十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第6回 差別があるままに他者と交わる世界に生きている

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第6回です! 今回はみんなの心の中にある問題です。じっくり読んで欲しいと思います。

この連載は大幅に加筆し構成し直して、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)として刊行されています。 刊行1年を機に、多くの方々に読んでいただきたいと思い、再掲載いたします。

ある高校の生徒会室にて

「K高校生徒会指導部は、来年度から、男女かかわらずズボンとスカートの着用を認める「制服選択制」を実現するために、校則の変更を求める陳情書(ちんじょうしょ)をPTA運営委員会及び校長に提出します。これは、性的少数者、LGBTQの生徒にとって学校生活が過ごしやすいものになるだけでなく、多様な価値観を受け入れ、尊重することが重視される社会の流れに沿ったものとなります。」

会長の小野さんがそう言うと、美化専門委員の藤尾さんがすぐに挙手をして発言します。
「私は会長の提案に賛成です。なぜなら、LGBTQの人たちが自認する性別と異なる制服を着るのはとても辛いと私は思うからです。その人たちが苦しい思いをせずに学校生活を送れるようにするためにも、制服選択制が私も必要だと思います。」

同じような発言が5、6人続いたあと、図書専門委員の宗近くんが思いつめたような表情で立ち上がり、言葉を継ぎ始めます。
「いや、LGBTQの中にもいろんな人がいて、制服が選べればいいという問題でもない気がするんですが。」

宗近くんがそう言うと、話に水を差されたことが不愉快(ふゆかい)だったのか、それとも要領を得ないことを言うやつだと呆(あき)れられたのか、着席する委員たちの冷ややかな視線が一斉(いっせい)に注がれます。
「え? では、宗近くんはこの案に反対ですか?」

宗近くんの反論

「いや、制服が選べるのは良いことだと思います。でも、LGBTQを一括(いっかつ)した主語で議論するのは明らかに間違いだし、だって制服が選べたらいいなと思うのは性的マイノリティの中でもトランスジェンダーとか一部の人だろうし、あと、藤尾さんはさっき、「LGBTQの人たちが自認する性別と異なる制服を着るのはとても辛いと思う」って言いましたけど、いつ本人たちの辛さを理解したのかなと思って。」

宗近くんから名指しされた藤尾さんは、憮然(ぶぜん)とした表情で答えます。
「宗近くんの指摘のように、私の周りではそういう人がいないし差別もないから、当人たちの気持ちはわからないところもあると思います。でも、誰だって自分が着たい制服を着る権利はありますよね。それくらい想像したらわかりませんか? それに、社会でたくさんの方たちが声を上げているのを見れば、これが必要なことだということも分かります。私たちが行動しなければ、いつまでも現状を変えることはできません。」
藤尾さんの堂々とした反論に、小野さんをはじめとする多数がしきりに頷(うなず)きます。宗近くんはここが踏んばりどころです。

「藤尾さんはいま、周りにそういう人がいないし差別もないと言いましたが、本当に差別はないのでしょうか。周りにそういう人がいないというのは気づいていないだけなんじゃないですか? ということは差別があることにも気づいていないのではないですか? 藤尾さん自身も差別をしていないと思ってるからそういうことを言うと思うんですけど、マジで自分が差別してないと思ってるなんてヤバいなと思いました。この話し合いのみんなひとりひとりの発言や判断の中にも無自覚な差別がしみ込んでいます。マイノリティの人は、生まれ落ちた社会がデフォルトで自分用に作られてないと気づかされる経験をしているけど、マジョリティの人たちはそういうことに気づかなくて済むからマジョリティなんです。」

宗近くんの発言を遮(さえぎ)るように、小野さんが鋭い声を上げます。
「ちょっと、言いがかりはやめなよ。ここにいるみんなが差別主義者みたいに言うの、どうかしてるよ。宗近くんは、マイノリティの辛さをいつ理解したの? とか言っておきながら、自分こそさっきからマイノリティがわかったふうに発言してるけど、いつの間に宗近くんはマイノリティの代表みたいな立場になったの? もし自称マイノリティなんだとしたら、いつ自分をマイノリティに認定したの?」

