弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

患者のきょうだいという忘れがちな存在

大阪市立総合医療センターの小児科病棟に入院する患者さんにはきょうだいがいるひともいます。親は病気の子どもに付き添う必要があり、それによってきょうだいはさみしい思いをすることが多いのです。そうした「きょうだい」を支援する団体にもコロナの影響が出てきています。

元当事者がはじめて活動
 大阪を拠点に、難病の子供のきょうだい支援を行っている団体に「しぶたね」がある。大阪市立総合医療センターの小児科病棟で、年齢制限のために面会が行えないきょうだいのサポート活動もしているNPO法人だ。
 しぶたねの代表の清田悠代は、一九七六年の生まれの元当事者だ。十三歳の時、四歳下の弟が肥大型心筋症であることが判明。心臓がうまく機能せず、十分な血液を送り出せない難病で、突然心臓が止まるリスクを常に抱えていた。
 最初に弟が倒れて病院に入院し、病名が判明した後、母親は毎日病院へ通いつめた。当時から小児病棟への立ち入りは感染症を防ぐために、十五歳以下の子供の立ち入りは禁じられていた。清田は家で夜遅くまで留守番をするか、弟に会えないのを前提に病院までついていって病棟の外で何時間も一人で待ちつづけるかしなければならなかった。
 今でも覚えているのは、小児病棟の外にいた、別の入院患者のきょうだいたちだ。ドアの前には寂しそうに親が出てくるのを待ちつづけている子供たちが何名もおり、中には未就学の子供が扉にしがみついて泣きじゃくって母親を呼んでいることもあった。十三歳だった清田は、小さな子供が泣いているのに大人が誰も手を差し伸べないことにショックを受け、この子らが心に傷を残さないかと心配になった。
 弟は病院を退院したが、それまでのような普通の生活を送ることはできなかった。心臓の発作がいつまた起こるかもしれず、母親は片時も弟の傍から離れることができなかった。学校の送り迎えはもちろん、授業中も教室の隅で見守らざるをえなかった。授業中や休み時間に、万が一、発作が起こった時に対応する必要があったのだ。
 母親が弟の世話に集中するようになったことで、清田は自分がしっかりしなければならないと考えるようになった。母親に心配をかけまいと勉強に励み、家事など家のことを手伝うようになった。部活動の朝練のために早起きすれば弟を起こしてしまうため辞めるよう求められたり、第一志望の東京の大学に合格しても、結局家族を支えるために浪人して大阪の大学へ進学したりした。自分のための人生が、いつしか弟や母親のための人生になっていた。
 こうした献身的な行動によって清田は少しずつ自信を失うようになった。こんな思いが頭をもたげはじめたのだ。
 ――私たち家族にとって、弟の命を守ることがすべて。みんなに生きていてさえくれればいいと願われる弟と比べて、私は価値のない人間なんだ……。
 多感な時期に、親から十分な愛情を注がれなかったわけではないが、ひたすら自分を押し殺してきたことで、そんな思いが胸の中で芽生えたのだ。
弟が亡くなったのは、大学三年生の時だった。十七歳で二度目の心停止を起こし、そのまま息を引き取ったのである。家からすっぽりと弟という大きな存在が消えてしまった。
 閑散とした家で、清田は母親と過ごすことが多くなった。弟がいなくなったことで自然と言葉を交わす機会が増えた。ある寒い日、清田が「膝が痛い」とつぶやくと、母親が「足を貸してごらん」と言って、膝の痛む箇所をやさしくなでてくれた。手のひらをつたって母親の温かさがつたわってくる。
 その途端、清田は胸にこみ上げてくるものを感じた。本当は私も、弟みたいに母親から愛されたかったんだ――。弟がいなくなったことで、ずっと胸の奥にしまってきた気持ちが溢れ出した。
 清田は大学で社会福祉を学んでいたことから、研究テーマに「家族支援」を選ぶことにした。難病の子供の家族が置かれている状況を明らかにし、どんなサポートが必要かを考えた。研究を通して知ったのは、きょうだいたちが直面している過酷な現実だった。
 大半の親は、子供が難病だとわかれば、看病に心血を注ぐ。病院に泊まりこんだり、送り迎えをしたり、旅行も食事もすべてその子を中心にして考えざるをえない。そのため、他のきょうだいたちには目が届きづらくなり、それがもとで自己肯定感の低下を招く、家族関係が悪化するといったことが起こりえる。調べてみると、子供が難病になったことで離婚に至るケースは少なくなかった。
 清田はそうした現実を知るにつれ、かつて病院の廊下で見た子供たちのようなきょうだいへの支援をしたいとより強く考えるようになる。そして同じ志を持つ人間を募り、設立した団体がしぶたねだった。しぶたねのしぶは、「シブリング(きょうだい)」の意味で、たねは「種」。つまりきょうだい支援の種をまこうということだ。

