オトナノオンナ

第5回 風鈴

おとなびた幼稚園児がいる、少女のような老婆がいる……。さまざまな年代の女性の仕事、生活、恋愛、を丁寧に追いながらそれぞれの「オトナノオンナ」を描く、一話読み切り小説。 

 

 裏口の鍵をあけ、棚と壁の細いすきまに手をさしこみ、明かりをつける。
 毎晩、カウンターにならべて帰るリモコンはエアコン、オーディオ、夏場は扇風機でみっつ。
 掃除機をかけ終えて、シャッターを両手で押しあげるとき、あとどのくらいこれができるかしらと考える。その答えを出さないまま、入口におかれた朝刊とおしぼりを抱える。シャッターの音をきいて、となりのあかつきベーカリーからだんなさんが出てくる。
 ……おはようさんです、きょうは暑くなりそうだなあ。
 ……いきなり蝉しぐれですものね、もう汗だくよ。
 モーニングの厚切りが一斤、サンドイッチの薄切りが三斤。牛乳と生クリーム各1本。日曜日以外は、毎日配達されるもの。バターは、週に二本出るか、出ないかというところ。
 テーブルとカウンターを拭いて、CDをかけると七時半。鳩がみじかくポポーと鳴く。その声と同時に、おはようさん。
 渋谷さんと、笹本さんが入ってくる。役場の同期だったふたりは、定年して五年はすぎた。いまだに仲がよくて、毎朝誘いあって川原をウォーキングして、モーニングを食べに来てくれる。トースト、ゆで卵か目玉焼き。ひとくちフルーツをつける。コーヒーか紅茶で450円。
 ……ママ、きのうの火事、近かったんじゃない。
 朝一番の地方紙を開き、笹本さんがアイスミルクティーをちゅうと吸う。
 そうなの。帰るときはもう消えてたけど、駐車場のあたりはけさも煙の匂いがしてたわ。
 全焼は気の毒だけど、けが人が出なくてよかったなあ。でも、火つけたんだろ。嫁さん浮気して、その相手がつけたって。
 こわいわよねえ。うなずきつつ、話しこむふたりから、あとずさる。やっぱりきょうは、この話からはじまった。
 さびれた城下町は、冠婚葬祭みなつつぬけ。きのうの火事だって、あとひと月は、もぐもぐと噂される。若いころはいやでいやでしかたなかったけど、いまでは抗う元気もない。朝から晩までここで働いていられれば、それがなによりありがたい。
 長い常連さんの来るのは、午前中に集中している。病院や役場、道の駅に来たついでと顔を出してくれる。
 文化センターのむかいに店を出すといったら、商工会のお偉いさんに笑われたものだった。あんな駅からはなれたところで、喫茶店なんて、なりたつもんですか。ところが、ことしで三十一年、どうにかこうにか続いている。日に五本、特急が来るだけの駅前は、すっかりさびれて、シャッター商店街がつづいている。はんたいに、このあたりは、文化センターのうしろに観光物産館ができたり、総合病院ができて、町でいちばんひとを見かける地域になった。店の名まえは、地味だけど、やさしくて品がいいわよと、母がつけてくれた。喫茶りんどう。ホールで催しがあるときは十時まで開けて、ふだんは七時まで。
 休憩時間の女優さんや噺家さんが、ふらりと入ってくることもある。素顔をそっと知ることができるのは、ただひとつの役得。とはいえ、そんなことは月にいちどあるかないかで、ふだんは、常連さんの血圧やお墓やゴルフのスコアの一喜一憂にうなずいている。おさけを出さないことと、クラシックをかけていることで、大声を出すひとがいないのはありがたい。
 からんころん、ドアのカウベルが鳴る。
 ……おはようさん、暑いねえ。これ、店で食べてちょうだいよ。
 米川さんは、おおきなすいかを両手にさげていた。
 すごいりっぱな、いただいちゃっていいの。
 いいの、いいの。畑でごろんごろんしてて、食べきれなくて割れたらカラスのえさになっちゃうんだから。
 ……だっておたくは、お孫さんたち来るでしょう。
 ……それが、ほら、ことしは下の子がお受験だって、塾に通わせるんだってさ。あーんなちいさいときから、かわいそうだって思ってるんだけどねえ。
 だけども、いまがんばれば、あとがらくなんでしょう。そうなんだってなあ。
 じゃあ、まず。まだまわるとこあるから。また来るよ。コーヒーも飲まないまま、軽トラックにもどっていった。ふりむくと、カウンターのすいかは、あっちこっちをむいて、えらそうな地球のようにころがっている。
 ひとつまるまんまは、入らないわね。
 刃をあてたとたん、めりめりとひとりでに割れた。さっきまで畑のひなたにあった。ひとくち、うすく切って口にいれる。みずみずしく、なまあたたかい。
 ……なつかしい、ぬるくて。
 ひとりごとに気がついて、そそくさと田園をかけた。

