ちくまプリマー新書

資本主義=悪? 搾取を生まないビジネスの新しいかたち
『ファッションの仕事で世界を変える』より本文一部公開

この世界を良くしたい。ビジネスの世界で活躍したい。キラキラと輝く「好き」をあきらめたくない――「エシカル・ビジネス」を切り拓いた起業家が贈る『ファッションの仕事で世界を変える』(ちくまプリマー新書)より、本文を一部公開! 鹿児島に生まれた著者が世界に羽ばたいたきっかけ、貧困の現場で見た現実、そして出会ったベトナムの鞄づくり。新しい資本主義の姿をつくり出す、新しいビジネスの形とは?

国際協力に目をひらかれる

 短大に入学して二カ月ほど経ったある日、フォトジャーナリストの桃井和馬さんが短大に講演に来られ、話を聴く機会がありました。桃井さんは、アフリカやアジア、中南米における貧困問題や環境問題、紛争、飢餓など、この世界で起きているさまざまな社会課題を写真に収め、社会派フォトジャーナリストとして活躍されている方です。飢餓に苦しむ大きなお腹をしたエチオピアの子ども、インドネシアのジャングルから檻に入れられて密輸されるオランウータン、中東で起きている紛争のさなか、銃を抱える兵士たち。そんな写真を通じて桃井さんはわたしたちに実際に見てきた現実をお話しされていました。魂を揺さぶられるほど美しい構図で表現された、心をえぐられるような現実の写真たちに魅入っていたその時、衝撃的なひとことを耳にします。

この世界は、いますぐ一人ひとりが動き出さなければ破滅してしまう。

 桃井さんから発せられたこのひとことで、わたしは雷に打たれた感覚に陥りました。そうか、そうだよな。それが現実なんだ。いままでわたしは何をしていたんだろう。何不自由なく三食たべて、家もあって、好きな洋服やアクセサリーをつくって。苦しんでいる子どもや消えゆく自然のために、起きている悲しい現実に対して何ひとつ行動できていない自分って、どうなんだろう? と、反省する気持ちでいっぱいになり、胸のざわめきが抑えられなくなったのです。

 そこからわたしは国際協力の道を志すことになります。世界を救いたい、世界のために自分の命を使いたい。困っている子どもたちや環境問題を、自分の力を使ってなんとかしたい。せっかく留学してまで学ぶ機会を与えられるのだから、そこで世界の社会課題を学んで、この世界をすこしでも良い方向に向けられる人間になろう。

 そうしてわたしは留学先で国際開発学を学び、国際協力の仕事に就くことに決めて、国連職員や途上国開発従事者を多数教員・卒業生にもつイギリスのロンドン大学に進学しました。もともと留学を志した時点では、じつはアメリカ東海岸の大学へ行くことにしていたのですが、ちょうどこの時、二〇〇一年九月の米同時多発テロが起きたことから、アメリカ行きを断念し、願書の出願直前になってイギリスへの留学に変更しています。すでに行きたいアメリカの大学を決めていたので一時はどうしようか慌てましたが、結果的に、アフリカにもアジアにも近いイギリスを選んだことで、留学してからも現場を見に行ける機会が多くありましたし、ヨーロッパ、アフリカ、アジアから学びに来る学生も多く、いい意味でアメリカを客観的に見ることができ、アメリカに行っていたら得ることができなかったレアな経験を積むことができました。決めていたことが突然の出来事で大きく変わってしまうこと、それをチャンスに変えていくことも大事ですね。

貧困の現場、アウトカーストの村へ

 大学に入学して一年目。想定外に訛りの強い先生たちの英語と、大量の読書課題に泣きながら苦労しつつも、自分の学びたいことを学べている高揚感のなか、「やはり現場を見なければ」と発展途上国で起きている貧困問題の現場を見に行くことにします。