さみしさや退屈をわすれるために
 しぶたねの支援活動として、清田はまず大阪市の施設を借りて、難病の子供のきょうだいを集めて遊びのイベント「きょうだいさんの日」を行うことにした。いろいろな思いを持っているきょうだいたちが主役になり、一緒に遊ぶことで、「君たちは一人じゃない。君たちを思う人はたくさんいる」とつたえることが目的だった。
 現在は小学生向けイベントと中学生以上向けイベントの二種類にわかれている。
 前者は十人~二十人くらいのボランティアが集まり、きょうだいたち五人~八人を招待する。会場では走り回ったり声を出すような遊びをしたり、工作やおやつタイムを設けたりする。ボランティアは、「シブレンジャー」という戦隊キャラの手作りコスチュームで登場する。
 また、中学生以上向けのイベントでは、中学生から社会人のきょうだいを招き、例えば夏にはタコ焼きパーティー通称「たこパ」をして思い思いのことを語り合う。同じような境遇の人たちで集まって話すことで気持ちが軽くなったり、何でも相談できる大人たちがいることで安心につながったりすることを願っている。彼らが高校を卒業してしぶたねのボランティアになることもあるし、登録者の三分の一がきょうだいの立場だそうだ。
 こうしたイベント活動と並行して取り組んだのが、病院で行うきょうだい支援だった。大阪市立総合医療センターと連携し、病棟に入れない子供たちが安全に過ごせるように、親が入院中の子供の面会をしている間、小児科病棟の前にマットを敷いてカードゲームやオモチャ遊びをするのだ。きょうだいにしてみれば、ボランティアと楽しく過ごしていれば、寂しさや退屈が紛れる。
 清田はしぶたねの活動について語る。
 「すべての活動の根底にあるのは、かつて私が病院の小児科病棟の前で何時間も待っていた時、同じ境遇の二、三歳の子供が扉を叩いて『ママ、ママ』と泣いていた光景です。
今でも思うんです。誰も自分を見てくれないという思いをした子供が、ちゃんと成長して大人になれるんだろうかって。当時私は中学生だったのであの子に何もしてあげられませんでしたが、今ならできることはあるかもしれません。だからこそ、しぶたねを通して、きょうだい支援をつづけているんです。
 月に一、二回とか、場合によっては年に一、二回かもしれませんが、そんなきょうだいのことをまっすぐ思う大人が、社会には必要だと思っています。そういう人がいるのといないのとでは、その子も心も、将来もまったく違うものになるかもしれない。そう思って二十年くらい活動してきました」
 難病の子供は全国に約十五万人いるとされており、うち命を脅かされている子供は二万人に上る。その子たちそれぞれにきょうだいが一~二人いると考えれば、どれだけ多くの子供たちが孤立を感じているかわかるだろう。清田の取り組みは、まさにそんなきょうだいたちの心に潤いを与えることなのだ。
 ところが、二〇二〇年三月から本格的に幕を開けたコロナ禍によって、しぶたねの活動も大幅に制限れることになった。まず市総合医療センターに外部のボランティアが立ち入れなくなったため、月二回行っていた病院活動を行うことができなくなった。また、大阪市内の小学校が全面的に休校になるほど感染が広がったため、きょうだいさんの日のイベントも中止に追い込まれた。
 時を前後して家族から聞かされたのは、市総合医療センターにかぎらず病院に取り残された難病の子供たちの苦しい状況だった。どの病院もほぼ一斉に家族の面会や外泊に制限をかけており、病棟内での行動も大きく規制されることになった。
清田は言う。
 「小児病棟やAYA病棟では、子供たちが治療以外をする時間もとても重要なんです。例えばプレイルームで遊ぶ、ボランティアと話をする、家族や仲間に愚痴を言う。そうすることが、治療中も子どもの生活を支えているんです。
 でも、コロナによってそうした時間がなくなってしまいました。そうなると、子供たちはずっと治療だけに向き合わなければならなくなります。特に未就学児は関わる大人が減り、子供も保護者の方も相当しんどいと思います」
 原則として病院内では携帯電話の使用は禁止されているが、ある程度の年齢に達していれば、トイレや毛布の中でこっそり電話を掛けたり、SNSでメッセージを送ったりして外部との接点を持つことはできるだろう。だが、小学校の低学年以下の年齢では、なかなかそうはいかないので、本当の意味で外部とのつながりが遮断されてしまうことになる。親とて気が気でなかったはずだ。

