世の中ラボ

【第137回】
人生の最晩年を明るく生きるシニア小説

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2021年9月号より転載。

 青春小説ならぬ「玄冬小説」と称し、この欄で高齢者を描いた小説を取り上げたのは2018年4月号だった(『忖度しません』所収)。テキストは若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』、髙村薫『土の記』、橋本治『九十八歳になった私』。
 この三冊の共通点は主人公がみなひとり暮らしの「独居老人」であることだ。べつに珍しい話ではない。六五歳以上の世帯の、女性は五人にひとり、男性は八人にひとりが単身世帯で、この割合は年々増加傾向にある。ちなみに夫婦だけの世帯は約三割で、この年代の過半数が高齢者だけの世帯ってことになる。
 変態だったり(例:川端康成『眠れる美女』)、悲惨な人だったり(例:有吉佐和子『恍惚の人』)、スーパー老人だったり(例:田辺聖子『姥ざかり』)、日本の小説は概して高齢者を「特殊な人」とみなしてきた。そこにようやく「普通の老人」を描いた小説が現れた。それがこのときの印象だった。
 しかし、いま考えると、彼らもじつは「普通の老人」ではなかったのかもしれない。近未来SF疑似私小説『九十八歳になった私』の主人公はいうにおよばず、『おらおらで……』の主人公(桃子さん・七四歳)も、『土の記』の主人公(上谷伊佐夫・七二歳)も、自立心に富み、想像力も豊かで、淡々としつつも、ひとり暮らしを謳歌している。ちょっとかっこよすぎるのである。
 それでふと考えた。あるいはこれは年齢が関係しているのだろうか。『九十八歳になった私』は半ばSFだから別として、『おらおらで……』も『土の記』も主人公は七〇代。誰にも頼らず暮らしていられるのは、その年代だからじゃないのか。というわけで今回は、玄冬小説を読む第二弾、「八〇代の高齢者」編である。

