えることが良いことなわけがありません。努力したら報(むく)われるかどうかなんて知ったことじゃありませんが、努力したぶんだけ身につくことがあるのは確かで、身につけなければ入口に招いてさえもらえない世界があるのは事実です。

「苦しいことはやらなくていい」という大人は、人間をあまりに単純に捉(とら)えすぎです。だって、苦しいことをやらなければ、人は幸せになれるのですか? むしろ、人は自ら進んで苦しいことをやることで、自分の人生の輪郭(りんかく)を作っていくところがあるじゃないですか。苦しいことが全くない人生なんて、実は誰も望んでいません。

このことを認識することは、他者をほんとうの意味で尊重する上でとても大切で、「勉強が苦しいならやらなくていい」と子どもに言う大人は、実は子どもの人生をひとつの作品のようにきれいに仕上げたいと思っているのかもしれません。

だから、あなたの耳元で「好きなことだけしたらいいよ」という大人がいたら、そんな人のことは信用せずに、今日あなたができることを着実にやっていきましょう。

※本連載に登場するエピソードは、事実関係を大幅に変更しております。
 

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