アンケートからみえてきたもの
 清田が真っ先に危惧したのはきょうだいたちへの影響だった。こんな状況だからこそ、難病の子供、親への支援と同じように、きょうだい支援を継続する必要がある。
そのための新たな活動に取り組んだのは、緊急事態宣言の最中のゴールデンウィークからだった。「シブレッドのへやのとびらあけておくね」と題した概ね小学生向けのオンライン・イベントをはじめた。
 ゴールデンウィークに毎晩行ったイベントは、その後も毎週金曜日の午後八時からで定着。Zoomで清田とシブレッドがきょうだいたちを迎え、誕生日の子のお祝いをしたり、ゲーム対決をしたりした。最初は緊張も見えた子供たちの顔が和らいでいくのが印象的だった。反響も思いのほか大きく、三歳児から中学生までもが参加してくれた。
 清田は、社会全体が未曽有の状況になっていく中で、きょうだいがどのような問題を抱えているのか、それに対してどのような工夫ができるのかを記録しておく必要性を感じた。
 そこでSNSを通して行ったのが、「コロナ禍のきょうだいさんのこと教えてくださいアンケート」だ。保護者、きょうだい、支援者に、コロナ禍における問題をアンケート形式で募ったところ、当事者はもちろん、病院関係者など全国から多数の意見が寄せられた。
その一部を紹介しよう。

長期に学校へ行けず、外出も出来ず、障害ある子供は自傷行為が増えた。(保護者)

外へ遊びに行けない·友達と遊べないストレスに加え、大人が患児の医療ケアやその他必要なことのために『きょうだい』に関われず、さらにストレスに。そんな中、患児が入院となって、大人も付き添いが必須となり、家族がバラバラでより一層不安、寂しさからストレスが増すという状況でした。(保護者)

難病のきょうだいがコロナに罹ったときどうなるのか大人が不安になってしまい、小学生のきょうだいは自ら学校を自粛していた。20代のきょうだいは毎日都心に就活や学校に行っていたのでお風呂以外、自室で隔離生活を送っていた。(保護者)

関わる時間が増えた為ケンカや癇癪が増え、お姉ちゃんは理解しようと頑張っている事からストレスで叫んだり物に当たったりしてました。私自身も心身に不調が出ました。(保護者)

面会制限により入院中のきょうだいに全く会うことができなくなった。毎週のように会いに来ていたのに、もう半年近く会うことができず、さみしがっている。病院の待合やプレイコーナーからおもちゃや本が全て撤去されきょうだいの居場所がなくなってしまった。現在はきょうだいが病院内に立ち入ることも禁止されてしまったため、交代で面会する両親の片方や祖父母とともに駐車場の車内で待機していることもある。きょうだいにとっては退屈な時間になってしまっているし、家族への負担も大きいと思う。(看護師)

亡くなりゆく兄弟姉妹に、なかなか会えないこと、大切な尊い時間を共有できないこと、最期の最期にならないと部屋に入れてもらえないというのは、ご家族も同様の、とても辛い状況です。共に過ごす、ことで、言葉は不要の計り知れないことを共有できます。それを言葉だけで伝える、ということは時に酷いことになったりもします。それから家で待つきょうだいたちをみてくれる人が、県を超えての移動できないことで、確保できないことも、問題です。(医師)