このとき小野さんは心なしかニヤリとしたように見えました。宗近くんは憤然(ふんぜん)として言い返します。

「言いがかりって……マジで自分は差別をしない人間だと思っているんですね。信じられない。マイノリティというのは認定とかじゃなくて、さっき言ったみたいに社会が自分用にできていない……という気づきと傷つきの経験なんだよ。それはどれだけ権利をもらっても、全部は解消されない。そんなことも分からない人たちが、制服を自由に選べるようにして、マイノリティに権利を与えましたとか、どれだけ上目線かわかってんの? マイノリティにやさしくして差別をなくしましょうとか、いかにもマジョリティ側のありきたりの口上(こうじょう)なんだよ。何が社会の流れに沿うだよ。それこそまさにマジョリティの思考じゃないか。そうやって我が身を守りたい人たちに虐(しいた)げられ続けるのがマイノリティなんだよ。マジでムカつく。」

社会的包摂という新たな支配の形

宗近くんは、性的マイノリティの権利を認めると言っている仲間たちの「軽さ」に心からの怒りを表明しています。「差別はいけない」という形でマイノリティが社会的に包摂(ほうせつ)されるようになった状況は、これまでのマジョリティの支配と何も変わっていない。むしろそれも差別の一形態じゃないか。宗近くんはそのことに気づいて怒っています。しかし、それは「善いことをしている人たち」には言ってはいけないことでした。つまり、自分がいったん抱(いだ)いたはずの罪悪感を放り投げて、社会的に自分が「善いことをしている」側についた人たちにとって、それはどうしても認めるわけにはいかないことなんです。自分を善良の立場に置くことがいつも差別の構造の根本にあるのに、いったん善良な立場に立ってしまうと、それを保持することに躍起(やっき)になり、肝心なことに気づかなくなってしまうものです。

ある人の怒りや頑(かたく)なさがその人のマイノリティ性に由来している場合、マジョリティはそれを無根拠で理不尽な暴力だと受け取りがちで、その人が自分の想像もつかないところからメッセージを放っていることには気づきません。ここに争いの元があります。マイノリティはこのような「伝わらなさ」を繰り返し経験して、自身が決定的に理解されない疎外(そがい)された存在であるという事実を幾度となく突きつけられます。このようなマイノリティの闘争は、マジョリティになかなか理解されることはありません。

「宗近くんが怒ってるのはわかったけど、でも宗近くんはそもそも制服の選択制に反対じゃないんだよね。それなのに言い方のせいでわざわざみんなの考えに楯突(たてつ)いていると取られてしまっていて。でも、別に私たちは別の方向を向いているわけではないわけで……だからもう一度この制服選択制に賛成か反対かにしぼって話ができたらいいんじゃないかな。」

藤尾さんが白と黒のまん中にいるようなニュアンスで話すので、委員のみんなは少しほっとしたような雰囲気になります。しかし、それでも宗近くんは猛然(もうぜん)と立ち上がってまた話し始めます。あからさまなため息がいくつかの方向から聞こえてきます。

「みんなそうやっておとなしく座ったままで、自分だけうわべをきれいにしておけばいいと思ってるんだろ。いくら善い人ぶってても取り返しはつかないよ。僕はもっとマジメに話をしたかったんだよ。そうやって、君たちはマジメがどんなものか一生知らずに済んでしまうんだろ。外面(そとづら)だけで生きてるなら、もっとわかりやすく軽薄でいろよ。ハヤりに乗ってわかったようなことを言うなよ。マイノリティを利用するな!」