 昼休みから三時までは、近くに勤めるひとたちが、ひとり来てはひとり腰をあげるので、落ちつかない。毎日来てくれる裏手の獣医さんは、犬の糖尿病を叱りながら、当のご本人はガムシロップをたっぷり使って、はらはらしたり。
 二時になって、窓際の席に予約の札を置いた。第三水曜日の三時からは、ピンクッションの会が使うことになっている。
 娘の幼稚園時代のお母さんがたの集まりなので、開店いらいというより、この町にもどってきた年からの、長いおつきあいになる。
 教会の附属の幼稚園は、毎年秋にバザーを開いている。教会の信者でもある彼女たちは、いまもボランティアで、子どもの衣類や手芸品を作って提供している。うちは、たまたまあそこしかあきがなくて入れた。仏教だし、卒園後のおつきあいはないし、不器用だし、店があるからお手伝いもできない。でも、お茶くらいは出せるので、使ってもらうようになった。
 集まりは、子育てが忙しいころは、二か月にいちどがやっとだった。それが子どもが学校にあがって、ひと月にいちどになり、いまは子育てを終え、隔週に。お孫さんがいるひと、ふたり。だんなさんが、天に帰られた方も、ひとり。きょうも、全員出席。
 ねこ背と白髪が隠せなくなったわ。ひとりがいう。わたしはそれに、ぜい肉をのっけてるわ。そのひとことで、くすくす笑っている。同居する息子夫婦とのいさかいや、娘さんの離婚で悩むひともいる。
 ……夜ね、お祈りをしても眠れないのよ。
 さっきも、ひとりがちいさなため息をついた。
 つらいわね。無理をしないでね。あとは、だれもなにもいわず、手を動かしながらきいている。この会が長くつづいているのは、親しき仲の、ただしい距離があるからと思う。
 やわらかく黙って、会のまとめ役の牧原さんが、ふと頭をあげた。
 ……育ちゃんは、かわらずがんばっているの。
 ……どうなのかしらね。お盆だっていうのに、なんともいってこないわよ。
 でも偉いわ、出世よねえ。やっぱり手に職って、すごいことよね。みなさん、くちぐちにほめてくれたけれど、さっきまで孫が遊びにきたとはなしをしていたひとの目には、うっすら同情が浮かんだ気がした。こういうひがみ目が治らないのは、やっぱり信仰心がないからと思う。
 育は、東京のまんなかで美容師をしている。カリスマ美容師のいる店に見習いで入り、かわいがってもらい、おととしからは浦和の支店を任された。店をやりながら、先生の助手として芸能人のコンサートの裏方もしているらしく、まったく休みがとれなくなっている。
 夫と別れてここに店を出し、母が亡くなってから、あの子は名まえそのまま、自力で育ったもおなじだった。会話といえば、店でトーストをかじるときと、高校のころ手伝いに来ていたときくらいだった。なんというか、たんたんと業務連絡のような調子でいる。
 年にいちど、浦和のホテルを予約して、様子を見にいくけれど、美容院は外から見るだけにしている。九時すぎに疲れた顔であらわれ、近くのお寿司やさんにいく。毎日外食らしく、このあいだは肌が荒れていたのが気になったけど、口にしたら百倍反論されるから黙っていた。あの子は戌年だから、九月で三十四になる。母に、あんたたちは猿犬の親子だわね、干支はあたるねと笑われたけれど、だんだんほんとにそうなっている気がする。
 ……人生に無駄な時間を使いたくないの。人生ひとりじめ、結婚もしない。
 酔うとかならず、そういう。母親の人生なんて、無駄の詰めあわせだと思っている。ぎゅっと鼻にしわをよせるところだけ子どものころのまま、あとは、髪も目の色も爪も、会うたびにかわってしまう。
 ……ママはあたしだけのママなので、おじさんたちは、うちのママをママって呼ばないでください。
 泣きべそかきながら抗議してたのにねえ。ひとりでおとなになったみたいにねえ。
 つい、ため息をつく。
 ……便りがないのは、元気な知らせ。甘えてますよという知らせよ。
牧原さんが、うなずいてくれた。
 レスピーギ、シチリアーナをかけてほしいわ。
 ひとりがいう。
 真夏といっても、暮れるのは早くなったわね。
 携帯電話が鳴って、おもてに出ていたひとが、もどってきた。風鈴、チリンチリンって、かわいいわね。
 ……お客さまが、東京のおみやげってくださったの。車の音に負けて、あんまり聞こえないんだけど。
 夏の過ぎるのもはやいけど、ここは秋だって、あっというまよ。
 もうひとりは、できあがったうさぎのぬいぐるみの背を、やさしく撫でている。

