弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

親と子で落ち着ける時間がとれなくなる

コロナにより、病気の子どもと会うための面会も制限されていきました。さらに、親子がともに病院とは違う場で安らぐための施設も危機に瀕しています。厳しい立場にある親子の現実、そしてその現場でも問題に迫ります。

面会も制限されていく
 新型コロナの猛威の中で、病院の小児医療の現場は何に直面していたのか。
 今度は大阪から東京に目を移してみよう。ここで見ていくのは、日本では最大の小児・周産期医療を担う国立高度専門医療研究センター「国立成育医療研究センター」の現場だ。
 世田谷区の緑豊かな砧公園のそばに、国立成育医療研究センターは建っている。病床の数は四百九十に及び、職員の数も千六百人を超える。その名は世界的にも知られており、海外からもその医療技術を求めて患者がやってくる、名実ともに日本が誇る小児医療の拠点といえるだろう。
 そんなセンターもまた、新型コロナによる激震に見舞われた。まず、センターは新型コロナ対策として、十四ある病棟のうちの一つを新型コロナ専用の隔離病棟にし、三つあるエレベーターのうち一つをそれ専用に切り替えた。むろん、消毒やマスク、アイシールドの着用といった予防策もこれまで以上に徹底した。
 それに伴い、入院中の子供たちを取り巻く環境にも様々な規制がかけられた。その一つがイベントやボランティアの受け入れの中止だ。病棟ではクリスマス会などの行事があり、ボランティアが子供と交流する機会などもあった。コロナ禍ではそうしたことが一切中止となったのだ。
 患者が外へ出ることも厳しく制限され、散歩等はもちろんのこと、外泊も禁じられた。通常は治療の合間に週末だけ一泊二日で自宅に帰るとか、宿泊施設に泊まるといったことが可能で、大切な息抜きの時間となっていたのだが、感染予防の観点から認められなくなったのである。
 患者に与えた影響として大きいのが、面会時間の制限だ。難病の子供たちは、いつどのように容態が変わるかもしれない上、親も仕事の都合などで面会できる時間はまちまちだ。そのため、同センターでは二十四時間いつでも面会することが認められていた。
ところが、センター外から新型コロナが持ち込まれるのを防ぐため、面会は十一時~十五時の四時間にかぎられ、患者一人につき親一人の面会が原則となった。これによって、患者から家族、そして医療者の置かれている状況が一変したのである。
 毎日午前十一時前には、病棟の前に面会を望む保護者が長い行列をつくって、今か今かと待つようになった。彼らの中には面会時間に訪れるために会社を休まざるをえない者も少なくなかった。
 面会の時間制限は、看護師の仕事を急増させることにもつながった。それまでは面会にきた親が一日中患者の傍にいて、食事や着替え、寝かしつけなどの介助をしたり、遊び相手になったりしていたが、看護師が親の代わりに行うことになったのだ。ただでさえコロナ禍でやることが増えている上に、それらが加わることで負担は格段に大きくなった。
センターの中で小児がん患者の治療を行っているのが小児がんセンターだ。ここでは新規入院患者だけで年間に百二十~百五十人を受け入れている。センター長の松本公一は語る。
 「面会時間に制限がかかったことで、最初のうちは親御さんからの不満の声もかなりありました。子供がすごくつらい思いをしていたり、どれだけ生きられるかわからなかったりするのに、会える時間が決められてしまうというのは納得いかなかったのでしょう。その気持ちはわかりますが、私たちとしてもコロナを広めるわけにいかず、板挟みになるような苦しさがありました。
 実際に仕事をしている親御さんの中には、時間制限がかかったことで面会に来られなくなってしまった方もいらっしゃいました。小さな子供が寂しさのあまり『お母さんに会えない』と言って泣きじゃくることも日常の光景です。
 こういうご家庭を何とかしたいと思ってはじめたのが、スマートフォンをつかったオンライン面会です。スマートフォンで家庭と病棟をつないで交流をしてもらう。ただ、利用時間は患者一人につき一日三分でした。親御さんは短い時間でもお子さんの顔を見られるので喜んでくださいましたが、小さな子になると画面に親の顔が映る意味をあまりわかっておらず、きょとんとしていました」
 小児がんセンターには、常時六十人ほどの入院患者がいる。看護師が一人ひとりに面会予約の受付や回線の接続確認、その他問い合わせにかかる手間を想定すると、三分が限界だったのだ。
 こうした状況下で、看護師の疲弊はピークに達していたという。もし新型コロナに感染し、病棟でクラスターを起こせば、取り返しのつかない事態になりかねない。そこで外食どころか、人に会うことさえ控えるようになり、自宅や病棟と同じ敷地内の宿舎を行き来するだけの生活になった。
 慣れない仕事に追われる中で、私生活まで大幅に制限されれば、看護師にかかるストレスは尋常ではない。体調を崩す者、家族や友人関係に悪影響が出る者などが現れた。
松本は言う。
 「もともと看護師ってすごくストイックなタイプが多いんです。職業上の責任感がつよい。だからこそ、一般の人以上に感染予防に気をつけるのですが、それがどんどん自分を追いつめていってしまうことになる。小児病棟がなんとか回っているのは、そういう看護師の一年以上にわたる努力のおかげだということを知っていただきたいと思います」
実際に、センターでは入院中の子供が医療従事者から新型コロナに感染したのは一例もない。他の小児がんの拠点病院でも、入院中の子供たちの間でクラスターが起きたというケースは報告されてない。逆に言えば、全国の医療施設で働く職員が、自分を犠牲にしてまで感染予防を徹底しているからといえるだろう。