最初から差別が仕掛けられている世界

これは今年の春から「制服選択制」が実現したある高校の生徒会室で、ひとりの高校生が格闘したある日のことを綴った文章です。「制服選択制」という先進的な取り組みの陰で、かき消されたひとりの声がありました。それを拾いたくて、私はここに書きつけました。

「制服選択制」は、実際の運用に様々な困難があるとはいえ、一部の生徒たちにとって必要な制度だと思います。しかし、マジョリティ主導の制度の構築はどうしても各人で異なるマイノリティの意向を汲(く)み切れるものではないこと、そして、権利さえ得ることができればそれでOKというわけでもないことくらいは踏まえておくべきでしょう。


あなたの周りには差別はありますか。みんなは昔よりずっと「差別はいけない」という声が強い社会に生まれてきました。そんな中で育ってきたあなたは、もしかしたら私の周りには差別がない、そう思っているかもしれません。肌の色が違う子とも、自閉症の子とも私は仲良くしている、みんなも仲良くしている。だから、私は差別をしていないし、私の周りにも差別はない。そう思っているかもしれません。

でもそうだとしたら、あなたは大きな勘違いをしています。マイノリティが生まれ落ちた世界には、あらかじめ差別が仕掛けられているんです。

例えば多くの性的マイノリティの人たちは、規範的な家族観に支えられた自分の家族の中で、今日も肩身がせまい思いをしています。私の欲望を認めてくださいと心の中で訴え続けています。自分が生まれ育った家族の中でさえそうだということを、考えてみてください。欲望なんてほんとうは人に認めてもらうことじゃないのに、お母さん(お父さん)許してよと叫び続けているんです。そういう切実さをマジョリティは想像できません。だからあなたも、自分の想像に及ばないことがある、それを知ることから始めてください。

そして、もしこれを読んで、宗近くんはわたしだ、そう思った人がいたとしたら、あなたの仲間は確かに少ないかもしれません。でも、必ずいるし、あなたは孤独だけど楽しく生きることはできるし、だからあなたの欲望を無理に押し込めなくても大丈夫。そう伝えておきます。


私たちには差別がこびりついている

あなたはきっと今日も差別をしました。私たちの価値判断には逐一(ちくいち)差別がこびりついていて、それを引き剝(は)がすことはなかなかできません。あなたがどんなに仲良くしてる相手でも、好きな相手でも、息を吐くように差別しているのがデフォルトで、それを理解したとしてもなお、あなたはその人を孤独にし続けるんです。やさしくしたいなら、それくらいわかってやさしくしてください。

あなたは幼い頃から親から差別を教えられて育ってきたんですよ。親が子供に傾ける愛情の端々(はしばし)には差別がこびりついていて、子供はそういった差別に守られているという側面さえあります。だから、「差別はダメ」と言うことがいかに難しいか。だってそれは私たちの主体に関わることなんだから。そのことをもっと徹底的に見つめていかなければなりません。私にとっての良い親の定義のひとつは、「これほど差別はいけないと思っている人でも、ある面で差別的なんだ」ということを子供に知らしめる存在としての親です。

あなたは昔よりずっと、差別がないという装(よそお)いだけが整えられた世界に生きています。だからこそ、あなたは積極的に差別のことを知る必要があります。これからはますます、差別を語ることが難しくなっていきますから。

最後に、ここまで読んで誤解してほしくないのですが、あなたは、目の前の友達がもしかしたらマイノリティで最初から傷ついているかもしれないと、そんなふうに構えて接する必要はありません。そんなことをはじめから想定しないから、あなたは友達とキラキラした関係性を結ぶことができます。あなたはいつも差別があるままに他者と繋がり合う世界に生きているんです。

あなたには、「優しい」世界にも差別があるということに気づいてほしいし、逆に「差別がある」にもかかわらず優しい世界があるという逆説的な世界とも出会ってほしいと思います。そのために、私はこの文章を書きました。


※本連載に登場するエピソードは、事実関係を大幅に変更しております。

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