 土曜日は、一時間早く開ける。
 文化センターの駐車場に、ちいさな朝市がたつ。地元の農家が朝採り野菜を出したり、近くのお店でも、お菓子や小物をすこし安くならべている。うちは人手がないからできないけど、そのぶん早く開けて、朝市限定のおひさまクッキーを添えている。きょうは、あいにくの雨になってしまった。
 通りのむこうを見ると、お客さんはまばら、屋根のあるところに花売りさんや、乾物やさん、いつものおばさんたちの姿があった。
 この雨なら、ウォーキングもお休みね。
 ぼんやりバロックをきくあいだに、クッキーが焼けた。オーブンから出して冷ましているところに、きょうはじめてのお客さまがいらした。
 はじめての三人、旅行者のよう。
 まあ、ずいぶん濡れてしまって。女の子にタオルを渡すと、ありがとうございます。ふたりの男性は、おじいさんと、父親、三人の太い眉が、そっくりだった。
 ご注文は、モーニングでよろしいですか。
 そうですね。いえ、あの、ほかのものもお願いできますか。
 ええ、サンドイッチなら。
 メニューを見せると、三人ともミックスサンドという。
 ……ミックスなら、たぶんふたつでじゅうぶんと思います。そうね、お嬢さんお好きなら、ホットケーキ焼きましょうか。うちの、おいしいのよ。
 女の子が、くりっとふたりを見た。
 コーヒーは熱めに、紅茶はばらのカップにした。ホットケーキの種をさぼらずにおいてよかった。フライパンにまるくたらし、火を弱め、タイマーをかける。いい匂いがするね。窓ぎわから、ちいさな声がきこえた。
 もうひとつのフライパンで、うす焼き卵を作る。ハムときゅうり、レタスとトマト、それから卵をはさんで三種類のサンドイッチをさきに出した。
 ご旅行ですか。
 ええまあ、こちらは思ったより涼しくて。丸眼鏡のおじいさんが、コーヒーのおかわりという。おじいさんといっても、たいして年はかわらない感じだった。
 ……あいにくの雨ですが、明日はいいお天気になるみたいですし、きょうは美術館に行かれたらいいですよ。あそこのお庭は、雨の日もすばらしいんです。
 卵サンドを両手でもってかじっていた女の子が、父親になにか耳うちした。
 仲がいいのね。そして、育は、こういう思い出がないまま、おとなになったと思いいたり、息がにがくなる。タイマーに呼ばれ、あわててフライパンにもどり、深呼吸をする。手もとに集中する。
 ホットケーキにバターをのせて、お待たせしました。
 女の子は、ちいさいのにナイフとフォークを上手に使った。
 店に置いてある観光パンフレットを渡し、旬の食べものやおすすめのレストランを教えた。せっかく来てくださったのだから、せめてものおもてなしと、地図をひろげてしるしをつけていると、扉がからんとあいた。
 どうしたの、きゅうに。
 仏頂面の、育だった。
 育は答えずに、愛子ちゃん、お待たせしちゃってごめんね。二オクターブは高い声でおおきく笑い、身をかがめた。
 ……こちら、うちの母です。お母さん、こちらは秋山修司さんと、聡司さん。おふたりは、浦和で喫茶店をされているの。そして、愛子ちゃんは、小学校三年生。ね。
 女の子は、ぺこりと頭をさげる。
 ……まあ、そんな。プロの方と知らずにいい加減なものお出ししちゃって。なによあなた、お連れするならまえもって連絡してくれたらよかったのに。
 顔から火を出して文句をいうと、いえいえ、とんでもない。とてもおいしくて、勉強になりました。身の置き場もないことをいわれてしまった。
 じゃあ、いきましょうか。育は立ったまま三人にいい、出がけにふりむく。
 ……あのね、来月入籍することにしたの。式は挙げないけど、写真撮影と食事会はしたほうがいいって、社長にもいわれちゃって。今夜、その打ち合わせするから。どこかお店予約して、あとでメールしておくから、お店閉めたら寄って。
 そんな、突然そんなこといわれたって、あなた。
……なにいってんのよ。お母さんだって、突然だけどっていって、離婚したじゃない。あれよりは、おめでたいんだから、ぜんぜんありでしょう。
 そんな、こんなときに、むかしのこと持ちださないでよ。
 とにかく、いま着いたばっかりだから、くわしいことは夜にしてよ。いま車、持ってくるわね。育は、おじいさんの肩にふと手を置き、傘もささず、駆けて行った。
 ……ほんとうに、ぶしつけに押しかけまして、申し訳ありません。
 ……きょうは、駅前のホテルに泊まりますので、夜、お店が終わったあとに、改めてお時間いただけますでしょうか。
 おじいさんとその息子さんが、たっぷり八の字眉でいう。大人三人は、ただただ頭をさげあうばかりだった。
 気まずくドアをあけると、風鈴が割れそうなくらいに揺れている。
 ……ホットケーキ、とってもおいしかったです。
 愛子ちゃんが、頭をさげた。あと、サンドイッチ。育ちゃんがいつも作ってくれるのとおんなじだった。
 ね。お父さんを見あげた。
 車を見送り、店に入り、くしゃみ二連発。
 なんなのかしら、きゅうにこんなことって。
 お父さんとおじいさんと女の子、そこに育が入るってことなのは、わかった。でも、結婚するって、どっちと。面とむかってそんなことまさか聞けない。
 あんなに喫茶店がいやだって、結婚なんて、もっといやがってたくせに。それに仕事はどうするつもりなのかしら。
 頭がまっしろになったのは、夫に別れたいといわれたあの日いらいのことだった。
 きょうの風鈴は、ご近所迷惑になる。
 またドアをあけ、椅子に乗ってはずした。
 ……まったく、きつい娘だわ。
 かつて母に、おなじことをいわれたけれど。

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