入居施設によって得られた時間も失われる
 センターにおける環境の変化として、もう一つ取り上げたいのが、敷地内にある「もみじの家」だ。ここは医療型短期入居施設と呼ばれる施設であり、近未来的な児童館を思わせるような二階建ての建物だ。
 難病の子供、特に重度の心身障害児は二十四時間寝たきりである上に、会話等のコミュニケーションを取ることができず、呼吸器や痰の吸引から入浴等の介護まで無数のケアが必要となる。親はそんな子供に寄り添い、休みなくそれらをこなさなければならず、中には体調不良に陥ったり、夫婦関係が破綻したりする家庭もある。難病の子供を介護するというのは、そうしたリスクを伴うものなのだ。
 もみじの家が行っているサービスは、自宅で生活している難病の子供を数日間引き取って面倒をみることで、介護をしている親を休ませたり、子供たちに家庭とは異なる刺激を味わわせたりすることだ。看護師や保育士など総勢十八名のケアスタッフがおり、二十四時間親の代わりに子供の対応に当たる。
 施設内にはホテルのような個室があって家族で宿泊ができる上、無数の遊具が用意されていたり、動けない子供たちのために特殊なライトや音楽機器をそろえた部屋があったりする。子供だけを泊めてもいいし、親やきょうだいが一緒に宿泊してもいい。
もみじの家のハウスマネーマネージャーの内多勝康は、元NHKのアナウンサーという異色の経歴を持つ。内多の言葉である。
 「利用するお子さんはゼロ歳児~十八歳までですが、就学前の子の利用が一番多いですね。成育医療研究センターの患者さんが六割ですが、残り四割は別の病院の患者さんで、最長で九泊十日までできます。ケアスタッフの他に、約百名のボランティアの登録があり、日常の遊びのサポートや、夏祭りやクリスマスといったイベントもみんなで行ってきました。単にお子さんを引き取って親御さんを休ませるだけでなく、お子さんにも親御さんにもここで特別な時間を過ごしてほしいと思っているんです」
 親の方にしても、子供に家庭ではできない経験をつませたいとか、難病の子供を預かってもらっている間にきょうだいに向き合いたいなど希望は様々だという。もみじの家は、難病の子供を持つ家族がバランスを取ってやっていくため必要な施設なのだ。
 しかし、もみじの家も、例外なく新型コロナの影響を受けた。
もみじの家は、センターの組織の一つという位置づけであり、代表者は病院長で、ケアスタッフの看護師もセンターに属している。そのため、第一回目の緊急事態宣言が出た四月~六月は病院からの指示によって閉鎖され、センターの医療体制を維持するために使用されることになった。
 宿泊用の個室が設けられている一階は、病棟で働く医師や看護師たちの宿泊スペースとなり、二階はスタッフの子供のための託児所となった。コロナ禍で一部の保育園が閉鎖になったため、代わりに保育士がその子供たちを二階で受け入れたのだ。センターとして医療サービスを維持するためには不可欠な判断だった。
 第一回目の緊急事態宣言が明けた六月からは、もみじの家は再び医療型短期入所施設としてのサービスを再開したが、様々な制約がかせられた。家族の宿泊は両親のうちのどちらか一名に限定され、それ以外の面会はセンター同様に十一時から十五時の四時間。百人の登録があるボランティアの参加は全面的に中止となった。
 これによって利用者の数は大幅に減った。コロナ禍の前は十一台のベッドに対して百五十パーセント以上の利用申し込みがあり、一日平均七・四人名利用があった(子供たちの体調悪化等で、キャンセル率が二十五パーセント程度ある)。だが、六月に再開した後は、利用希望の申し込みは激減し、利用者は日に二、三名という状況だった。
内多の言葉である。
 「コロナで家族の負担が大きくなったので、それなりに申し込みはあると思っていましたが、予想を下回っていました。難病のお子さんはコロナ感染した場合に悪化する可能性が高いと言われていますので、ご家族はそれを懸念してうちの利用を控えたのだと思います。または、利用に際して規制がかかったため、家族みんなで泊まれないなら利用を控えようといった考えもあったでしょう。
 私としては家族が大丈夫かなという思いがありました。もともともみじの家は、家族を支えるのに必要だからつくられたわけで、それを利用できなくなれば家族の負担が増します。といっても、こうしたご時世にうちから家族に向かって『利用してください』とは言えませんので、もどかしい日々がつづきました」
 