伴侶も子どももいる老後だけれど
 朝倉かすみ『にぎやかな落日』の主人公は、八三歳になるおもちさん。北海道の札幌に隣接した石狩市で、ひとり暮らしだ。
 上皇夫妻ご成婚の翌年、二五歳で一歳上の勇さんと結婚し、娘と息子が生まれた。ブリキ職人の夫を助けて経理を担当し、みんなのご飯を作り続けてきた。けれど子どもたちは独立し、勇さんももういない。息子(東京に単身赴任中)の妻のトモちゃんが何かと気にかけてくれるし、娘のちひろ(東京在住)も一日に二度電話をくれるから孤独ではない。それでも時には愚痴が出る。
〈お父さんがいてくれたらどんなに助かったかしれないよ。でも、お父さんはもう永久に帰ってこない人になったから〉。
〈お父さんがあの世に行っちゃったみたいだねぇ〉と応じる娘に、おもちさんは言い返す。〈なに言ってんのサ! 縁起でもない〉〈お父さんは特養に入っただけなのっ。今までみたいに、たまにお泊まりするんでなくて、ずっと入ることになったのっ。もうこの家には永久に帰ってこないのっ。でも、特養にはチャンといるのっ。行けば、いるのっ。でも、だから、さびしいのっ〉。
 そう、これが八〇代世帯の現実である。ある時期までは老老介護で乗り切っても、ある日、夫婦のどちらかが施設に入らなければならない日が来る。おもちさんもそうだった。頑張って介護してきたのに夫は特養に入った。〈役立たずの烙印を押された〉と彼女は思った。〈あたしじゃダメだったんだ〉と。
 しかし、そういうおもちさん自身も、ひとり暮らしがおぼつかない感じになってきた。気を揉む娘は〈お出かけしたとき、転ばなかった?〉と聞く。おもちさんはムッとして言い返す。〈転ばないヨッ! あたしはネ、生まれてからイッペンだって転んだことなんかないヨッ!〉。「生まれてからイッペンだって……」は、腹が立ったときの彼女の決まり文句。自分が実際以上に年寄り扱いされることが、彼女はおもしろくないのである。
 しかし、身体は確実に衰えていく。おもちさんは自分でもよくわからないうちに糖尿病患者になっており、気がつけば、食事についてあれこれ指図されるようになっていた。
 訪問看護の田中さんにも〈オヤツ、食べたんでしょ?〉と怒られた。おもちさんは言い返さずにいられない。〈あたしはね、生まれてからイッペンだってオヤツなんか食べたことないんだワ〉。
 持病が悪化し、入院した後も看護師にどやしつけられた。〈昨日、どら焼き、食べましたよね〉。〈したけど、あたしにはなんのことかサッパリ〉とゴマ化しながら、おもちさんはついに全力で叫んだ。〈なして信じてくれないのサ。なしてわざわざ見張り付けるのサ。オヤツなんか食べてないって!〉。
 年長者なのに子ども扱いされるのを心外と考える母と、老いゆく母をハラハラしながら見守る家族。両者の間に横たわる意識のズレを、小説は巧みにすくいとっていく。ひとりで食事の管理をするのはもう無理だと考えた娘たちは、退院後の母をサービス付き高齢者住宅に入れようと考えるが……。
 一方、藤野千夜『じい散歩』は八〇代男性の物語である。
 明石新平は八九歳。妻の英子は八八歳。二人ともその年齢とは思えないほどに健康な、奇跡のような夫婦である。
 北関東の同じ町の出身である二人は、一〇代で知りあい、二〇代半ばに東京で所帯を持ち、三〇歳前に、自宅の三畳間に事務所を置いて「明石建設」を立ち上げた。折からの高度成長期の波に乗って会社は業績を伸ばし、新平は社長として、英子は経理担当として会社を支えた。その会社も、新平が七〇代のときに畳んだ。
 現在の新平の主な日課は散歩である。朝は〈ヨーグルトにきなこ、すりごま、干しぶどうを入れたものをカフェオレボウルにたっぷり一杯。それから梅干しを一粒。米ぬかを煎ったものをスプーン一杯。はちみつスプーン二杯〉という朝食をひとり食べ、健康体操をし、ふらりと散歩に出て、なじみの喫茶店でコーヒーと卵サンドを頼み、その後はかつて会社の事務所として使っていた「秘密の部屋」でエロ本などの家には持ち帰れないコレクションを楽しむ日々。
 明石家に問題があるとしたら、三人の息子だろう。息子たちは、誰も家業を継がなかった。それどころかこの三人は、五〇歳前後になった現在も、ひとりも結婚しておらず、子どももおらず、長男と三男はいまだに新平夫妻と同居している。
 長男の孝史(五二歳)は、ほとんど部屋に引きこもっている。フラワーアーチストだという次男の建二(五一歳)はトランスジェンダーで、若い男と暮らしている。三男の雄三(四八歳)はサラリーマンを辞め、グラビアアイドルの撮影会を主催する会社を興すも、赤字続きで、しょっちゅう新平に資金援助を頼んでくる。
 だが、新平はもはや息子たちの行状を気にしていない。心配なのはむしろ妻である。英子は夫の浮気を疑っているのだ。
〈あなた、女がいるでしょ、と妻の英子に言われ、新平は思い切りどきりとした。/英子がしくしく泣いた夜から、ほどない頃だ。/「は? そんなわけあるか! バカバカしい」/「じゃあ、どこ行くのよ」〉。「散歩だよ、散歩」と答えても妻は信じない。〈「冨子に会うんでしょ」/「冨子?」/「田丸屋の」/「バカか」〉。
 こんなことが何度かあり、次男の建二にも指摘されて、新平は考えざるを得なくなる。妻は認知症なのではないか……。