 一年生の夏休み、厳しい進学試験を無事終えた後、南インドのチェンナイに一人渡航しました。大学の先生の紹介で、ある人道支援のNGO(Non-Governmental Organization・国際協力ボランティア団体などの非政府組織のこと)でインターンとして滞在させてもらえることになったのです。初めてのインド、学業のかたわらアルバイトで稼いだなけなしのお金で一番安い航空券をとったため、スリランカのコロンボ空港で一〇時間以上トランジットすることになり、空港のパイプ椅子で仮眠し、ヘトヘトになりながら南インド、チェンナイの空港に到着。スパイスの香り立ち込める蒸し暑い空港を出た瞬間、群がる物乞いと野良犬と、タクシーの客引きの怒号のような声と視線にもみくちゃにされながら、滞在先のNGO団体の人と無事合流。一泊数百円の薄暗い安宿に泊まり、バスを乗り継いで数時間、アウトカーストと呼ばれる被差別部落の人たちの村に二カ月間、滞在しました。

 滞在中、NGOで働くソーシャルワーカー(生活相談員)とともに大小さまざまな村をまわりました。働きたくても仕事がまったくないと嘆く人や、農業の奴隷として働く人がいたり、シェルターで暮らすDV被害者や寺院娼婦だった女性たちがいたりと、アウトカーストとひと言でいっても住む人の境遇や村の状況は多岐にわたっていました。モンスーンの時期が遅れて、連日熱波が吹く四〇度を超えるような暑さのなか、クーラーもなく立っているだけで体力を奪われて、意識を朦朧とさせながら、砂漠に近い干上がった農地をひたすら歩きまわり、村の人びとの悩みを聞いてまわる日々。体力はきつかったですが、そこで見聞きした生々しい現実は大学の授業では絶対に学べないとても貴重なものでした。

 村から村へと渡り歩くとある日、鉱山労働者の住む村に連れて行ってもらいました。その村では子どもから大人まで、皆早朝から夜暗くなるまで鉱山で採掘、採石をし、働いていました。話を聞くと、子どもは学校に行っていない、学校を卒業して、たとえ成績優秀で奨学金をとり、高校や大学まで出ることができても結局他に仕事がなく、鉱山に戻ってくるだけで、行く意味がないから行かせない。賃金はほとんどもらえず食事は一日一食の日もある。逃げ出したくても、自分が逃げ出したら他の村人に罰が与えられる仕組みになっているので逃げられない。行く先も、逃げるお金もない。電気もガスもトイレもなく、酷暑のなか、素手で石を拾い、素足にサンダルで鉱山に入らねばならないのですぐに怪我をする。怪我をしても、骨を折っても病院に行くお金もない、薬も買えない。そんなことを暗い表情で語る村人たち。

 採石場で子どもが骨を折ってしまい、病院へ行けなかったのでそのまま骨がくっついてしまい、折れ曲がったまま生活をしているんだ、と自分の子どもを見せに連れてきたお父さんもいました。また、住む場所も定められているが、その土地には有毒な物質が土のなかにあるため、そのせいで赤ちゃんが生まれてもすぐに死んでしまった、と泣きながら話すお母さんもいました。こんな話を毎日のように聞く日々で、「あなたは日本人でしょ。お金もっているんならすこしでも置いていって欲しい」と懇願されることもありました。何もできない、お金もインドに滞在するだけのわずかなお金しかない、何の影響力ももたない自分があまりにもふがいなく、目の前の人たちを救うことすらできないわたしは、何のために生まれてきたのだろう、と心から情けなくなり、落ち込みもやもやとした気持ちで毎日を過ごすこととなりました。世界を変えられるかもしれないと考えたことをおこがましいとも思いましたし、結局現実を知れば知るほど、自分は本当に何もできない人間であることを思い知らされ、とても辛い気持ちになり、しまいにはどんなことを聞いても、どんな現実を見ても感情をもたないようにしなければ毎日過ごしていられないほどでした。また、暑さと毎日のスパイスたっぷりの辛い食事と、とある家で振る舞われたギー(ヨーグルトのような発酵食品)で食中毒になって体調を崩し、村人に迷惑をかけてしまう有様。朦朧とする意識のなか、自分という人間は結局何者でもない小さな人間で、世界を何ひとつ変えられないんだと思い知らされ、これからどうしていったらいいのだろうともやもやとした気持ちでインドを後にします。

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