利用者が減れば起こる問題

 もう一つ、もみじの家が直面していたのが、運営資金の問題だった。
 センターの組織の一つとはいえ、医療型短期入居施設として運営されている。収入の柱は、国から支給される障害福祉サービス費だ。おおよそ九割が税金で賄われ、利用者は一割の負担で済む。その収入の八割が人件費に充てられ、その他の維持管理に二割がつかわれる。
 ところが、コロナ禍で利用者数が激減したことで、その収入が大幅に減った。障害福祉サービス費は一回の利用に対して支払われるので、一日に二、三名の利用者しかいなければそれだけ収益は下がることになるのだ。
内多は赤字を補うべく、寄付を募ることにした。内多いは言う。
 「利用者が増えない限り障害福祉サービス費でカバーできないので、その分は寄付で埋めるしかありません。それでこれまで寄付をしてくださった方々にお手紙を書いて、こういう状況なので寄付をしていただけませんかと頼んだのです。
 中には経済的に苦しい方もいたでしょうが、大勢の方々がすぐに寄付をしてくださいました。『気がつかずにすみませんでした』とか『少額で申し訳ありません』などと書いて下さる方もいた。そういう人たちの助けで、なんとか赤字分を補填することができたのです」
 もみじの家の収益は、コロナ禍の前の二〇一九年には二千三百万円の赤字であり、コロナ禍の二〇二〇年には倍以上の約五千万円の赤字だった。それでも医療的ケア児と家族の受け入れを継続できたのは、支援者の力が大きかった。
 利用者が少しずつもどってくるようになったのは夏から秋にかけてだ。国の「Go Toキャンペーン」がはじまり、人の流れが少しずつもどったことで、家族も利用しようと考えるようになったのだろう。コロナ前の水準までには至らなかったが、七、八割の回復となり、第二回目の緊急事態宣下が発令される前の十二月には、前年比で同じくらいにまで回復した。
 ただ、年が明けて第三波、第四波とつづいたことで、再び利用者は減ってしまった。それは、難病の子供を持つ利用者に負担をかけるのと同時に、もみじの家の経営を圧迫することを示している。
 内多は言う。
 「今は非常に難しい状況にありますし、うちとしてできることも限られています。とはいえ、うちのような場所は、どんな時代であっても社会になければならないものなので、現在はどんな状況でもきちんと維持して、その時々でやれることをやっていくしかないと思っています」
 家族が実際に利用するかどうかは別にして、もみじの家が存在するというだけで家族にとって心の持ちようは違うだろう。そういう意味では、この施設の運営を維持すること自体にも意義があるのではないか。
(8月27日次回更新)