七〇代と八〇代はこんなに違う
『にぎやかな落日』も『じい散歩』も雰囲気はノホホンとして、基本的には楽しく読める小説なのだ。これといった事件が起きるわけでもなく、娘が口うるさかったり息子が頼りなかったりしても、彼らに邪悪な意図はなく、ただただ日常がすぎていく。
 ただ、同じ日常がずっとは続かない。それが八〇代の現実なのだ。『にぎやかな落日』のおもちさんはしてやられたのではと疑いつつも、抵抗するのをあきらめて施設への入居を受け入れ、『じい散歩』の新平は妻が脳梗塞で倒れたのを機に散歩三昧の日々から足を洗って、自ら妻を介護する役割を引き受ける。
 若い頃は、六五歳以上なら七〇代も八〇代もすべて同じ「老人」だと思っていた。だが現実はそう単純ではない。親子の関係が大きく変わるのも、親が八〇代に突入した頃からだ。
 樋口恵子『老いの福袋』は八八歳になった著者が自らの実体験をもとに書き下ろした老後生活指南書だか、そこには年齢による変化、とりわけ七〇代と八〇代の差が子細に示されている。
〈70代になっても、私は多忙人間でした。/今日はここで会合、明日はあそこでシンポジウム。移動して連泊で講演会をこなし、その合間に執筆。もう、典型的な「働きすぎ日本人」でした。ですから毎日が嵐のようにあっという間に過ぎていきました〉。
 ところが、ある日(七七歳で患った病気)を境にガクッときた。その後の人生を彼女は「ヨタヘロ期」と呼ぶ。
〈ヨタヘロ期になると、違った意味で一日があっという間に過ぎていきます〉。インターホンが鳴っても、子機を手にとるまでのあと一〇センチが一動作で届かない。朝起きるのが辛く、目覚めて着替えるだけで大仕事。好きだった料理も、八〇歳をすぎたら面倒になり、楽しかった買い物もする気がなくなった。ヨタヘロ期が来たら、何もかも自分でやろうとは思わないほうがいい。
〈私は常々、「70代は楽しい老いの働き盛り」と主張しています。いまの70代は、まだまだ元気です〉。この時期に積極的に社会との接点を持ち、人の役に立つ仕事をしておくことが、八〇代、九〇代に返ってくるのだと彼女はいう。
 小説の話に戻ると、おもちさんや新平の好感度が高いのは、頑張りすぎていないこと、そして家族や周囲の人々を受け入れていることだろう。自立より共生。それが老後を生きる知恵かもしれない。

【この記事で紹介された本】

『にぎやかな落日』
朝倉かすみ、光文社、2021年、1760円(税込)

〈おもちさん、83歳。もう独りでは暮らせない。いずれ終わりはくるけれど、「今」がずうっとつづくといいね〉(帯より)。夫が特養ホームに入り、ひとり暮らしになった女性。老人扱いされるのも子ども扱いされるのも嫌だけど、最近記憶もあやしいし、面倒なこともしたくない……。この年代の母がいる読者なら「まるでウチのことみたい!」と思う人が多いはず。作者は1960年生まれ。

『じい散歩』
藤野千夜、双葉社、2020年、1760円(税込)

 

〈夫婦あわせてもうすぐ180歳。三人の息子は、全員独身。大変? いや、なんだか幸せそう…〉(帯より)。八九歳にもなって妻には浮気を疑われるし、勝手に生きてる息子たちも頼りない。それでも彼はくよくよしない。年齢のわりには主人公がちょっと元気すぎないか、という印象はあるものの、「なーんだ人生、これでもいいんだ」と思わせてくれる佳編。作者は1962年生まれ。

『老いの福袋――あっぱれ! ころばぬ先の知恵88』
樋口恵子、中央公論新社、2021年、1540円(税込)

 

〈ヒグチさん88歳、「ヨタヘロ期」を明るく生きる!人生100年時代の痛快エッセイ〉(帯より)。1983年、50歳で「高齢社会をよくする女性の会」を立ち上げ、介護保険制度の実現に尽力した著者がいよいよ迎えた自らの老後。2025年には国民の五人に一人が七五歳以上になる超高齢化社会で、どう生きるかを指南する。「老年よ、財布を抱け」などの名言もいっぱい。

PR誌ちくま2021年9月号

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