 このようにアンケートを収取すると、コロナ禍できょうだいがどのような状況に置かれているかが明らかになった。医療現場で難病の子供が外とのつながりを断ち切られている一方で、きょうだいもまた窮地に追いやられているのだ。
清田は語る。
 「きょうだいを悩ませていたのは、自分がコロナに感染して難病のきょうだいにうつしてしまうのではないかという不安でした。例えば抗がん剤治療をしている子供は免疫力がとても弱っていて通常はかからないような病気にもかかってしまいますし、重症化するリスクも高い、ということをきょうだいたちは知っています。自分が外でコロナにかかって、難病の子にうつしてしまったら死んでしまうかもしれない。そのことをすごく恐れて、緊張感が高まっている子も多かったようです」
 一般の子供たちは、医療関係者や高齢者に比べれば、どうしても新型コロナに対する危機感は薄い。学校ではマスクや手洗いが徹底されても、先生がいなくなれば外して遊んだり、マスクをせずに談笑していたりする。
 だが、難病の子供のきょうだいは違う。自分が新型コロナに感染して難病の子にうつすわけにいかないと考える。そのため、感染を恐れて不登校になる子が出てきたり、同級生に感染予防をするように訴えたことで「自粛警察」と批判される子が出てきたりした。また、真夏に一日中マスクをつけていたことで熱中症になりかけた子もいた。
 清田はつづける。
 「本来は大人たちが何かしらの対策ができればよいのですが……。たとえば学校なら、難病の子供のきょうだいは欠席しても公休扱いになるとか、オンラインで学習が保障されるとか、他の生徒にきちんと事情を説明して理解を求めるとか。子供が自分で説明するのは難しいので、大人の力が必要です」
 清田が懸念するのは、一般社会と難病の子供がいる家族とのギャップだ。
 コロナ禍がつづくことによって、人の緊張感は否応なく緩んでいく。誰かが悪いというわけではなく、いつまでも気を張りつめていることができないということの他、経済的な状況から営業再開せざるをえないということもあるだろう。様々な要因が重なり合い、第二波、第三波、第四波とくり返される中で、どうしても空気が緩慢になってきたことは否めない。
 だが、難病の子供のきょうだいは、そういうわけにいかない。わずかな気の緩みが、自らの感染につながり、それが家族を死に追いやりかねないのだ。そういう意味では彼らを取り巻く環境は日に日に厳しいものになっているといえる。社会と彼らの溝は明らかに深まっているのだ。
 清田はコロナ禍の状況についてこう語る。
 「これまで二十年くらいかけて少しずつ難病の子供の家族を取り巻く状況はよくなってきました。病院側の家族に対する理解も進み、支援団体も増え、ボランティアや寄付も広まっていった。今回のコロナによって、最初は、それが一気に昔に逆もどりしてしまったような気持ちになりました。
 でもすぐに、病院や支援団体の方々から、コロナ禍できょうだい支援をどのように継続できるだろうかという問い合わせがあり、きょうだい支援の灯が消えていないことがわかりました。全国の仲間の頑張りに励まされ、私たちにできることを続けていこうと思いました。」
 しぶたねも、二〇二〇年十月には「きょうだいさんの日」を開催した。徹底的に感染対策を施した上で、きょうだいが交流できる場を設けたのだ。オンライン・イベントの「シブレッドのへやのとびらあけておくね」も継続しているし、その他にも複数の支援活動を行っている。
 これは全国にある他の団体や施設も同じだ。ある団体は病室にWi-Fiを提供して自由に面会ができる仕組みをつくり、ある病院ではチャイルド・ライフ・スペシャリストや看護師が中心になって「オンラインきょうだい会」をしている。後者は、家にいる子供たちにきょうだいが入院している病院の案内をしたり、クイズをしたりして身近に感じてもらおうとしているのだ。
 新型コロナはたしかにきょうだいの置かれた状況を大きく変えた。それでも、支援者一人ひとりが前を向いて懸命にできることを着実にやっていることは特筆するべきだろう。そういう善意の上で、きょうだいの「今」が成り立っているといえる。
(8月24日次回更新予定)